日本の格差社会に関する議論
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「格差社会」の記事における「日本の格差社会に関する議論」の解説
内閣府の太田清は、若年層の所得格差の原因として非正規雇用者の構成比の高まりを挙げており、1997年以降の景気低迷に加え、雇用の流動化などの構造的要因が寄与した可能性を指摘している。太田は論文「フリーターの増加と労働所得格差の拡大」(2005年)で、1997-2002年にすべての年齢層でジニ係数が大きくなっているが、特に20代と30代の若年層で所得格差の拡大が見られることを明らかにしている。また太田は、2003年以降は若年層の所得格差の拡大が止まっていることを指摘している。 三菱総合研究所政策・経済研究センターは「日本でジニ係数が上昇している大きな要因は高齢化の進行にある。一般に若年世代の収入格差は小さく、年齢を重ねるにつれ格差が広がっていく。人口全体の高齢化が進めば格差も拡大していく」と指摘している。 経済学者の伊藤修は「ジニ係数などの数字による格差の大きさが同義的に問題なのではなく、必要最低限の生活ができていない貧困層が実在している実態こそが問題なのである」と指摘している。 経済学者の飯田泰之は「1990年代末、不況が深刻化する第一段階では、新卒求人の縮小という形で人員の絞込みが行われ、格差の問題を生んだ。雇用・格差の問題を考える際には、マクロ経済の悪化・デフレーションの影響に注目する必要がある」と指摘している。飯田は日本で貧富の差が広がった理由について「富裕層に減税して貧困層に増税したからである」と指摘している。飯田は「日本の再配分政策は、貧者から金を取って富者に与えているという側面がある。日本の再配分の仕組みは、都市部の20-50代から税金を集め、60歳以上を養う仕組みとなっている。20-30代は貧しい状態にある」と指摘している。飯田は「20代の貧困率は、税金を取る前よりもそれを再配分した後のほうが高いというデータもあり、やらないほうがましとなっている。一方で高齢者間への再配分はうまくいっている」と指摘している。 経済学者の原田泰、大和総研は「日本で格差が拡大している原因は、低賃金のサービス労働の拡大にある」と指摘している。原田泰は「若年失業率は2002年にピークに下降したが、2002年を境に突然、若者の社会適応能力が上昇したり、実業無視の教育が改善したり、若者の自分探し思考が変化したということはありえない」と指摘している。原田は「1990年代の前半まで日本では若者の格差がなかったのに、1990年代末以降若者の格差が拡大するようになったのは、正社員になれた若者とフリーターのままの若者の所得格差が大きかったからである。正社員同士の格差より、正社員とフリーターの格差の方が大きいため、正社員になれない若者の比率が高まれば、所得格差は拡大する。若者が正社員とフリーターに分化した最も大きな理由は、1980年代は景気が良くて1990年代以降は景気が悪かったからである。景気が良ければより高い比率で若者が正社員になれるが、景気が悪ければより低い比率の若者しか正社員になれなくなり、若年失業者も増える」と指摘している。原田は「格差拡大は高齢化に伴う現象であり、高齢化の影響を調整してみると、格差は広がっていないというのが多くの経済学者の分析結果である。1990年代後半以降、若年層の所得格差が拡大したのは、正社員になれた若者とフリーターの若者の所得格差が大きかったからである。正社員同士の格差より、正社員・フリーターの格差の方が大きいため、正社員になれない若者の比率が高まれば、所得格差は拡大する。そうなった最も大きな理由は、1990年代は景気が悪かったからである」と指摘している。原田泰は「経済成長への貢献と所得は比例しない場合が多い。ただし、既存の富は不公正であるため、略奪するべきだとする考えは、社会を災厄に巻き込む」と指摘している。原田は「明治の日本人は、富は自ら創造するものと認識していた一方で、昭和初期の日本人は富は略奪だと認識した。こういった認識が戦争を招いた。また、戦前の昭和でも石橋湛山のように、富を略奪とする認識を否定した日本人もいた。戦後の繁栄・平和・自由は、戦前昭和を否定し富は創造できると認識したことから始まったことを忘れてはならない」と指摘している。原田は「日本の社会保障政策には、格差を縮小していないという問題がある。日本の社会保障政策は、貧困層に重い負担と低い給付、非貧困層に軽い負担と手厚い給付を行っている。