アジアのトップスターに
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 20:23 UTC 版)
「ジャッキー・チェン」の記事における「アジアのトップスターに」の解説
ロー・ウェイプロと専属契約中、シーゾナル・フィルムへレンタルし、1977年、ユエン・ウーピン監督の『スネーキーモンキー 蛇拳』(1978年)に出演した。ジャッキーが独自のコメディ路線を打ち出したこの映画は高い興行成績を突破した。続く『ドランクモンキー 酔拳』(1978年)で、ジャッキーはスーパースターとしての地位を不動のものにした。次作の『クレージーモンキー 笑拳』(1979年)では監督業にも進出。1979年にはロー・ウェイプロを離れ、新たにゴールデン・ハーベスト社に移籍。ゴールデン・ハーベストで最初に製作した映画は、自ら監督と主演作を務めた『ヤングマスター 師弟出馬』(1980年)である。 1980年代に入ると、『プロジェクトA』(1984年)や『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(1985年)に代表される、自ら命懸けのスタントをこなす監督・主演作品が大ヒット。香港映画界を代表するアジアのトップスターとなった。一時期、批評家からの声に刺激され『奇蹟/ミラクル』(1989年)のような文芸路線を手がけたこともあったが、アクションを期待してるファンからの要望を受け、再びエンターテイメント路線に復帰した。 そんな華々しい活躍の中で『サンダーアーム/龍兄虎弟』(1986年)の撮影中に大怪我を負ってしまい、その後遺症で右耳がほとんど聞こえなくなってしまっている。 『プロジェクト・イーグル』(1991年)を最後に一時監督業からは退き俳優業に専念する一方、製作者として『ロアン・リンユィ 阮玲玉』(1992年)などの文芸作品も世に送り出した。
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