藤枝MYFCとは? わかりやすく解説

藤枝MYFC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 23:01 UTC 版)

藤枝MYFC
原語表記 藤枝MYFC
呼称 藤枝MYFC
クラブカラー  [1] [1] [2]
創設年 2009年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン J2リーグ
昨季リーグ順位 J2 13位(2024年)
クラブライセンス J1
ホームタウン 静岡県藤枝市島田市焼津市牧之原市吉田町川根本町[1]
ホームスタジアム
藤枝総合運動公園サッカー場[1]
収容人数 10,057人[1]
運営法人 株式会社藤枝MYFC[1]
代表者 徳田航介[2]
監督 須藤大輔
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社藤枝MYFC
Fujieda MYFC co., ltd.
種類 株式会社
市場情報 未上場
本社所在地 426-0041
静岡県藤枝市高柳2162-1[1]
設立 2009年7月15日[3]
業種 サービス業
法人番号 1080001017365
事業内容 サッカークラブおよび
スポーツスクールの運営他
代表者 徳田航介
資本金 7,000万円 (2020年1月期)[4]
売上高 3億2,400万円 (2020年1月期)[4]
営業利益 ▲2,700万円 (2020年1月期)[4]
経常利益 ▲2,600万円 (2020年1月期)[4]
純利益 ▲8,300万円 (2020年1月期)[4]
純資産 800万円 (2020年1月期)[4]
総資産 6,100万円 (2020年1月期)[4]
主要株主 静環検査センター[5]
関係する人物 小山淳、鎌田昌治
外部リンク myfc.co.jp
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藤枝MYFC(ふじえだマイエフシー、: Fujieda MYFC)は、日本静岡県藤枝市島田市焼津市牧之原市吉田町川根本町をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要

2009年に創設。2010年に静岡FCと合併。2013年にJリーグ準加盟クラブとして承認され[1]、2014年にJリーグに入会した[1]。運営会社は株式会社藤枝MYFC[1]、ホームスタジアムは藤枝市の藤枝総合運動公園サッカー場、練習場は焼津市の藤枝MYFCサッカー場で[1]、静岡県の志太榛原地域[6](旧志太郡及び榛原郡を中心とした地域)をホームタウンとしている。

クラブ名称の「MYFC」はわたしの(MY)フットボールクラブ(FC)に由来する[1]。かつてはイギリスのマイフットボールクラブ英語版に次ぐ世界で2チーム目の「ネットオーナーシステム」を採用し、ネットオーナーによる議論・投票により、戦術・運営・強化方針・人事などを決定していた[7]が、2015年にネットオーナーサイトは閉鎖しており、アイデンティティを失った状態で今日に至る[8]。なおネットオーナーの会員数は無料時代は300–400人、有料時代は60人程度であり、活動は困難な状況にあった[9]

エンブレムは藤枝市を表す盾に、サッカー伝承の地を示す緑色のストライプを配し、上にMYFC、中央にサッカーボールと藤枝市の市鳥であるウグイス、左右に上がり藤の図柄がある。このエンブレムの原案は運営事務局が作成し、ネットオーナーの投票で選出された[7]

オフィシャルマスコットはフェニックスがモチーフの蹴っとばし小僧。サポーター投票で2015年12月に発表、2018年3月に名前が公表された。

歴史

前史

藤枝市を本拠地とするクラブがJリーグを目指そうとする動きは、Jリーグ発足当初から、ジャパンフットボールリーグ(初代JFL)に在籍したことがある中央防犯サッカー部・藤枝ブルックスが加盟へ向けて動いていたが、当時の藤枝市民グラウンドサッカー場はJリーグ(現J1)基準を充足できるスタンドや照明設備が整っておらず、このままではJリーグ加盟ができないため、Jクラブの誘致に熱心だった福岡市と交渉し、福岡ブルックス(1996年からアビスパ福岡)とチーム名を改めたうえでJリーグ準会員資格を取得し、福岡市へ移転することとなった[10]

