選手像と業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 15:15 UTC 版)
カーランドは身長213cmという突出したサイズを誇り、1940年代のバスケットボール界において攻守ともに絶大な支配力を見せた。彼はカレッジの公式戦で最初にダンクを決めた選手とされており、ゴールテンディング・ルールの導入にも影響を及ぼした。カーランドは同い年で後にNBAのスーパースターとなったジョージ・マイカンと並び、バスケットボールにおけるビッグマンの地位を確立した偉人として評価されている(ちなみにカーランドはマイカン率いるデポール大学と1944年のNITトーナメント準決勝で対戦し敗れている)。 また、当時のアメリカにはBAAやNBLといったプロリーグが存在しており、マイカンをはじめ大学のトップ選手は卒業後プロに進むのが通例となっていた中、アマチュア選手としてAAUでのプレーを選択したカーランドは異質な存在であった。アマチュアであったため、彼は大学卒業後もオリンピックへの出場権を得ることができた。カーランドはプロ選手の出場が解禁される1992年バルセロナ五輪以前に複数回オリンピックアメリカ代表に選ばれた唯一の選手である。
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