これは、貧しくない高齢層に、多額の年金が給付されているからである」と指摘している。原田泰は「ただ高所得者層に増税するよりも、低所得者層に対し子供を塾に通わせるための補助金を配るなどの政策を実行するほうが、日本では有効な格差対策になる」と指摘している。原田泰は、格差縮小には経済成長を続けることが重要であると提言している。原田は「デフレ脱却は、日本では格差拡大の対策になる」と指摘している。原田泰、大和総研は「必要なのは、セーフティーネットを拡充することで、無理やり格差を是正することではない 」と指摘している。 経済学者の野口旭、田中秀臣は「日本的雇用システムが維持できなくなった原因は、非効率性ではなくデフレによる実質賃金の上昇である」と指摘している。 経済学者の田中秀臣は「戦後の『終身雇用』は、景気がよかったために出現した『長期雇用関係』に過ぎない。景気次第で『終身雇用』は容易にご破算になる可能性があったにもかかわらず、多くの労働者はその幻想を社会通念と信じていた。つまり、会社組織のあり方よりも、景気動向などのマクロ経済要因の方が影響が大きかった」と指摘している。田中秀臣は「中小企業では、戦後一貫して雇用の流動性は高かった」「中小企業の労働者の七割は、定年までに数回の転職を行っている」と指摘している。田中秀臣は「不況が悪化すると、安い採用コスト・賃金で労働者を調達できる。結果、非正規雇用が増える」と指摘している。田中は「不況は、同世代で正規雇用者と非正規雇用者との間に経済格差をもたらし、同時にバブル期までの売り手市場で就職した世代とそれ以降の世代の間に世代間の経済格差をもたらしている」と指摘している。田中秀臣は「経済格差は、不況を原因とした新卒市場での就職難、中高年のリストラに起因している」「『格差社会』は、1990年代からの長期的な停滞がもたした雇用の悪化に基づいている。若い世代で非正規の職に従事している人たち増加したことで所得格差が拡大していることでもある」と指摘している。田中は「『格差社会』は、長期にわたる大停滞の産物であり、構造的な問題というよりも、不況の長期化がもたらしたものである。『格差社会』は、短期的な問題であるはずの景気循環的問題であり、政府の政策の失敗によって長期化したことが問題の真相である」と指摘している。田中秀臣は「若年層の所得格差の拡大には、フリーターの増加が大きく関係しており、景気回復が最も効果的である」と指摘している。田中は「若年層の世代間格差は1997年以降に拡大していったが、2003年以降景気回復によって若年層の所得低下は歯止めがかかっている」と指摘している。田中は、フリーターの数は2002年は208万人であったが、2007年には181万人までに低下していると述べている。 経済学者の竹中平蔵は「戦前の日本は強国の中でも最も所得格差が大きい国の一つであった。日本の平等な社会は、高度成長時代のごく限られた期間に実現した特殊な現象である。日本はもともと文化的・社会的に極端に平等な国ではなかった」と主張している。竹中は「日本の所得不平等は、1980年代から1990年代に入って一気に高まったという事実は重要である」と指摘している。竹中は「1920年代に、日本型雇用慣行の基礎ができあがった。それ以前の日本は、従業員の定着率が極めて低く、従業員の企業に対する忠誠心も低かったと考えられている。1920年代に生まれ広がった終身雇用と定期昇給は、戦後に定着し、労働生産性が長期安定的に改善に向かうための重要な基盤がつくられた。日本型雇用慣行は歴史は浅いものであり、決して日本固有の文化に根ざしたものではなかった」と指摘している。竹中平蔵は「格差そのものがダメなのではなく、格差が固定されることがダメなのである。格差が固定されている社会は、非常に閉塞感がある。日本の社会は、意外に格差が固定されている。親の所得格差によって、金持ちが再生産されるシステムが日本にはある。所得格差があっても、自分も高所得者になれるというチャンスがある社会は、夢のある社会であり、悪い社会ではない」と指摘している。竹中は「重要なのは、競争を否定することではなく、誰もが平等に競争に向かっていける環境を整えることである」と指摘している。竹中は「本来重要なのは、生涯所得の比較である」と指摘している。 池田信夫は「派遣労働の規制緩和が格差の原因である」という議論について、「原因と結果を取り違えており、派遣労働者は非正規雇用の8%に過ぎない」と指摘している(2009年時点)。