その後改めて、藤枝ネルソンCF(ふじえだネルソンクラブ・デ・フットボール)を母体に、藤枝市を本拠とするクラブでJリーグ入りを目指すことになったのである。チーム名のネルソンは元日本代表ネルソン吉村に由来している[7]。藤枝ネルソンCFは静岡県社会人サッカーリーグで活動した他、全国社会人サッカー選手権大会に1度出場した経歴を有する(1998年。1回戦で札幌蹴球団に敗退)。2008年11月、「ネットオーナーシステム」を運営するMYFC運営事務局と藤枝ネルソンCFは同クラブを運営候補とすることで合意した(後に名称を「藤枝MYFC」に制定)[11]

2009年
ガンバ大阪元監督の釜本邦茂が監督に就任[12]。ただし、釜本は「実際には監督というよりはスーパーバイザー的役割である」とコメントしており、現場でのチームの指揮はヘッドコーチ兼選手の斉藤俊秀が執っていた。後に釜本は総監督となり、ネットオーナーシステムの投票で97.5%の承認を得て3月から斉藤が監督に就任した[7]
静岡県リーグ1部で1位となったが、リーグ戦における試合当番の不履行により5順位降格の処分を受けて、最終順位は6位となった[13]
2010年
1月、東海社会人サッカーリーグ1部の静岡FCと統合。東海リーグの指導により、静岡FCを存続クラブとしてshizuoka.藤枝MYFC(シズオカ・ふじえだマイエフシー)へ登録チーム名を変更(呼称は「藤枝MYFC」)することで東海リーグへの参加が認められた[14][15]。4月に釜本が総監督を退任した[16]
東海リーグ1部で優勝したが、第46回全国社会人サッカー選手権大会は1回戦で、第34回全国地域サッカーリーグ決勝大会は1次ラウンドで敗退した。
2011年
東海リーグ1部を連覇。第47回全国社会人サッカー選手権大会は3位、第35回全国地域サッカーリーグ決勝大会は準優勝の成績をそれぞれ収めた。12月16日の日本フットボールリーグ(JFL)理事会でJFL入会が承認された[17]

2012年 - 2013年(JFL)

2012年
登録チーム名を藤枝MYFCへ変更[18]。なお、Jリーグ準加盟申請を準備していたが、静岡県サッカー協会から準加盟に必要な支援文書が発行されなかったため、年内の申請を断念したと報じられた[19]
2013年
6月に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)へ準加盟を申請し、9月17日に準加盟が承認された[20]。11月19日、Jリーグ理事会でJリーグへの入会と、2014年のJ3リーグ参加が承認された[3]
シーズン終了後、斉藤が監督退任と同時に現役引退した。斉藤のつけていた背番号2は2019年まで永久欠番であった[21][22]

2014年 - 2022年 (J3)

