選手兼任監督時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/04 07:30 UTC 版)
ボルトン・ワンダラーズFC 1985-86シーズンの開幕はリヴァプールで迎えたが、1985年12月にはサードディヴィジョンのボルトン・ワンダラーズに選手兼任監督として移籍し、結局7年間ボルトンを率いた。1987年にはクラブ史上初(そして唯一)のフォースディヴィジョン(当時4部)降格を経験したものの、1988年にサードディヴィジョン復帰を果たし、1989年にはフットボールリーグトロフィーで優勝した。1989年に選手を引退して監督に専念したが、選手としてのリーグ戦の出場試合数は700試合を超え、イングランド代表としては50試合に出場して5得点した。 1989-90シーズンと1990-91シーズンにはセカンドディヴィジョン(当時2部)昇格プレーオフに出場したが、いずれのシーズンも昇格を逃した。特に1990-91シーズンには大きく昇格に近づいたが、グリムズビー・タウンFCに得失点差で下回って自動昇格を逃し、昇格プレーオフ決勝ではトランメア・ローヴァーズFCに敗れた。1991-92シーズンは13位に終わり、1992年5月8日に監督を解任された。後任監督のブルース・リオッチは、1993年にディヴィジョン・ツー(当時3部相当、プレミアリーグ発足に伴ってサードディヴィジョンから名称変更された)からディヴィジョン・ワン(当時2部相当)昇格に導き、1995年にはプレミアリーグ(現1部相当)昇格を果たした。
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