池田信夫は「格差拡大の原因は、市場原理主義・構造改革ではなく、バブル崩壊後の長期不況である」と指摘している。池田は「格差の原因は『新自由主義』ではなく、1990年代に終身雇用が維持できなくなった状況で、中高年社員を守るために若年層を犠牲にした結果なのである」と指摘している。池田は、雇用規制の緩和を主張し「労働市場が柔軟になれば、新卒で就職できなかった人が一生を台無しにするような絶対的な格差がなくなる。問題は結果の平等ではなく機会の平等である」と指摘している。池田は「格差を単なる所得の差と考える限り、解決は簡単であり、高所得者に課税し低所得者に分配すればよい。ただし増税について国民の合意を得ることは困難である」と指摘している。 経済学者の伊藤元重は「戦後の日本のすべての企業が終身雇用・年功賃金・企業別労働組合といった慣行を持っていたわけではなく、こうした慣行とは無縁の労働者も多数存在した」と指摘している。伊藤は「経済が成熟化し、少子高齢化が進む中、日本的な雇用慣行を維持することが困難となっている」と指摘している。 社会学者の山田昌弘は、格差には、上位層がますます良くなる「上離れ」と、下位層がさらに落ち込む「底抜け」(例えばワーキングプアなど)があるとし、このうち「底抜け」の増加が、社会に与える不安が大きくなるとしている。「底抜け」層は、収入が低い、努力が報われないと思う、 未来に希望がもてない、などの特性を持つため、この層の増加は社会の活力が失われたり、犯罪の増加などにより社会が不安定化するとしている。山田は、大元には「何を格差ととらえるか」という国民の意識の変化があり、そして意識の変化には社会の変化が影響を与えているとする。また山田は、家庭のあり方が変わったことも指摘する。大家族で、夫が外で働き、妻は専業主婦として家事をこなすというモデルが主流であった頃は、次のような対策を取ることによって社会リスクを回避し、格差を顕在化させなかった。家庭の稼ぎ手は夫のため、年功序列制度によって将来の収入増の見通しを立てるとともに、夫が亡くなった場合は遺族年金などによって収入をカバーしていた。老化し働けなくなった場合は、子供に養ってもらうことによって生活することを前提としていた。だが、この家庭モデルは核家族化、さらには離婚増加によるひとり親家庭の増加によって崩れていく。さらに「社会リスクを回避するためのもの」だった家庭は、社会の変化によって逆に「社会リスクを増幅し、格差を生産するためのもの」へとその役割を変えていった。ライフステージのの中で、主に3つの段階で格差が発生する。就職は生涯の収入に深く関わるため失敗すると格差が生じる。特に日本のように新卒一括採用に偏っていると、再チャレンジの機会が少なく格差が固定化されやすい。出産・育児の時期は労働機会が減るため、リスクにさらされたときに格差が生じやすい。また老人になると、収入が増える機会が激減する一方で、健康を害するなどリスクが高まる。さらに「子供がいる・いない」「家がある・無い」「蓄えがある・無い」といった状況の違いが人によってあるため、格差が生じやすくなる。ただし、高齢者の所得・貯蓄水準は様々であり一括りにすることは現実的ではない。 山田昌弘や教育社会学者の苅谷剛彦は、「努力が報われる社会」以前に、「格差社会においては、努力する環境に格差が生じている(親の収入・教育水準・教育に対する意識等の家庭環境、子供のやる気等)」と指摘している。 大竹文雄は「『男の非正規』は、かつてうまく機能していた制度・慣行が、効率性・安心の障害となってしまうことがあるという実例である」と指摘している。大竹は「かつては非正規雇用者は雇用調整は、深刻な貧困問題を引き起こさなかったが、世帯主・単身の男性が非正規雇用者として増加したため、非正規雇用の雇用調整が貧困問題に直結するようになった。1990年半ばまで、非正規雇用の中心は既婚女性労働者であり、家計の生計を主に担う存在ではなかった。家計所得の補助的役割を、非正規雇用者が担っていたのである」と指摘している。大竹は「非正規雇用を雇用の調整弁と位置づけ、その増加をデフレ下の労務費削減ツールとすることで、正規雇用の解雇規制・賃金を守っていくという戦略に、経団連・連合の利害は一致した。少数の正規雇用の過重労働、多数の非正規雇用の不安定化という二極化が起きたのは当然の帰結である」と指摘している。大竹は「『非正規切り』に象徴される問題は、雇用の二極化という格差が生み出す社会全体の不安定化・閉塞感である。世代間の不公平が固定化されてしまうことは問題である」と指摘している。