2014年
総監督に菊川凱夫、監督に水島武蔵が就任。リーグ戦は12チーム中11位。シーズン終了後に水島が監督を退任した。
2015年
監督にヘッドコーチだった大石篤人が就任。リーグ戦は13チーム中10位の成績で昨年より1つ順位を上げた。また、天皇杯で清水に勝利した。
2016年
大石体制2年目。18人の選手が退団したが、大迫希鮫島晃太遠藤敬佑ら14人が移籍加入、大学生4人が加入し18人の選手が加入した。リーグ戦は過去最高の7位。
2017年
大石体制3年目。4人の引退を含む14人の選手が退団したが、大竹隆人伊藤竜司が移籍加入、田口潤人がレンタル移籍で加入、遠藤敬佑川島將はレンタル移籍から完全移籍に移行した。県サッカー選手権大会決勝で沼津に敗れ、2年連続で天皇杯出場を逃した。J3リーグ戦では、枝本雄一郎がリーグ6位タイの13得点、遠藤が8位タイの12ゴールを挙げるなど、3位沼津、優勝した秋田に次ぐリーグ3位の50得点を挙げ、2年連続の7位躍進に貢献した。DF福王忠世・FW三好洋央の引退、期限付き加入だったDF伊藤槙人・DF薗田淳・GK田口潤人の期限付き移籍満了を含め、22名が退団した。
2018年
主要スポンサーで企業や官公庁などからの受託による測定・検査事業を展開する静環検査センターがクラブの筆頭株主となり、クラブ創設に携わった小山淳がクラブ運営から退き、後任の代表取締役に藤枝東高校サッカー部OB会長の鎌田昌治が就任[23]
GK川田修平・DF木下高彰・DF川上盛司の期限付き加入3名を含め、GK杉本拓也・MF岩渕良太・MF養父雄仁・FW谷口堅三ら20名もの新加入選手を迎えた。
J3リーグ戦では開幕戦に勝利したものの第5節から3連敗を含む5試合未勝利となるなど、夏季の中断期間前までで6勝3分8敗で勝点21の14位と低迷、7月24日には大石とコーチの増嶋真也の退任を発表し、同月27日に前月までJFLテゲバジャーロ宮崎の監督だった石﨑信弘が後任の監督に就任した。しかし、リーグ戦再開後いきなり5連敗、1引分の後第26節から3連勝し暫定12位まで浮上したが、直後に4連敗し16位まで順位を下げ、結局監督交代後は4勝1分10敗、最終的に10勝4分18敗で勝点34、前年度から大きく順位を下げ16位に終わった。得点が前年度より18点も少ないリーグ16位の32得点に低下し、失点も前年度の43から48に増えた。シーズン終了後DF木下高彰・DF川上盛司の期限付き移籍満了を含め、17名が退団した。
2019年
石﨑体制2年目。一方で、MF片岡爽(期限付き移籍)・MF谷澤達也・MF成岡翔・MF松岡亮輔・FW森島康仁ら17名を獲得、また、前年途中から期限付き移籍で加入していたMF出岡大輝が完全移籍に移行した。
J3リーグ戦では序盤から好調を維持し、第7節長野戦に勝利しクラブ史上初の首位に立つ。その後6位まで順位を落とすが、第14節以降は常に4位以上をキープし、第18節から第20節までは再び首位に立つなど、最後まで優勝争いを展開した。最終成績は2位群馬と勝点63で並ぶ3位でフィニッシュし、過去最高順位を更新した。得点はリーグ13位の42だったが、失点はリーグ2位タイの31で過去最少を記録した。
2020年
石﨑体制3年目。MF成岡翔とMF養父雄仁の引退など11名が退団、DF西埜植颯斗JFLヴェルスパ大分に期限付き移籍した。一方で、MF枝村匠馬やMF姫野宥弥(期限付き移籍)、5年ぶりの復帰となるFW大石治寿ら8名を獲得、期限付き移籍で加入していたMF片岡爽とFW吉平翼が完全移籍に移行した。
6月30日、藤枝総合運動公園サッカー場の改修工事着工を前提とした特例処置を適用の上で、2021年度J2ライセンス申請を行う[24]。9月28日、施設基準のうちJリーグ理事会で例外適用(スタジアム整備の猶予期間)が承認されたため、2021年度J2ライセンスが交付されることとなった[25]
結果は前年度を大きく順位を下回り、10位でシーズンを終え、石崎監督が退任した。
2021年
地元・藤枝市出身で元FC岐阜栃木SCの監督を務めた倉田安治が監督に就任するも、同年7月12日に退任し、後任にクラブOBである須藤大輔が監督に就任した。
結果は2年連続の10位となった。
2022年
須藤体制2年目。
いわきFC松本山雅FC鹿児島ユナイテッドFCFC今治カターレ富山との激しい昇格争いを繰り広げたが、終盤戦では2位以内を保持し、最終的にJ3リーグで過去最高順位となる2位でシーズンを終えて、来シーズンのJ2リーグへの昇格が決まった。なお、2022年のJ1リーグでは同じく静岡県の静岡市に本拠を置く清水エスパルス(年間17位)と磐田市に本拠を置くジュビロ磐田(年間18位(最下位))の来季のJ2への自動降格が決まったため、来シーズンのJ2には静岡県のJリーグクラブのうちの3つ(清水・磐田・藤枝)がJ2に所属することになった。

