制作状況
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制作スタジオは広く、スタッフの質量は通常のテレビアニメなら4シリーズ分が制作できるだけの人材が投入されたが、絵コンテで参加した安彦良和は西崎義展による会議の連続でスケジュール管理が破綻していたと証言している。そのため、現場はかなり過酷な環境であったと言われ、打ち切りは低視聴率のせいではなく、放送スケジュールに間に合わせてフィルムを納品できなくなったため、西崎の側から降りたのではないかと安彦が推測するほどであった。映像が間に合わず、シナリオだけで録音をしたという声優の証言もあり、当初加藤三郎役に起用されたキートン山田がシナリオだけの録音かつ現場の資料が乏しかった事から役が掴めずに本人曰くニヒルな悪役風の演技をしてしまい次週から新たに神谷明が起用されて降板させられたというエピソードがある。作中の七色星団会戦は、「タイガープロ(作画プロダクション)をつぶしかねないほどの日程(9人の原画マンで50日)と描きこみが行われた」とする当時の同プロダクション代表・白土武の証言もある。要因として、西崎の会議主義のために会議が多く、製作現場で描く時間がなかったことが挙げられている。後年に徳間書店から発売されたロマンアルバムなどの資料によれば、会議中に出たアイデアを説明するために作画した絵がそのまま採用されたと松崎健一は語っている。 なお、西崎は大塚康生に作画監督として本作に参加しないかと誘ったことがあるが、「戦艦が空を飛ぶというのが理解できない」として即座に断られている。
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制作状況
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「宇宙戦艦ヤマト 完結編」の記事における「制作状況」の解説
本作が公開された1983年春は、『うる星やつら オンリー・ユー』、『幻魔大戦』、『クラッシャージョウ』と長編アニメーションの公開が重なり、掛け持ち状態の主要スタッフが多かった。 本作の公開は、1981年4月放送の『宇宙戦艦ヤマトIII』最終回で1982年夏予定と告知されたが、製作作業の遅れから1983年3月12日に延期され、『クラッシャージョウ』『幻魔大戦』と同日公開と決定される。しかしさらに1週間延期されて19日公開と改められるも、音楽ダビングの予定が遅れたことから完成は18日昼過ぎとなり、19日朝からの全国110館での一斉公開は不可能になった。上映プリントの輸送が遅れたのは、北海道、九州が全館、東北、北陸では一部で、約30館が影響を受けた。早いところでは19日中にフィルムが届いて同日中に半日遅れで上映されたが、翌20日からの公開となったところがあった。 後に再編集された70ミリ・6chステレオ版が完全版として1983年11月5日に公開されている。
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制作状況
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企画当初、MAC(宇宙パトロール隊)の隊長は地球人・川上鉄太郎であり、ゲンの正体を知って鍛錬・協力する設定であった。川上役には森次晃嗣を起用する予定だったが、森次がウルトラシリーズでダン以外の役を演じることに異を唱えて出演を逡巡。制作側は隊長をダンに変更して再度オファーを行って了承を得たが、第1話でダン(ウルトラセブン)が負傷してセブンへの変身能力を失う設定が加わった。 第16話までの本作品のハードな展開は、制作サイドのイメージよりも「ウルトラ」の視聴者層が低年齢化していたこともあり、『タロウ』の明るい作風からの落差もあって低年齢層の視聴者の反応が芳しくなく、1クール目の視聴率は14.1%という、当時としては低い結果となった。これに対し、第17話からは序盤の特色であった過酷な特訓描写は徐々に抑えられるようになり、前作までと同様の「怪奇シリーズ」や「民話シリーズ」を導入し、『タロウ』同様のコメディ調の話も混ざるようになる。 視聴率の低迷に加えて当時のオイルショックによる物価高騰などが制作体制を直撃し、番組は制作費の緊縮を余儀なくされてしまう。ギャラの節約を狙ったレギュラーの削減や、毎回の怪獣着ぐるみの製造費・防衛チーム基地のセット維持費などのカットが断行された結果、番組はホームドラマ志向に近い大幅な路線変更を強いられることになった。 