植民地の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 16:05 UTC 版)
イギリスが最初に恒久的な入植地を造ったのは、1724年にティモシー・ドワイト中尉の指揮でバーモントのはるか南東のダマー砦を建設したときだった。この砦で近在のダマーストンやバトルボロの入植地を守った。これらの入植地はマサチューセッツ湾植民地のコネチカット川に沿った西部境界にいる入植者を守るために造られたものだった。イギリスの2番目の入植地は南西部のベニントンで、1761年の設立だった。 フレンチ・インディアン戦争の時、イーサン・アレンを含むバーモントの入植者が植民地民兵隊に参加し、フランスを攻撃するイギリス軍を支援した。ニューヨークとバーモントの境界にあるフランスが1755年に建設したカリヨン砦は、アマースト卿の指揮するイギリス軍の攻撃を2度受けた。1758年に一度は失敗したイギリス軍は、翌年ほとんど抵抗も受けずに砦を奪取した(守備兵の大半はケベックやモントリオール、その他西部の砦の防衛に移動していた)。イギリス軍はこの砦をタイコンデロガ砦に改称した(この砦はアメリカ独立戦争の時に2回戦場となった)。 ロジャース・レンジャーズが1759年にシャンプレーン湖からケベックのサンフランソアの集落を攻撃した。その後二手に分かれて、怒っているアベナキ族の追撃から逃れ、バーモント北部を通って安全なシャンプレーン湖とニューハンプシャー植民地に戻った。 フレンチ・インディアン戦争でのフランスの敗北後、1763年のパリ条約によってこの地域はイギリスの支配下に入った。
※この「植民地の歴史」の解説は、「バーモント州の歴史」の解説の一部です。
「植民地の歴史」を含む「バーモント州の歴史」の記事については、「バーモント州の歴史」の概要を参照ください。
- 植民地の歴史のページへのリンク