たい‐い【大意】
大意
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/27 16:01 UTC 版)
薩摩は、最初攘夷を主張して、幕府の開国を貶めて批判していたのに、自分が権力を握ると開国を主張し始めた。なんの一貫性もなく、当初攘夷を主張していたのは自分の野望を遂げるためであった。この罪を問わなくてはならない。 日本には、海外からの危機はあるといっても、日本固有の制度や歴史がある。しかるに、薩摩が専制権力を握ってから、あまりにも急激で無理な改革を推し進め、長い歴史の中で積み重ねられてきた制度や慣習を破壊している。その罪をどうして問わずにいられよう。 薩摩は、公家や皇族を捨て去り、自分の意に沿わぬものは排斥し、諸国の得たいの知れない人々の中で、自分たちにつき従うものばかりを出世させて取り立て、下克上の綱紀紊乱の世を招いている。その罪を問わずにはいられない。 鳥羽・伏見の戦いも、もし本当に正当な戦争を起こそうとするならば、天下の公論を定めて、罪を明らかにしてから起こすべきなのに、急に錦の御旗を利用して策謀によって幕府を朝敵に陥れて戦争を起こし、諸藩を脅迫してさらなる戊辰戦争に駆り立てている。これは、天皇の意思を自分勝手にコントロールして私怨を報いようとしている邪な謀略だ。その罪を問わなくてはならない。 薩摩の軍隊は、東日本に侵攻して以来、略奪や強姦をほしいままにし、残虐行為は限りない。しかるに、官軍を名乗って、それを太政官の規則と称している。これは、今の天皇に暴君の汚名を負わせるものだ。その罪を問わなくてはならない。 諸般の、親子兄弟同士のいろんな大名たちを戦争に駆り立てさせている。そのことを、飾り立てた言葉で正当化しているけれど、これこそ最も残酷な道徳に反することだ。その罪を問わなくてはならない。 上記のことから考えれば、薩摩のなすところは、幼い天皇を利用強制して邪悪な政治をし、天下を欺き、残虐をなし、道徳を破壊し、長い伝統や制度を破壊している。奥羽列藩同盟はこれを座視するに耐えないので、再三朝廷にその不当を訴えてきたが、天皇にはその旨は届かなかった。もし、手をこまねいて薩摩を討たなければ、天下はどうして再び晴れることがあろうか。 よって、勝ち負けや利害を問わずに、この義挙を主張する。天下の諸藩は、もし本当に忠や誠を持っているならば、奥羽列藩同盟に協力して、日本のために薩摩を倒し、失われた道義を復活させ、万民を塗炭から救い、外国からの侮りを絶ち、先祖たちの心を安んじて欲しい。もし、薩摩に篭絡されて、何が正義かも弁えず、薩摩を助けるような邪悪な徒がいるならば、軍も規律があり、許すわけにはいかない。天下の諸藩は、勇気ある決断をして欲しい。
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大意
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/21 02:27 UTC 版)
今日、人文が日進月歩、世界の列国が互いに協同扶助して、その幸福と利益をともに享受している。朕(天皇)はますます国際的交誼をおさめ、友義をあつくし、列国とともにその慶福を享受しようと思う。考えると、日進月歩の世界の大勢に遅れないように進み、文明の恵沢を列国と一緒に得ようとするのには、言うまでもなく国家内部の国力増進発展に基礎を置かねばならない。内に国運発展がなくて、なぜ文明の恵沢を享受できるだろうか。しかるに日露戦争から日も浅く、諸々の政治がますます更張するべき時である。この際上下国内で心を一つにして、忠実にその業務を励み、勤勉倹約をして財産を治めて信義を守り淳厚な風俗を形作り、贅沢なうわべ飾りを避けて質素にし、心身の緩むことのないように互いをいさめあって、自ら心を励まして活動しなければならない。 わが皇祖皇宗の神聖な遺訓とわが日本の光輝く歴史は、太陽や星のごとく輝いている。それゆえに、国民がよくこの遺訓を守り、誠心誠意をもってゆくならば、国運発展の根本はこの点にあるであろう。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 02:12 UTC 版)
厳復自身による英訳。 Firm and Stable be the "golden cup" (which means the empire) domed by the Celestial concave. In it men and things happily prosper. Glad are we who live in the time of Purity. May Heaven protect and secure us from enemies and help us to reach the truly golden age! Oh! The Blue firmament is infinitely high and the seas flow everlastingly. (日本語) 天球に覆わし黄金の甌(かめ)(帝国の意)よ強固たれ。その内の人と物に幸いと栄えあれ。喜ばしきは清らかなる世に生きる我らが生。天よ我らを守り敵より遠ざけ真なる黄金の時へと導きたまえ! おお! 青空は果てしなく広がりて海原はどこまでも波打たん。