当時、同人サークル「怪獣倶楽部」に所属していた原口智生は、自身は参加していないが怪獣倶楽部のメンバーが円谷プロダクションプロデューサーの熊谷健に呼ばれ、「カプセル怪獣」や「円盤生物」などの強化案を提案したと証言している。 最終(第4)クールはウルトラの国を巻き込んだ宇宙戦争を描くという案もあり、第38・39話はその名残である。この案は後に『ザ☆ウルトラマン』に引き継がれている。 こうした状況が「努力が実り始めると特訓の必要もなくなり、ダンから独り立ちし始める」というゲンの激動の成長ドラマとして機能。最終的には当初のテーマに沿う内容として結実したが、年間平均視聴率は10.9%にとどまった。 本作品をもって第2期ウルトラシリーズは終了となるが、メインライターの田口成光は本作品が『タロウ』の視聴率を越えられないことは予想できており、当初からシリーズに区切りを付けることが決まっていたと証言。『毎日新聞』の1975年3月13日付の夕刊で「さよならウルトラマン」と題し、本作と第2期ウルトラシリーズ終了を報じた。
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「フィンガー5の大冒険」の記事における「制作状況」の解説
本作品は東映まんがまつりの目玉として東映社長の岡田茂により発案された。当初は東映東京撮影所で制作される予定であったが、当時人気絶頂であったフィンガー5のスケジュールを確保することが難しいため東京撮影所側は撮影不能と判断し、東映テレビ部の渡邊亮徳の申し出によりテレビ部が引き受け、実制作は東映生田スタジオが担当した。 東映生田スタジオ所長の内田有作は、困難な状況から並の監督では尻込みするだろうと考え、『仮面ライダー』などで監督経験もあった石森に打診された。 撮影はフィンガー5の地方公演の合間を縫って3日半で行われた。
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本作品が掲載された『かはいい唱歌』は「幼稚園又は小学校初年級程度」の子どもを対象として作成されている。青木は当時「文部省図書監修官」及び「小学校唱歌教科書編纂委員」の任にあったものの、この唱歌集は私的に民間の出版社から出したものであり、いわゆる文部省編纂の「文部省唱歌」にはあたらない。「一冊目」「二冊目」ともに10編、計20編が収録されており、本作品は「二冊目」の第7番目に掲載されている。作詞は全て青木自身であり、青木の詞に曲をつけた作曲者は計12名、本作品の作曲者である梁田貞は『兎と狸』と併せ計2曲の作曲を担当している。青木の前職は東京音楽学校の教授であり、作曲者は主にその在学生、卒業生、そして同学校で教鞭を執った者で構成されている。梁田も卒業生である。だが作曲の依頼が、青木自身によって成されたものかは不明である。青木と梁田の個人的接点が見つからないため、作曲者の選定及び依頼は、青木ではなく当時音楽関連の書籍を多く出版していた出版社(共益商社書店)が主導で行ったのではないかと考える研究者もいる。
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「こちら葛飾区亀有公園前派出所 (アニメ)」の記事における「制作状況」の解説
1997年のポケモンショック以後、各局のテレビアニメでは番組冒頭で視聴者向けに「部屋を明るくして、テレビから離れて見るように」といった趣旨のテロップを流すようになったが、本作では第92話より登場人物が合唱して「♪テ、テ、テレビを見るときはぁ 部屋を明るくしてはなれて見てね!」という注意を促し、オープニングが「だまって俺についてこい」の時は20世紀フォックスのロゴをモチーフとした「注意ロゴ」の前で両津が視聴者に「テレビを見る時は、部屋を明るくして離れて見てくれよな!」と口頭で注意を促すというユニークな手法を取った(このオープニングの変更後は廃止され、通常の画面上に出る注意書きになった)。監督の高松信司はこの手法をとった理由について「テロップが本編にあまりにも無配慮に流れるのが嫌だったため、アニメキャラクターによる勧告を制作した」としている。 初代監督のやすみ哲夫は、初期の1クール分のみ担当した。『キテレツ大百科』の後番組だったこともあり、当初は低年齢層を狙ったギャグやオリジナル展開が多く、原作ファンから不満の声が挙がっていたが、やすみは元々短期の予定であり不評のために降板したわけではない。やすみは『こち亀』以前の作品では『つるピカハゲ丸くん』や『おぼっちゃまくん』などを手掛けており、幼児・小学生向け作品を得意としていた。 