植民地の独立運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 10:55 UTC 版)
時を経て時代は19世紀末から20世紀に入ろうとする頃、既にスペインにかつての大帝国の面影はほとんどなかった。東アジアでは16世紀に当時のスペイン帝国で最大の版図を誇ったフェリペ2世の名前をとって名付けられたフィリピンが残るのみで、太平洋・アフリカ・西インド諸島にはほんの少数の散在した植民地しか残らなかった上に、その多くも独立運動を繰り広げていた。 フィリピンではアギナルドにより、キューバではアントニオ・マセオ、マクシモ・ゴメス、ホセ・マルティなどにより既に数十年に渡るゲリラ戦争が展開されていたが、スペイン本国はこれらの脅威に対抗しうる予算あるいは人的資源を十分に持っておらず、全ての面で不足していた。 そこでキューバにおいてキャンプを構築し、住民と独立軍を分離させて支援を止めさせる作戦を布告した。スペインはさらに反逆者と疑わしい人々の多くを処刑し、村々に残酷な仕打ちを行った。しかし1898年にはキューバ島の約半分がマクシモ・ゴメス将軍の率いる独立軍に支配され、結局スペインは立場を完全に回復することができなかった(第二次キューバ独立戦争)。
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