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大意
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 10:06 UTC 版)
第一文段 国家の統治(天皇の統治大権の行使)を果たすために、憲法を発布したことを宣言している。 第二文段 歴代の天皇による統治が、国民の協力によって行われてきたことを確認している(君民共治)。 第三文段 君民共治の伝統を振り返り、これからも天皇による統治に協力することを求めている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 02:44 UTC 版)
「大日本帝国憲法における上諭」の記事における「大意」の解説
第一文段 明治天皇が国民の福利増進、君民共治の実現を目的に、国会開設の詔に従い憲法を制定したことを宣言する。 第二文段 天皇の統治大権は歴代の天皇から継承した者であり、以降歴代の天皇はこの憲法の定めに則って統治を行うべきであることを定めている。 第三文段 国民の権利及び財産を憲法および法律に則って保障することを定めている。 第四文段 帝国議会を翌明治23年(1890年)に召集、それとともに本憲法を施行することを定めている。 第五文段 帝国憲法の条文の改正について定めている。 第六文段 国務大臣に輔弼の責を、国民に国家統治(君民共治)の責を、それぞれ求めている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 13:44 UTC 版)
今日・明日の事しか考えない人々の姿を見て考えると、人の生涯は儚いものであります。まるで幻のようなものです。今は元気でも、次の瞬間には死んでしまうかもしれない。死は、年齢を問いません。だから、その日暮らしの生活ではなくて、これからの生き方を考えてください。それには阿弥陀仏に深く帰依し、称名念仏をするべきであります。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 15:55 UTC 版)
「大日本帝国憲法における告文」の記事における「大意」の解説
第一文段 明治天皇が皇祖皇宗(神武天皇および歴代天皇)に対し、自身の皇位継承以来、明治維新をはじめとする多事多難の時局を経て国家の独立を保持したことを奉告している。 第二文段 明治維新以降の、外国との国交の進展、および国内社会の急速な文明化を鑑みて憲法を制定したこと、その憲法の精神および目標とするところは、歴代天皇の統治のありようを基にしたものであること、憲法制定の目的は、天皇および国民による国家統治の基準を定め、国家機構と民生を安定させることにあることを奉告している。 第三文段 歴代天皇の神祐を祈るとともに、自ら率先してこの憲法に則って国を治めることを誓い、統治への神霊の加護を祈っている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 02:18 UTC 版)
祐清の遺品の目録の報告、それの一部を売却し葬儀の費用に宛てたこと、また葬儀にあたった僧に寄進したことを報告するとともに残った遺品の一部である「白い小袖、紬の表、布子」を形見として賜りたいと願い出る内容である。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 14:43 UTC 版)
「法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘」の記事における「大意」の解説
文面は、「推古天皇29年(621年)12月、聖徳太子の生母・穴穂部間人皇女が亡くなった。翌年正月、太子と太子の妃・膳部菩岐々美郎女(膳夫人)がともに病気になったため、膳夫人・王子・諸臣は、太子等身の釈迦像の造像を発願し、病気平癒を願った。しかし、同年2月21日に膳夫人が、翌22日には太子が亡くなり、推古天皇31年(623年)に釈迦三尊像を仏師の鞍作止利に造らせた。」という趣旨の内容である。 造像の施主たちは、銘文の前半では釈迦像の造像を発願しており、後半はその誓願どおりに造り終えたと記している。聖徳太子のために仏像を造ることが誓願であり、それは太子の生前に発せられた。その動機は太子の母の死と、太子と太子の妃が病に伏したことによる。まずは、この誓願の力によって、病気平癒を祈り、もし死に至ったときには浄土・悟りに至ることを祈念している。実際の造像は太子と太子の妃の死に際してであり、仏像を造り終えることで誓願が成就するとされている。と同時に造像の施主たちはその造像の利益によって、自分たちも現世での安穏と、死後には亡くなった3人(三主)に従って仏教に帰依し、ともに浄土・悟りに至ることを祈念している。そして末尾に造像の仏師を鞍作止利と記しているが、この時代の銘文に仏師の名前が記される例はほとんどない。施主たちが仏師の名をわざわざ記した理由は、鞍作止利が知恵者であるとともに、正しい行ないをなす者とされているがゆえに、施主の祈願に応じた仏像を造る者として、記名に値する存在であったと考えられる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 17:26 UTC 版)
