特殊法人化後の昭和時代とは? わかりやすく解説

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特殊法人化後の昭和時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 17:20 UTC 版)

日本放送協会の沿革」の記事における「特殊法人化後の昭和時代」の解説

年月日事柄西暦和暦元号~1950 昭和 25 5 2 放送法昭和25年法律132号)公布6 1 放送法施行同法に基づき社団法人日本放送協会一切権利義務継承した特殊法人としての日本放送協会成立社団法人日本放送協会解散11 東京テレビ試験放送開始(週2日一日3時間)。送信所は現在千代田放送会館がある千代田区紀尾井町だった。 1951 26 1 3 『紅白音楽試合改めNHK紅白歌合戦第1回)』放送第3回までは正月番組として放送された。 6 初のテレビ実況中継実験後楽園球場から日本橋三越野球中継)。 1952 27 1 23 初の国会中継2 1 海外向け放送国際放送)を再開呼称は「ラジオ日本(ラジオニッポン、Radio Japan)」)。 4 10 ラジオドラマ君の名は放送8 8 ラジオ受信契約1000万突破12 - 東京第1及び第2放送使った中波2波による「立体放送」(ステレオ放送開始試験放送同月5~7日20日最初番組土曜コンサート』を東京ローカル放送翌年2月28日から全国放送になる。 1953 28 2 1 東京アナログ総合テレビ本放送開始当時3ch)。送信所は現在千代田放送会館がある千代田区紀尾井町だった。 6 4 テレビで大相撲中継開始12 31 第4回NHK紅白歌合戦開催。この回から現在の大晦日開催変更されテレビでの放送開始。 1954 29 4 1 テレビで高校野球中継開始11 13 NHK第1・第2放送の2波を使って世界初ステレオ放送立体放送)による定時番組立体音楽堂放送開始。 1956 31 12 20 カラーテレビ実験局開局。 1957 32 24 東京局にてラジオFM放送実験放送同日19時に開始28 VHF帯によるカラーテレビジョン実験放送開始東京アナログ総合テレビにて)。 1958 33 5 16 テレビ受信契約数100万突破。 6~7頃 - 米アンペックス社製の放送用2インチVTR導入。ただし最初は、VTR国産化のための研究用使われたり、分解されたりしたという。 9 この月の「大相撲秋場所」(蔵前国技館)のリプレーにて、初め放送用2インチVTR使用始める(使用8日目頃から始めた模様)。 1959 34 1 10 東京アナログ教育テレビ本放送開始当初完成したばかりの東京タワーから1chでの送信だった。 4 6 東京地区総合教育アナログテレビ送信所入れ替え総合東京タワーから1ch教育紀尾井町から3chに(教育翌年送信所東京タワー統合)。 期日不明アンペックス社製の放送用2インチVTRを、東京大阪各々2台ずつ購入。それらを使用した番組収録送出開始する第1弾は、教育テレビ番組だった)。 1960 35 9 10 アナログテレビジョン放送NTSC方式カラー本放送総合教育テレビにて開始東京大阪)。記念番組として、長唄京鹿子娘道成寺』が総合テレビ20時から55分間カラーVTR放送1961 36 4 3 連続テレビ小説第1作娘と私』の放送開始10 - 日本で初めて、放送用2インチVTR搭載したテレビ収録車を導入する1962 37 3 1 テレビ受信契約数1000万突破10 7 NHK杯テレビ囲碁トーナメント本放送スタート期日不明 2年後東京オリンピック備え角ゴシック斜体字のNHKロゴマーク制定内幸町から神南移転後1995年CI導入まで使われた(なお、旧ロゴ流用されているのは『エデュカチオ!』で見られるのもある)。CI導入後も一部放送局局舎中継局残されている。 1963 38 4 ? 渋谷区神南1964年東京オリンピック国際放送センター着工。 7 大河ドラマ第1作花の生涯放送開始12 16 この時開設されていたFMラジオ実験放送局9局(東京・大阪・名古屋広島福岡仙台札幌松山熊本)が実用化試験放送となり、同時に東京で同放送に於けるステレオ実験放送開始される。 1964 39 10 1 東京オリンピック国際放送センター完成現在の東館(主に101スタジオなど複数テレビスタジオ)の完成1964年東京オリンピック国際放送センターとして暫定運用後、正式にNHK施設NHK放送センター以後移転完了までは便宜上渋谷放送センター」として表記)となる。 1024 東京オリンピック開催世界最初「テレビオリンピック」として、民間放送事業者と共に総力結集して放送その内開会式初めとして、レスリング体操バレーボールなど8種目競技カラー放送される12 31 第15回NHK紅白歌合戦紅白初のカラー放送になる(映像現存せず)。 