2023年 - (J2)

2023年
須藤体制3年目。
同時昇格のいわきFCとの開幕戦を制し、長崎にも勝利して開幕連勝を飾る。その後3連敗するも第9節から3連勝するなど確実に勝ち星を拾う。2度の4連敗やホームでの大敗(東京Vに0-5、熊本に0-4、甲府に1-4)など調子の波が目立ったが、途中まで得点ランクトップを走った渡邉りょうセレッソ大阪に移籍)を筆頭に、好調な攻撃陣で撃ち勝つ試合も多かった。最終的にJ2参入1年目を12位で終えた。得点数はリーグ6位タイの61得点を記録したが、失点数はワーストの72失点だった。また、今シーズンは、静岡県内3チーム(清水・磐田・藤枝)がJ2に所属し、静岡三国決戦と題して、それぞれのダービーマッチを盛り上げた。特に9月30日第37節のホーム清水戦では、2-0で歴史的勝利を収めた。また、クラブ史上最多となる6,288人を動員した。
2023年9月26日、 2024シーズンに関するJ1クラブライセンスが施設基準の例外規定の適用で承認された[26]
2024年
須藤体制4年目。
長崎との開幕戦は引き分けるも、次節から3連敗を喫し開幕4戦未勝利でスタート、第5節山形戦でシーズン初勝利を挙げる。続く熊本戦も勝利し連勝するが、その後の5試合は1分4敗と勝ちきれず、第10節終了時点で降格圏の19位と大きく低迷する。しかし、第12節群馬戦で今季初の逆転勝利を挙げ、これを皮切りにJ2昇格後初の4連勝を飾る。その後は勝ち負けを繰り返すものの、リーグ4位の16得点を挙げた矢村健の活躍などもあって残留圏に浮上、プレーオフ圏内入りも見える位置まで巻き返すが、最終節までの7試合を未勝利(1分6敗)と失速し、14勝4分20敗の13位でシーズンを終えた。得点が昨シーズンの61得点からリーグワースト6位の38得点と大幅に減少し、得点力不足が浮き彫りになったシーズンとなった。第32節のホーム清水戦では10,667人を動員し、2年連続でクラブ史上最多を更新した。
2025年
須藤体制5年目。

成績

タイトル・表彰

リーグ戦

カップ戦

個人別

  • J2リーグ
    • 月間ベストゴール
      • 中川風希:1回(2023年10月)
      • 矢村健:2回(2024年7月・10月)
    • 最優秀ゴール賞

下部組織

小学4,5,6年生のアカデミーではMYFC焼津U-15を所有する。

また、2013年12月に女子サッカーチームとしてルクレMYFCを創設し、その運営会社として株式会社MYFCマーケティングを設立した[27]。 2023年度は東海女子サッカーリーグ1部に所属。

静岡FCと統合した直後は、静岡県リーグ1部に所属していた旧:藤枝MYFCを「F.F.C.」に改称しセカンドチームとしていたが、メンバー確保が困難となり2011年3月に解散した[28]

ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

クラブカラー

  •  [1] [1] 

ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
静環検査センター 静環検査センター 2019年 - 2017年 - 2018年は背中上部
2017年 - 2020年、2023年 - は「静環検査センター」表記
2021年 - 2022年は「SEIKAN」表記
鎖骨 サカイ産業 サカイ産業 2021年 - 左側に表記
2017年4月 - 2018年は胸
2017年4月 - 同年12月は「サカイ産業 99th」表記
2018年は「サカイ産業 100th」表記
角丸建設 角丸建設 2018年 - 右側に表記
背中上部 住友ベークライト 住友ベークライト 2020年 - 2019年は袖
背中下部 東西工業 TOUZAI 2024年 -
島田掛川信用金庫 島田掛川信用金庫 2023年 -
パンツ前面 シンクス SHINX 2024年 -
パンツ背面 なし - -

