アジアにおける評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:44 UTC 版)
東南アジア 太平洋戦争において西欧諸国の植民地統治より大日本帝国に占領されたマレーシア、インドネシア、ビルマ(ミャンマー)や、末期まで日本の同盟国となっていたタイ王国などの東南アジアの歴史学者の一部は、太平洋戦争とそれに続くソ連の支援によるアジア各地の独立戦争を一連の流れとして考えており、英仏などの戦勝国が日本の戦争責任を追及することについて「西欧によるアジア植民地の歴史を歪曲することだ」と断じている。当時の東南アジアにおいてタイ王国以外の全ての東南アジア地域は西側ヨーロッパやアメリカの植民地もしくは隷属地であったため(ただしフィリピンは太平洋戦争以前にアメリカとの独立が約束されていた)太平洋戦争を人種間戦争とみる歴史観も存在した。(1) 太平洋戦争がこれらの地域の植民地支配からの解放に寄与したとして肯定的に評価しているケース、(2) 教育や政府機関、軍事力を整えたことを肯定しているケース、(3) 戦後、再びアジアを植民地化しようと再上陸してきたヨーロッパ宗主国(英仏蘭)に対して、旧日本軍の残党と共に戦ったことを好意的に評価しているケース、(4) 日本軍の後盾で政権についた政治家(例:ベトナムのバオ・ダイ)の都合で親日的姿勢をとったケースなど肯定派の歴史観は様々である。 一方でベトナム建国の父ホー・チ・ミンがベトナム独立宣言で述べたように日本の統治を欧米列強と同じ「植民地主義」と解釈する見方もあり(フランス領インドシナは枢軸国に友好的なヴィシー・フランスの海外領土であり、日本はフランス政府の植民地政庁を温存した)、実際に日本軍占領地帯には現地住民からなる多くの抗日ゲリラが存在した。またインドネシア、フィリピンなど日本軍の過酷な占領統治で多くの被害を出した国は戦後、日本に賠償を請求している。否定派の主な歴史観は(1)太平洋戦争が日本による資源収奪戦争だと規定し否定的に評価するケース、(2)日本は枢軸派の植民地(フランス領インドシナ)では白人支配体制を温存したため人種間戦争ではないと評価するケース、(3)日本軍の占領統治の過程で発生した強制労働や大量餓死を非難するケース、(4)大戦中に抗日ゲリラであった政治家が独立を主導したケースなどが挙げられる。 ベトナム 1941年のフランス領インドシナ進駐のさい日本軍はアジア解放の大義面分とは矛盾するフランスの植民地統治機構を温存する方針を決定し、インドシナは1945年まで日仏の二重支配を受けた。日仏の過酷な支配と搾取によりベトナムでは餓死者200万人とも推計される1945年ベトナム飢饉が発生した。前述のように、ホー・チ・ミンはベトナム独立宣言において日本軍の植民地支配を厳しく非難している。 原文Mùa thu năm 1940, phát xít Nhật đến xâm lăng Đông Dương để mở thêm căn cứ đánh Đồng Minh, thì bọn thực dân Pháp quỳ gối đầu hàng, mở cửa nước ta rước Nhật. Từ đó dân ta chịu hai tầng xiềng xích: Pháp và Nhật. Từ đó dân ta càng cực khổ, nghèo nàn. Kết quả là cuối năm ngoái sang đầu năm nay, từ Quảng Trị đến Bắc kỳ, hơn hai triệu đồng bào ta bị chết đói.…Sự thật là từ mùa thu năm 1940, nước ta đã thành thuộc địa của Nhật, chứ không phải thuộc địa của Pháp nữa. Khi Nhật hàng Đồng minh thì nhân dân cả nước ta đã nổi dậy giành chính quyền, lập nên nước Việt Nam Dân chủ Cộng hòa. 日本語訳1940年の秋に、ファシスト日本(日本のファシズム)が連合国との戦いにおいて新しい基地を確立する為にインドシナ半島の領域を荒らした時、フランスの帝国主義者は彼らに膝を曲げてひざまずいて、我々の国を彼らに手渡した。このように、その日付から、我々の身内は、フランス人と日本人の二重の軛に服従した。彼らの苦しみと惨めさは増加した。結果は、昨年の終わりから今年の初めまで、クアンチ省からベトナム北部に至るまで、我々の仲間の市民のうちの200万人が飢餓で死んだ。(中略)1940年の秋から、我々の国は実際にフランスの植民地であるのをやめて、日本の所有になった。日本人が連合国に降伏したあと、我々の全部の仲間は我々の国家主権を回復して、ベトナム民主共和国を起こす為に蜂起した。真実は、我々はフランスからではなく、日本から我々の独立をもぎ取った。 インドネシア インドネシアでは太平洋戦争終戦後、すぐにオランダとの独立戦争(インドネシア独立戦争)となったが、独立には残留日本兵も関与したこともあり、日本軍の一部兵士は独立の英雄として讃えられた。他方、日本軍による強制労働により、多くのインドネシアの若者が犠牲になった。戦後の賠償交渉では、インドネシア政府は労務者の総動員数を400万人と主張している。 