華々しい活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/21 02:54 UTC 版)
「ロジェ・リヴィエール」の記事における「華々しい活躍」の解説
アマチュア時代、1956年のツール・ド・ヨーロッパで総合優勝を果たし、翌1957年、ラファエル・ジェミニアーニがプレーイングマネージャーを務める、サン・ラファエルチームと契約してプロ転向。その年、フランス国内選手権・個人追い抜きにおいて、永遠のライバルとなるはずだったジャック・アンクティルを破って優勝。さらに同年の世界自転車選手権・個人追い抜きも制覇し、加えてミラノでアワーレコードも樹立(46.923km)するという、華々しい活躍ぶりを見せる。 翌1958年も世界選手権・個人追い抜きを制覇。1959年にはロードレースでも活躍を見せ、ブエルタ・ア・エスパーニャやドーフィネ・リベレにおいて区間優勝を果たした他、ツール・ド・フランスでも総合4位に入る。そして、世界選手権の個人追い抜きでは3連覇を達成。さらに再び9月23日、ミラノでアワーレコードを樹立(47.347km)。またこのアワーレコードは1967年10月30日にフェルディナント・ブラックが48.093kmを樹立するまでの間保持された。 この年のツールでは、アンクティルといさかいがあったようであるが、当時まだ23歳という若さのリヴィエールが、アンクティルを凌ぐ可能性はこの時点では十分にあった。翌1960年のツールでは、同年のジロ・デ・イタリアを制したアンクティルが不参加。一方、リヴィエールは前年に引き続きフランスナショナルチームの一員として参加。そして、一時はマイヨ・ジョーヌ争いにも加わったが、後に悲劇に見舞われることになる。
※この「華々しい活躍」の解説は、「ロジェ・リヴィエール」の解説の一部です。
「華々しい活躍」を含む「ロジェ・リヴィエール」の記事については、「ロジェ・リヴィエール」の概要を参照ください。
「華々しい活躍」の例文・使い方・用例・文例
- 華々しい活躍のページへのリンク