大竹は「日本が格差社会であることを否定しない。日本の所得格差拡大の要因は高齢化である。現在の所得だけで格差社会を議論してもあまり意味がなく、資産・将来の所得を含めた生涯所得の格差こそ大事で、その生涯所得の格差拡大は既に観察されている。現在(2008年)が格差社会であるというのなら1970年代・1980年代の日本も格差社会だったのであり、『一億総中流』こそ幻想だったということである。日本の所得格差が低く見えたのは、まだ所得に差がない若者の人口比率が高かったことが原因である」と指摘している。大竹は「人々の努力水準を把握することは、最も難しいことの一つである。人によって生まれもっての素質が違うため、同じ成果を得るために必要とされる努力水準は、大きく異なる」と指摘している。大竹文雄は、格差の解消について、経済学では「市場競争によって効率性を高め、貧困問題はセーフティーネットによる所得再配分で解決することが望ましい」とされている。大竹は「多くの経済学者は、市場競争で得た豊かさ・成果を分配することで格差に対処すべきだと考えている」と指摘している。大竹は、市場競争で格差が発生した場合、政府による社会保障を通じた再配分政策、低所得者に技能を身につけさせ、高い所得を得られるための教育・訓練の拡充、の2つの対策があるとしている。また大竹は「規制を強化すると、規制の枠内の人の中での格差は縮小するが、規制の枠外の人たちとの格差は拡大する。規制の枠内に入れるかどうかで、運・不運の要素が大きくなる」と指摘している。 「橘木・大竹論争」も参照 経済学者の土居丈朗は「格差拡大への批判が世界的に起きているが、その内容は権利・機会の平等を訴える者と、結果の平等を訴えている者がいる。日本では、どちらかといえば結果の平等を訴える者が多い。これは危うい傾向である」と指摘している。 経済学者の高橋洋一は「日本の格差は、アングロサクソンの国に比べればそれほどではなく、高齢化で説明できる程度である」と指摘している。 経済学者の岩田規久男は「再配分前所得の格差を拡大させる最大の要因は、完全雇用が達成できない低成長が続くことにある」と指摘している。岩田は「長期的には、金融政策によるマクロ経済の安定化を伴った経済改革は、成長率を引き上げ、格差の拡大を抑制できる」と指摘している。 経済学者の若田部昌澄は「格差の是正をいかに行うべきか。税制だけでなく、教育・立法による機会の不平等格差の是正も重要である」と指摘している。若田部は「貧困の原因として自己責任の部分があったとしても、自己責任を問えない状況下で自己責任を問うのは論理的ではない」と指摘している。 経済学者の松原聡は「貧富の差が激しい社会では、犯罪が発生しやすくなる」と指摘している。 経済学者の吉川洋は「偶然に左右される分配を放置すれば、社会の安定を大きく損なう。よって『結果の平等』を求めるのはそれなりに合理性がある」と指摘している。 三橋貴明は「資本主義である以上、ある程度人々の間に格差が生じ拡大するのは当たり前である。歴史上、人々の間に格差が存在しなかった時代など、一度たりとも存在しない」「実際問題、日本の所得の問題は貧困率・格差拡大ではなく、名目GDPが成長していないことであり、人々の所得水準が上昇していないことにある」と指摘している。 加藤諦三は「現実の格差の大きさと、格差意識の深刻さとは関係ない」と主張する。加藤は「勝ち組」は日本以上に格差の大きいアメリカにもない概念であり、現代の日本社会でカレン・ホルナイの神経症的競争にとらわれた人たちが不必要に敵対意識を持ってしまっていることを示すものだとしている。 トマ・ピケティは日本の格差について「日本は1950年から1980年にかけて目覚ましい経済成長を遂げたが、今(2014年)の成長率は低く、人口は減少している。成長率が低い国は、経済全体のパイが拡大しないため、相続で得た資産が大きな意味を持つ。資産相続とは縁がなく、働くことで収入を得て生活する一般の人たちは、賃金が上がりづらいことから富を手にすることが難しくなっている。その結果、格差が拡大しやすい」と指摘している。 経済学者のゲイリー・ベッカーは「日本の経済格差の原因は不況であり、景気回復が続けば問題の大半は解消される」と指摘している。 社会政治学者のマルガリータ・エステベス・アベは、日本では年功序列、終身雇用の慣行に代表される正社員の雇用保護が強く、均等待遇の実現を難しくしていると指摘している。
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