ユニフォームサプライヤーの遍歴

歴代ユニフォーム

FP 1st
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
2021
2022
2023
2024
2025 -
FP 2nd
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
2021
2022
2023
2024
2025 -

歴代ユニフォームスポンサー表記

年度 箇所 サプライヤー
鎖骨左 鎖骨右 背中上部 背中下部 パンツ前面 パンツ背面
2009 トリワークス[注釈 2] 解禁前 - 解禁前 エイケンホーム - 解禁前 -
2010 - 大井川茶園 -
2011 BMW SANSEI NIMUS
BoConcept
urban design
2012 - /
アプリ戦隊
アンドロイダー
SANSEI
BMW
2013 アプリ戦隊
アンドロイダー
BinO お仏壇のやまき いちまる Razzoli
2014 福工房 お仏壇のやまき - -
2015 - /
J PLAYERS
2016 - /
J PLAYERS
- /
蔵衛門
gol.
2017 - /
サカイ産業
99th
- 静環検査センター - Daiichi TV
NEXT VISIONへ。
2018 サカイ産業
100th
焼津信用金庫 角丸建設 経営者の為のハードボイルドゼリー飲料
オレは摂取す
2019 静環検査センター 焼津信用金庫
しずおか焼津信用金庫
大井川茶園 かけ川海谷眼科 住友ベークライト -
2020 大井川茶園 住友ベークライト しずおか焼津信用金庫 -
2021 SEIKAN サカイ産業 - -
2022 フジケンミン
焼ビーフン
-
2023 静環検査センター 島田掛川信用金庫
2024 TOUZAI SHINX

メディア

他の番組については公式サイトのメディア欄で確認可能[29]