ビルマ 三十人の志士のメンバーの一人であったバー・モウは日本の大東亜戦争とそれに伴った欧米諸国による植民地主義からのアジア解放を日本軍による収奪などの批判を加えながらも、概ね高く評価している。 原文…so much of what they did during the war in Southeast Asia, whether it was right or wrong, always appeared to be wrong to the people there.… The case of Japan is indeed tragic. Looking at it historically, no nation has done so much to liberate Asia from white domination, yet no nation has been so misunderstood by the very peoples whom it has helped either to liberate or to set an example to in many things.Japan was betrayed by her militarists and their racial fantasies.Had her Asian instincts been true, had she only been faithful to the concept of Asia for the Asians that she herself had proclaimed at the beginning of the war, Japan's fate. would have been very different.No military defeat could then have robbed her of the trust and gratitude of half of Asia or even more, and that would have mattered a great deal in finding for her a new, great, and abiding place in a postwar world in which Asia was coming into her own. 日本語訳日本人は、日本軍が戦争中東南アジアで行った数々の行為が良いことだったかのか悪いことだったのかを問われるといつも日本軍は悪いことを行ったと答えているように私は思ってしまう。(中略) 日本については本当に悲惨的だ。歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない。もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、商機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北も、アジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本のために惜しむのである。 名桜大学教授 (ビルマ史専攻)のドナルド・M・シーキンズ (DONALD M. SEEKINS) は、ビルマ人が現在に至るまで自国の民族対立史と隣国の政治的工作に囚われ続けているが故、"日本はビルマを白人支配から解放したのか"という論理は不適切であり、真の解放は未だ成し遂げられていないと主張している。以下原文を参考。 Against this background, the question – did the Japanese liberate Burma from colonial rule? – becomes irrelevant, since Burma remains hostage to its own history of ethnic confrontation and the manipulations of its neighbours. True national liberation, internal liberation, has not been achieved. マレーシア 多民族国家マレーシアでは、太平洋戦争についての見解は多様である。否定的評価としては、1988年版の歴史教科書の「日本は、マレー人の解放獲得への期待を裏切った。日本人はマラヤを、まるで自分たちの植民地であるかのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座を奪ったのだ。日本人の支配はイギリスよりずっとひどかった」というものがあり、日本軍による食糧の独占や経済政策の失敗によるインフレーションの悪影響についても記述されている。日本軍統治時代のマレー人死亡率は英国統治時代の約二倍に達し、英軍がマレーを再占領した時には児童の35%が貧血で、30%がビタミン欠乏症であった。 肯定的評価としては、日本による統治が、英仏蘭などヨーロッパ諸国によるアジア植民地支配を駆逐し、アジア人自身を覚醒させたとして評価するものがある。特にマレー人の間では、イギリスによる長い植民地統治による愚民化政策と西洋文明の浸透(文化侵略)などによって、独自のアイデンティティーを喪失したという論調が強いとされる。