大惨事の発生要因と教訓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 07:38 UTC 版)
「呉市山林火災」の記事における「大惨事の発生要因と教訓」の解説
前述したとおり、18名ものプロのベテラン消防士が焼死で殉職した火災は過去にも類例がなく(品川勝島倉庫爆発火災では19名の殉職者を出しているが、いずれも爆風による圧死である)、しかも消火活動中に発生した惨事であった。顛末は以下の通りである。 この山林火災の消火に当たるべく東第一小隊が先発していたが、東消防署長は後発の第二小隊を現場に先行させた。この第二小隊は東側への延焼を防ぐべく北の峰の稜線を下り、谷口に入っていた。しかし、当日は東南東へ強い風が吹いていたため、14時30分頃、炎は休耕中の農地に飛び火し、火勢を増した。第一小隊はその様子を見届け、第二小隊に退避を指示したが、既に隊長からの応答が途絶えていた。その頃には勢いを増した炎が急斜面を走り、既に谷の一帯は猛煙に包まれていたのである。この事態に第一小隊は直ちに救助活動を行ったが、16時2分に消防局員13名、16時19分に1名(この時は重傷者として救出)、残る4名の計17名が遺体で確認された。 このような事故が起こった原因として、飛び火した炎が、予想外の速度で急斜面を下ってきたことが挙げられ、消防士らが逃げ場を失ったと考えられる。これを検証すべく、消防庁の研究員が現地に赴き、過去アメリカで発生した三件の山林火災を類例として照らし合わせ、急斜面における消火活動での危険性を実証した。その結果、急炎上(flare up)と呼ばれる現象によるものと判断された。急炎上とは、斜面角度が40度を超えた場合、30度以下の場合に比べて数倍も延焼速度が増す現象である。 そして、東南東に強い風が吹いているにもかかわらず、第二小隊を風下の東側に派遣した第一小隊の判断の甘さも指摘され、固有的、局地的な気象条件を軽視していたのではないかという問題も、1954年(昭和29年)の洞爺丸台風襲来時に発生した岩内大火など過去の事例を遡って提起された。これは将来的に、消火活動にあたってその地域、地区の固有の気象条件を加味する必要性を裏付ける結果となり、全国の山間に風力計、湿度計が設けられることになった。 また、当時は空中消火など山林火災における消火技術が未熟であり、この火災でも空中消火に当たったヘリコプターは民間機一機だけであった。もし、アメリカなどのようにヘリコプター、飛行機による空中消火が主となっていれば、このような惨事は免れたのではないかと指摘されたことから、山林火災での消火技術、消火機材の充実、新型消火薬剤の開発が望まれた。特に、この火災を教訓に、この火災以後は大規模な山林火災において消防ヘリも活用されるようになった。
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