脚注

注釈

  1. ^  
  2. ^ QRコードを表記。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o プロフィール:藤枝MYFC”. 日本プロサッカーリーグ. 2020年8月3日閲覧。
  2. ^ a b クラブ情報”. 藤枝MYFC. 2021年4月19日閲覧。
  3. ^ a b Jリーグ入会審査(J2およびJ3)結果について』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2013年11月19日http://www.jleague.jp/release/article-00005487/2016年11月21日閲覧 
  4. ^ a b c d e f g Jクラブ個別経営情報開示資料(平成31年度)”. 日本プロサッカーリーグ. 2020年8月3日閲覧。
  5. ^ 「21年、J2参入目標」J3藤枝MYFC代表、市長に方針”. 静岡新聞 (2019年11月2日). 2020年8月3日閲覧。
  6. ^ 志太榛原地域の概要”. 静岡県. 2025年4月20日閲覧。
  7. ^ a b c d エンブレムの世界 藤枝MYFC『サッカーマガジン』2012年4月10日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌23882-4/10, 062頁。
  8. ^ 初めての方へ』(プレスリリース)藤枝MYFChttp://myfc.jp/owner/modules/bulletin/index.php?storytopic=62014年3月24日閲覧 
  9. ^ 「今あるサッカー界の常識の逆を行く」J3 藤枝MYFC 元社長 小山 淳は”破壊者”か”革命家”か <インタビュー&取材後記>”. サッカー馬鹿 勝村大輔 (2018年2月17日). 2019年10月30日閲覧。
  10. ^ 藤枝MYFCが誇る菊川 凱夫というレジェンド
  11. ^ 藤枝ネルソンCF候補決定の経緯について』(プレスリリース)藤枝MYFC、2008年11月17日http://myfc.jp/owner/modules/bulletin/article.php?storyid=42014年3月24日閲覧 
  12. ^ 藤枝MYFCに釜本新監督が来た!”. 日刊スポーツ (2009年2月28日). 2014年3月21日閲覧。
  13. ^ 5順位降格処分と、これに関する静岡新聞の報道の件』(プレスリリース)藤枝MYFC、2009年5月26日http://myfc.jp/owner/modules/d3blog/details.php?bid=2382014年3月21日閲覧 
  14. ^ 新生藤枝MYFCのリーグ認証と今後につきまして』(プレスリリース)藤枝MYFC、2010年1月31日http://myfc.jp/owner/modules/d3blog/details.php?bid=519&cid=12014年3月21日閲覧 
  15. ^ 2010新体制につきまして』(プレスリリース)藤枝MYFC、2010年4月2日http://myfc.jp/owner/modules/d3blog/details.php?bid=583&cid=12014年3月21日閲覧 
  16. ^ 「釜本氏が藤枝MYFCの総監督を退任」 朝日新聞、2010年4月17日、2014年3月24日閲覧
  17. ^ 日本フットボールリーグ 新入会チームにつきまして』(プレスリリース)日本フットボールリーグ、2011年12月16日http://www.jfl.or.jp/jfl-pc/view/s.php?a=3812017年10月12日閲覧 
  18. ^ 第14回日本フットボールリーグ参加チーム”. 日本フットボールリーグ. 2014年3月21日閲覧。
  19. ^ 藤枝MYFC 準加盟申請持ち越し”. スポーツニッポン (2012年12月1日). 2017年10月12日閲覧。
  20. ^ Jリーグ準加盟審査結果について』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2013年9月17日http://www.jleague.jp/release/article-000053252017年2月20日閲覧 
  21. ^ 永久欠番としていた「背番号2番」について”. 藤枝MYFC (2020年3月6日). 2020年3月29日閲覧。
  22. ^ 齊藤俊秀監督兼選手 現役引退及び退団のお知らせ”. 藤枝MYFC (2013年11月28日). 2020年8月3日閲覧。
  23. ^ “J3藤枝、新代表に鎌田氏 クラブ創設者の小山氏退任へ”. 静岡新聞. (2017年10月25日). http://www.at-s.com/sports/article/shizuoka/myfc/419435.html 2018年3月11日閲覧。 
  24. ^ 2021年J2ライセンス申請について 
  25. ^ 2021シーズン J2クラブライセンス交付決定のお知らせ』(プレスリリース)藤枝MYFC、2020年9月28日https://myfc.co.jp/news/20200928/1111515/2020年10月3日閲覧 
  26. ^ 2024シーズン J1クラブライセンス交付決定のお知らせ|藤枝MYFC”. 藤枝MYFC. 2023年9月26日閲覧。
  27. ^ 藤枝MYFC 女子サッカー参入のお知らせ』(プレスリリース)藤枝MYFC、2013年12月19日http://myfc.co.jp/news/20131219/3822/2017年10月12日閲覧 
  28. ^ F.F.C.(静岡県リーグ1部)の活動につきまして』(プレスリリース)藤枝MYFC、2011年3月11日http://myfc.jp/owner/modules/d3blog/details.php?bid=8752014年3月21日閲覧 
  29. ^ 藤枝MYFC ニュース”. 藤枝MYFC. 2023年6月7日閲覧。
  30. ^ 公式Twitter”. Viva!MYFC!. 2023年6月7日閲覧。
  31. ^ おび・りあスタジオにて公開生放送・後日クラブの公式Youtubeにおいても公開

関連項目

外部リンク


藤枝MYFC(2018-2020)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 15:32 UTC 版)

石﨑信弘」の記事における「藤枝MYFC(2018-2020)」の解説

2018年7月27日、藤枝MYFCの監督就任する発表された。2019年にはチーム3位導き同年JリーグアウォーズにおいてJ3優秀監督賞受賞した2020年12月7日契約満了により監督退任する発表された。

※この「藤枝MYFC(2018-2020)」の解説は、「石﨑信弘」の解説の一部です。
「藤枝MYFC(2018-2020)」を含む「石﨑信弘」の記事については、「石﨑信弘」の概要を参照ください。

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