月夜に男と女がいる。女は告白する。「私のお腹には赤ちゃんがいるが、それはあなたの子ではありません」 男は苦悩するが、やがて「その子は私たちの子として育てようではないか」と女を赦す。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 01:41 UTC 版)
韓国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。大清皇帝功徳碑文 愚かな朝鮮王は、偉大な清国皇帝に逆らった。 清国皇帝は愚かな朝鮮王をたしなめ、己の大罪を諭してやった。 良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。 我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆らった愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:48 UTC 版)
この蔵人殿(松平信孝、広忠の叔父)は御一門の中でも忠節の人であらせられる。去年(天文15 年(1546年))、片目八弥という者が広忠を村正の脇差で突いて逃げ出した。突き損なって駆け足に逃げてくるところを、ちょうど植村新六郎が出仕に出てきたので、出会い頭に取っ組みあい、堀の中に転び入った。そこに蔵人殿が駆け寄り、槍で突こうとして、「放せ植村!」と仰ったが、(植村は)「放しませんとも。こいつは手強い奴ですから、私ごとお突きください」と申し上げた。それならばと(蔵人殿は)八弥をお突き殺しになった。植村は高名になり、御感状を賜った。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:48 UTC 版)
三郎殿(家康の長子、松平信康)が二俣城で御自害なさることが決まった時、検使(切腹の見届け役)として渡辺半蔵守綱と天方山城守通興が遣わされた。二人が帰ってきて、三郎殿が最期に臨んで御遺言なさったこと等を泣く泣く申し伝えたので、君(徳川家康)は何とおっしゃることもできなかった。その場にいた家臣たちはみな涙を流し、本多忠勝と榊原康政の両人は、こらえかねて声をあげて泣き出したという。その後、(家康が)山城守に、今回二俣城で介錯に使用した脇差は誰の作かとお尋ねなさったので、(山城守は)千子村正だと申し上げた。君(家康)はこれをお聞きになると、「いったい奇怪で非道なこともあるものだ。その昔、安倍弥七(阿部正豊)が先君清康を尾州森山で弑逆した刀も村正の作である。私が幼年のころ駿河宮ヶ崎で小刀によって手を傷つけたのも村正である。今回、山城の脇差も同じ作だという。なんともいやはや、この作が当家に障りをもたらすことよ。今後は徳川家所有の刀剣のうちに村正の作があればみな取り捨てよ」と御命じになったという。はじめ半蔵(渡辺守綱)は、三郎殿の御自刃の様子を見ると、思いもよらず身体が震い出して、太刀を取ることができなかった。それを山城守が見かねてお側から介錯申し上げた。後年、君(家康)はご雑談の折に、「半蔵はかねてより剛強の者であるが、さすがに主の子の首打には腰を抜かしたのだなあ」と仰ったのを、山城守が伝え聞いて密かに思うことには、「半蔵がためらったものをこの山城が手にかけて介錯申し上げたとあっては、我が君のご心中はいかばかりか」と心に絶え間なくのしかかり、それから俗世の何もかもが物憂くなったのであろうか、(山城守は)徳川家を立ち去って高野山に入山し、出家して仏門に入ったという。(『柏崎物語』)
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大意
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:53 UTC 版)
「...(清国の)馬建忠が「朝鮮の国旗は清国の国旗に倣って三角形の青字に龍を描いたものにすべきである。清の国旗は黄色であり、朝鮮は清の東方に位置する国であるため、東を表す青色を旗の地色にすべきである。」と指示した。これに対し国王(高宗)は大いに憤慨し、絶対に清国の国旗を真似ないと言って、「玉色地に二つ巴の太極図を青色・赤色で描き、四隅に東西南北を表す易卦を配置した旗を今後は朝鮮の国旗と定める」と決められた。...」
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大意
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/30 08:28 UTC 版)
私の身体が香炉の様に浄らかであることを願います。 私の心が仏の智慧の火の様であることを願います。 一つひとつの思念の内に、戒と定という名の香を焚き、 十方の世界(あらゆる世界)における、三世(過去・現在・未来)のあらゆる仏を供養いたします。
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