人気が安定してきたのはかつて『勇者シリーズ』の一部作品(マイトガイン、ジェイデッカー、ゴルドラン)や『機動新世紀ガンダムX』などのサンライズ作品で監督を手掛けた実績がある高松信司に交代したころであり、原作よりも大げさなアクションシーンやギャグなどが大いに受けた。高松は『こち亀』での功績がジャンプ編集部から評価され『銀魂』のアニメ化の際に監督に指名されている。 当初はセル画で制作されていたが、第122話から第148話までは一部のエピソードでデジタル制作が試験的に開始され(うち1話分全てがデジタルで制作されたのは122話、145話、146話)、149話からデジタル制作に完全移行した。例外としてTVSP8弾はセル画で制作された。 作画もシリーズが進むに連れ変化しており、セル画時代、特に1996年から1997年の間は作画の変化が激しかった。デジタル制作化以降はほぼ変化はなくなっている。 また、序盤のみ前番組同様完全にフィルムで制作されていたが、第7話からそれをVTRにテレシネをした上で局に納品される方式を採用した為、デジタル化するまではぼやけた色合いとなっていた。また、オープニングやエンディングに使われるテロップなども写植を紙焼きしたものから電子テロップへと変わった。 1996年放送分は2回目のCMの前後のアイキャッチがなく、本編の最後に警察を意識して「本日の被害」と題して、その回の中で両津が壊した物品の一覧を紹介するコーナー(例外で麗子が壊した車2台、本田が壊した車18台+病院を紹介した時がある)があったが、1997年1月以降はアイキャッチが作られたため「本日の被害」は時間の都合上廃止された。 アイキャッチは当初、原作の扉絵を意識した各キャラと車のツーショットが多く見られた。デジタル化以降は放送当時の出来事を反映したもの(例:サッカーワールドカップ日韓大会など)や、その回に関係のあるアイテム(1万円札、テディベア、雛人形、コンセント、レモンなど)に両津の繋がり眉毛をつけた物のアップが映されていた。特にレモンは擬宝珠檸檬が主役を務める回には必ずと言っていいほど使用された。また、夏季は両津の顔のデザインの花火、冬季は両津の雪像のアイキャッチが流れていた(この際、タイトルがタイトルロゴではなく黒い明朝体で「こちら葛飾区亀有公園前派出所」と表記される)。ただし、回によってはアイキャッチが無く、2回目のCM入り前に画面左下もしくは右下にタイトルロゴだけが表示されていた。 アニメのサブタイトルの画像は1996年は敬礼している両津一人の画像。1997年は自転車に乗っている両津とそれを追いかける中川、麗子、大原、本田、犬の画像。1998年から2001年までは青色の画面で両津の顔のアップの画像。2002年から2004年までのデジタル化以降はたくさんの両津の顔の浮き彫りに加工が施された画像。2004年はその回の画像がパズルのようにバラバラになっており、それでピースが組み合わさって完成するような形になった(話によって例外もある)。一時的に1998年の第86話から第90話まではその話に関係ある物、主に背景が画像になっていた。 また、次回予告は第100話までEDの前であったが、第101話以降はED後に流された。基本は両津がナレーター、タイトルコールをし「よろしくな!」(第1話のみ「よろしく!」)といって締めるが、話の主役が両津以外の場合、そのキャラクターが担当する。なお、2001年に放送された「視聴率を盗んだ男」(第204話)の予告映像で、ギャグとして「視聴率調査の機械がある方は必ず見てね!」とテロップを出したところ、ビデオリサーチから連絡(内容の確認要請)があったという。 第234話Bパートの「住人と色」では原作者の秋本治が「禾火本三台」名義で絵コンテを担当している(原作者の秋本は「こち亀」連載前にタツノコプロでアニメーターを経験したことがある)。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 09:26 UTC 版)
「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」の記事における「制作状況」の解説
ヤマトシリーズ40周年記念作品という都合から、何としても2014年内に公開しなければならなかったが、制作日程はかなり逼迫していた模様で、アフレコ段階では画も完成しておらず、プロデューサーの郡司幹雄は社内で「諦めなよ」などと言われたこともあったと述べている。2014年12月の公開時の舞台挨拶も、出渕をはじめとする主要制作スタッフは登壇する余裕がなく、実際に公開された本編も作画未修正のままのシーンが散見され、BD/DVDにおいて大幅なリテイクが施された。
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