戦争当時、マレー人は英国人と比べて極めて低い権利しか与えられず、いわゆる奴隷であった。当時のマレー系住民は自らを支配する存在である「白人」が無敵で、絶対的な存在だと信じていた。しかし、英国東洋艦隊が同じ東洋人である日本人によって撃滅されたことや、イギリス帝国絶対不敗神話の象徴だったシンガポールが陥落したこと、イギリス軍が焦土作戦のため、徹底的に破壊した発電所や工場などの都市設備を日本人がいとも簡単に短期間のうちに復旧させてみせたことなどを目の当たりにし、大きな衝撃を受けた。この出来事は長い間、支配に甘んじてきたマレー系住民の意識を変える転機となり、独立心を芽生えさせた。ただし、戦後の西側ヨーロッパからのアジア独立運動においては白人国家であるソ連の支援が強い影響を与えていた。またアジアに植民地を持っていた西側ヨーロッパは欧州本国での大戦により戦後、米ソの台頭に対して既に主導権は失っていた。 このほか、植民地統治の過程で流入した華僑や印僑などの異民族との抗争を経験をしたことから、ヨーロッパ各国が行った行為に対する批判が強く、ヨーロッパ(特に英仏蘭)のメディアが日本軍による戦争を批判することに対しては、ヨーロッパ各国が行った植民地支配の歴史を歪曲しようとしているとして批判的な立場をとっている。チャンドラ・ムザファー(英語版)は「欧州は、日本とアジアを分断するために、日本批判を繰り返しているのではないか」と発言したり、マハティール・ビン・モハマド首相は「もしも過去のことを問題にするなら、マレーシアはイギリスやオランダやポルトガルと話をすることが出来ない。…我々は彼らと戦争をしたことがあるからだ。もちろん、そういう出来事が過去にあったことを忘れたわけではないが、今は現在に基づいて関係を築いていくべきだ。マレーシアは、日本に謝罪を求めたりはしない。謝罪するよりも、もっと社会と市場を開放してもらいたいのだ。」と発言しており、ほかルックイースト政策などでも窺える。 他方、大戦中は、民族系統に問わず日本軍に協力した者や抗日活動に身を投じた者もおり、このうち抗日運動に身を投じたのは華人系の住民が圧倒的に多く、これは日中戦争が影響している。マラヤの華僑は故国のため、国民党政府軍に物心両面の援助を惜しまなかった。中国大陸に渡り抗日軍に身を投じたり、中国国民党組織に向けて情報提供したりする者、抗日救国運動に力を注ぐ人々もいた。華人系マレー人のオン・カティン住宅・地方自治相は、小泉純一郎首相が2001年8月13日に靖国神社に参拝した時、「私は、この歴史教科書と首相の靖国神社参拝への抗議の意思を表明する先頭に立ちたい」「侵略戦争を正しい戦争と教えることは、次の世代を誤って導くことになる」と述べている。 台湾(中華民国) 当時は日本統治下であった台湾島では戦時中、アメリカ軍やイギリス軍による空襲や機銃掃射などはあったが、地上戦は行われなかった。また、台湾自体が兵站基地であったため、食糧など物資の欠乏もそれほど深刻ではなかった。また戦後の国共内戦で敗北し、台湾に移ってきた中国国民党の強権統治に対する批判により、相対的に日本の統治政策を評価する人もいる。 戦時には台湾でも徴兵制や志願兵制度などによる動員が行われ、多くの台湾人が戦地へと赴いた。これについての評価も分かれている。当時は日本国民であったのだから当然のことではあるが、不当な強制連行であったと批判する人もいる。「当時は日本国民であったのに靖国神社に死後祀られないのは差別である」と批判をする人もいれば、その反対に「靖国神社への合祀は宗教的人格権の侵害である」として日本政府を提訴している人もいる。また、戦後、軍人恩給の支給などについて日本人の軍人軍属と(講和条約により日本政府が台湾の統治権を放棄したことで別国家の扱いになったため)区別して取り扱いがなされたことに対する批判もある。現在台湾では、太平洋戦争やその前段階の日本統治時代についてどう評価するかについては政治的な論点の一つとなっている。 中華人民共和国 中華人民共和国(1949年以後の中国共産党政権)は当時存在していなかった国家であるものの、国共内戦の結果中国大陸の統治を中華民国から引き継いだこともあり、官民ともに日本の責任を厳しく問う意見が強い。日本軍による占領政策への否定的評価としては、徴用に伴う虐待や徴発・軍票体制による旧経済の混乱、農産品市場の脆弱さに伴う飢餓の発生などが論点として挙げられる。また「満州帝国は日本の傀儡国家であった」として、官民ともにこれを批判するものがほとんどである。 朝鮮半島 当時日本の統治下にあった朝鮮半島(その後韓国、北朝鮮として独立)では、官民ともに日本の責任を厳しく問う意見が強い。戦時には朝鮮半島でも徴兵制や志願兵制度などによる動員が行われ、日本や台湾の日本人同様に多くの朝鮮人が戦地へと赴いた。日本による戦時政策への否定的評価としては、戦前から続いた日本化教育の実施や、徴用や徴発による経済の混乱などが論点として挙げられる。 「反日#朝鮮民族の反日」、「日本の慰安婦問題」、および「徴用工訴訟問題」も参照 肯定的な評価としては、戦前から続いていた日本軍における教育や訓練が、有能で才能ある現地人の発掘に繋がり独立後の軍民の中核を担う人材となっていったこと、また戦前から行われていたインフラストラクチャーや教育の充実などが挙げられる。
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