大蔵省 関連紛争や諸問題

大蔵省

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/07 00:51 UTC 版)

関連紛争や諸問題

関連紛争

その他

不祥事

大蔵省出身の著名人(財務省も含む)

政界

首相経験者

主な大臣経験者

その他政治家

財界

日本銀行総裁

東証理事長

その他

地銀など

学界

その他

エピソード

関東大震災、大手町官庁街大火

林忠恕が設計し、1872年(明治5年)に竣工した大蔵省庁舎は、1923年の関東大震災で焼失した[6]大手町には仮庁舎が建てられ、約17年間使い続けられた。その後、霞が関への移転が決まり新庁舎の建設が進んだ 1940年(昭和15年)6月20日、落雷により大手町の官庁街一帯が焼失、大蔵省庁舎も全焼した[7]

平将門の首塚

関東大震災の直後、政府は当時の大蔵省敷地内にあった平将門の首塚を取り壊し、そこに仮庁舎の建設を計画した。しかし、時の大蔵大臣早速整爾ほか十四名が相次いで亡くなり、将門の祟りかと言われた。政府は首塚を元の様に戻している。また1940年(昭和15年)は将門没後千年目であったが、激しい落雷で当時の大蔵省を始めとする官庁街は火災のために全焼し、大蔵大臣が将門鎮魂祭を催したという。

東京大学運動会漕艇部との繋がり

東京大学運動会漕艇部は、大蔵官僚予備軍ともいわれており、大蔵省の指定コースになっている。竹内道雄(元次官・1944年入省・東大法)と吉瀬維哉(元次官・1946年入省・東大法)が、東京大学に入学したばかりの長岡実(元次官・1948年入省・東大法)を漕艇部に勧誘し、そのまま大蔵省まで連れてきたことが始まりだとされる。それ以降、東京大学運動会漕艇部と大蔵省は密接な間柄になった[8]

漕艇部に限らず大蔵省は、東京大学の運動部でキャプテンやマネージャーとして活躍した人間を好んで採用しているが、これは官僚という職業は、国家試験をパスするだけでなく、文武両道の優れた人材でなければ務まらないという事情からきている。また、運動部は組織で機能している点が役所の体質と酷似しており、組織のバランスを考えて行動できる人材を必要としている大蔵省の要求にも適っているからである[8]

「霊安室」

大蔵官僚は特に年末の予算編成期は多忙であり徹夜続きになることが多いため仮眠室が庁舎内に用意されているが、当初は地階の一室でゴロ寝する形であったため隠語で「霊安室」と呼ばれていた。その後1階に移り、二段ベッドの設備になって呼ばれなくなったが、かわってホテルオークラにかけて「ホテル大蔵」とあだ名されるようになったという。


  1. ^ Weblio 大蔵省 [1]
  2. ^ コトバンク MOF担 [2]
  3. ^ a b 川北隆雄 『官僚たちの縄張り』 新潮社 p.225~226
  4. ^ 岡崎久彦「真の保守とは何か」PHP新書、2010年、P129
  5. ^ 元大蔵官僚で大蔵大臣を2度務めた
  6. ^ 大蔵省 - 日本建築学会データベース。
  7. ^ 大蔵省、企画院など十官庁焼く(昭和15年6月21日 東京朝日新聞)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p79 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  8. ^ a b 神一行 『大蔵官僚 超エリート集団の人脈と野望』 講談社 p.89~91


「大蔵省」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大蔵省」の関連用語

大蔵省のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大蔵省のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大蔵省 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2023 GRAS Group, Inc.RSS