植民地の混血音楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:19 UTC 版)
当時たくさんあった植民地では、都市部の中産階級はヨーロッパの芸術音楽や大衆音楽をそのまま持ち込み、農村部ではヨーロッパの民俗音楽がそのまま持ち込まれていた。が、植民地での都市の発展の中で形成された周辺部のスラム地区で、黒人や先住民の音楽とヨーロッパ系の音楽が融合して新たな音楽が生まれる現象が様々な植民地で見られている。担い手は船乗りや日雇労働者、賭博師、売春婦などのいわゆるルンペン・プロレタリアート層であった。リズムの肉体性・わざと濁らせた音色や声色・楽譜通りではない何らかの即興性などの要素を特徴とする。こうした音楽はその地域のエリート層からは下級な音楽として蔑視されたが、後にヨーロッパの民衆によって価値が見いだされて世界的な流行音楽となっていった例が多い。この種の音楽の最初期のものはスリランカとインドネシアで見られるが、後のポピュラー音楽に大きな影響を与えたのはカリブ海および南米地域のものである。
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