1965 40 1 10 この日初日大相撲初場所から、テレビ大相撲中継カラー放送になる。当初蔵前国技館開催のみで、各地方場所は担当放送局態勢整ってからの実施となった4 3 全国要地域にFM実験局整備されFMステレオ放送全国でできるようになったため、この日放送の『夜のステレオ最終回最後に中波2波によるステレオ放送終了8 13 甲子園球場開催される全国高等学校野球選手権大会」が、この日の開会式放送からカラー化される(春の高校野球である「選抜高等学校野球大会」も、翌年3月26日開会式放送からカラー化)。 10 渋谷放送センター第1期工事完成し本格的な第1期運用開始する以降東京放送会館渋谷放送センター放送機能一部業務部署など分担させつつ、段階的に渋谷移転進めた11 渋谷放送センター第2期工事着工。 1966 41 5 ハイバンド方式による2インチVTR導入これに伴いVTRコピーによるビデオ編集装置導入。同システム稼動開始するいずれもカラー対応)。 10 26 この日から、総合テレビ19時のニュースカラー放送になる(日本ニュース番組カラー化始まり)。これを機にカラーフィルムによるニュース取材が始まる。 1967 42 - この年から、日本全国で主要報道におけるカラーフィルムでの取材開始する3 20新日本紀行』でのカラー放送開始最初は、同日放送の「南房総」の回のみがカラーだった)。同番組翌月3日放送(「五島列島」)から全面カラー化される。 1968 43 4 東京オリンピック契機としてテレビ受像機大半家庭普及したことを受け受信料体系見直しラジオ受信契約廃止され代わりにテレビの普通(白黒契約カラー契約形態変更これを期にNHK民間放送共にカラー番組大幅に増加全国のニュースも全時間帯カラー放送になる。連続テレビ小説もこの時期放送開始の『あしたこそ』からカラー放送に。 6 17 渋谷放送センター第2期工事完成運用開始西館(主に旧ニュースセンター(現・510スタジオ)などの複数テレビスタジオ音声専用スタジオなど)が完成したことにより、この頃から、放送用マスター主調設備機能全てこの渋谷放送センター移行した模様1969 44 1天と地と』、大河ドラマ初のカラー作品として放送開始3 1 超短波放送ラジオFM放送)の本放送開始。 5 NHK放送技術研究所が、世界初の2チャンネルステレオによるPCMデジタル録音機試作品完成させる。この録音機は現在、NHK放送博物館に、資料として所蔵されている。 12 21 テレビ音声多重放送2か国語放送実験放送開始(同放送初め番組は、米の劇映画『ぼくはついてる』)。 1970 45 8 9 テレビ音声多重放送ステレオ音声実験放送開始(同放送初め番組は『NHK交響楽団演奏会』)。 12 NHK UHFテレビ実験局極超短波UHF)帯によるテレビ試験放送)が東京25日)、大阪24日開始)両放送局にて開局チャンネル東西とも14chで統一)。 1971 46 10 10 総合テレビ全国放送全面カラー化本土のみ。最後カラー化番組は『NHKのど自慢』)。 1972 47 2 28 午前9時40分から午後8時20分まで報道特別番組連合赤軍事件人質救出作戦始まる」が放送される5 15 沖縄施政権アメリカ合衆国から返還。これにより沖縄放送協会業務継承しNHK沖縄放送局発足同時に地上アナログ放送総合教育2チャンネル化が完了し沖縄でも全面カラー化6 25 1945年3月23日以来中断していた沖縄県での中波総合放送ラジオ第1放送)が復活同時に中波教育放送ラジオ第2放送)が開始されようやく中波放送全国ネットワーク完成11 渋谷放送センター本館(現:NHKホール)、完成1973 48 6 20 渋谷放送センター本館運用開始杮落しとして先ず、ラインベルガーオルガン演奏会が行われ、その後NHKイタリアオペラ公演オペラアイーダ」(ヴェルディ作曲)などが上演された。 7 31 渋谷放送センターへの移転完了し新生放送センター運用全面的に開始これに伴いそれまで本部置かれていた東京放送会館廃止された。跡地現在の日比谷シティ渋谷移転から4ヶ月後に、現在の都営地下鉄三田線開通し内幸町駅開業した12 31 第24回NHK紅白歌合戦渋谷放送センター本館から生放送以後紅白全て渋谷放送センター本館(現:NHKホール)からの放送となった1974 49 1 16 第1次オイルショックに伴いテレビ放送昼間深夜放送一部休止。* 昼間総合テレビUHF試験放送15時16時台前半(月~金のみ)、教育テレビ14時後半17時台前半放送休止に。深夜23時放送打ち切りとなる。* また、1974年度のNHK予算緊縮型となり、超小規模局を中心にした放送局廃止単なる中継局化、代替となる報道部通信室設置)で、70放送局態勢移行アナウンサーはほぼ現在の54放送局集約された。 3 24 沖縄局での放送開始により、超短波放送ラジオFM放送)の全国ネットワーク完成4 1 夜のワイドニュース番組先駈けとなる「ニュースセンター9時開始9 9 昼間の放送休止解除される1975 50 4 7 UHFテレビ試験放送終了1977 52 8 6 東京FMローカル番組FMリクエストアワー』にて、局初のPCMデジタル録音によるプログラム放送する10 1 教育テレビ全面カラー化。これにより日本のテレビ番組からは過去の番組再放送外国映画演出上の意図での白黒での制作など、一部例外除き白黒放送消滅する前日9月30日の『教師の時間「“自己理解”の指導」』が日本最後白黒放送であった11 11 全国FM放送ローカル放送ステレオ工事完了FM放送ローカル番組全局ステレオ放送できるようになる1978 53 10 1 * 東京大阪総合テレビにおいて、標準テレビジョン音声多重実用化試験放送開始。* 東京-名古屋-大阪間でPCMデジタル方式によるFMステレオ回線運用開始11 23 国際的取り決めに基づき、JST9時をもってラジオ第1・第2の中波放送送信周波数一斉変更(10kHzごとから9kHzごと)。まだ24時間化されるであったため、当日の放送開始から9時までは「試験放送扱いだった。 1979 54 10 東京普門館行われたカラヤン指揮ベルリン・フィル公演の中から4演目分を、NHK放送技術研究所三菱電機共同開発した最新オープンリール式PCMデジタル録音機にて収録その内3演目同年12月2527日FM放送した(もう1つ10月21日公演ベートーヴェン作曲/交響曲第9番合唱」についてのみは同日FM生放送され一部地域モノラル放送)、同時にデジタル収録した演奏同月31日FM再放送された(この時の送出テープアナログだった))。 12 24 PCM方式によるFMステレオ回線が、札幌仙台金沢広島松山福岡開通。これにより、沖縄県を除く全国で、それを基にしたステレオネットワークが運用開始ステレオでの全国生中継放送可能になる1982 57 17 東京などを皮切りに総合テレビ標準テレビジョン音声多重本放送開始1986年全国整備完了)。 1984 59 4 * 平日総合テレビ放送終了24:00となり、オイルショックから続いていた深夜放送休止全面解除。* 沖縄PCM方式によるFMステレオ回線開通全国FMステレオ生中継可能になり、また、沖縄県全国放送FM番組がやっとステレオ放送できるようになったそれまで全国放送番組全部モノラルだった)。 5 12 衛星放送試験放送開始世界初となる一般視聴者向けの人工衛星利用した放送番組配信である。当初視聴困難地域補完対策としての放送2チャンネル体制を行う予定だったが、衛星太陽電池不具合見つかったためNHK衛星第1テレビジョン1チャンネルのみで放送開始した)。 1985 60 4 番組紹介ミニ番組テレマップ放送開始11 総合テレビ標準テレビジョン文字多重放送開始1986年全国整備完了)。 12 25 NHK衛星第2テレビジョン試験放送開始これに伴い1984年衛星放送開局当初から予定され2チャンネル体制確立され第1放送総合テレビ第2放送教育テレビ難視聴地域への対策補完放送実施される1986 61 期日不明 総合テレビ音声多重放送全国整備完了。同放送全国実施されるうになる1987 62 7 4 衛星第1テレビ(BS1)で24時間放送と、独自の番組編成開始。ただし当時春分秋分時期には地球による「食」のための放送休止期間があって1997年春分時期まで続いた1989年6月以降衛星第2テレビBS2)も同様。 1988 63 4 * FM放送放送終了時間24:00から翌日の1:00繰り下げ。* 『NHKモーニングワイド開始。* 『イブニングネットワーク開始に伴い中京広域圏関西広域圏行われていた府県別ローカルニュースワイドを廃止同時に他の府県放送廃止あるいは大幅に縮小される。 7 22 機構改革実施小樽岩見沢の両放送局札幌放送局報道室に、弘前八戸青森)、鶴岡山形)、郡山・いわき(福島)、松本長野)、浜松静岡)、豊橋名古屋)、高山岐阜)、姫路神戸)、米子鳥取)、福山広島)、下関山口並びに佐世保長崎)の14放送局を、所在各県県庁所在地にある放送局支局に、それぞれ格下げ孰れも、FMコールサイン持っていなかった(放送部組織無く所属アナウンサーが居なかった)ことが格下げ引き金となった9 19 昭和天皇重体。この日より総合テレビ衛星第2テレビラジオ第1放送FM放送深夜放送終了後から翌日放送開始時までの休止時間帯を利用し終夜放送臨時実施(毎正時昭和天皇病状伝えニュース送り、それ以後フィラーとしてクラシック音楽放送した)。 1989 64 1 7 昭和天皇崩御。関係報道に伴い、「連続テレビ小説史上初の放送休止以後翌日深夜まで特別編成(教育放送とBS1除く)に切り替えた

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