大日本帝国憲法における上諭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/24 18:37 UTC 版)
注釈
- ^ 西洋の諸国において、君主の位が何に根拠を有するとみるかについては、2つの見解がある[5]。一方は、国民主権主義に基づき、国民が主権の行使を君主に委託していると見るものであって、ベルギー憲法が君主政体をとりながらなお主権が国民に属することを明言しているのがその例である[5]。他方は、君主の位がもっぱら神意にその基礎を有すると見るものであって、ドイツの旧諸邦において君主の称号にvon Gottes Gnadenと冠しているのがその例である[6]。わが国の歴史は、そのいずれをとるものでもない[7]。
- ^ 告文において「八洲民生ノ慶福ヲ増進スヘシ」とあるのは、同じ意味である[7]。また、明治元年戊辰3月14日の御宸翰(億兆安撫国威宣揚の御宸翰)において「天下億兆一人モ其處ヲ得サル時ハ皆朕カ罪ナレハ」とあるのも同じであり、統治の大権が天皇又は皇室に属する私権ではなく、全国民の幸福のために存する公権であることを示しており、西洋諸国の中世の歴史に表れたような、いわゆる「家産国」の思想、すなわち、国家の統治権をもって君主の一個の私権となし、君主が自己の家産としてこれを子孫に伝えるものとするような思想は、全く排斥されるべきである[8]。
- ^ 告文において「外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ廣メ」とあるのは、同じ意味である[7]。これは、従来の専制政治を変じて立憲政治たらしめることを意味する[8]。すなわち、国民の翼賛を求める手段として設けられたものは帝国議会であり、議会が国民の代表者として国民に代わって大権を翼賛するのであるから、これは、議会制度の設立を意味しており、間接的には、議会が国民の代表機関であることを示している[9]。
- ^ なお、上諭のこの箇所においては、「大憲ヲ制定シ」と規定されているだけであり、「裁可」及び「公布」の字句が用いられていない上に、枢密院の諮詢を経た旨が規定されていないけれども、これらのことが省略されているからといって意味の差異があるのではないとされる[10]。
出典
- ^ 里見, p. 151.
- ^ https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/bunsho/file/216845.pdf
- ^ a b c d e 美濃部 1927, p. 52.
- ^ 美濃部 1927, pp. 52–53.
- ^ a b c d e 美濃部 1927, p. 53.
- ^ 美濃部 1927, pp. 53–54.
- ^ a b c d e f g 美濃部 1927, p. 54.
- ^ a b 美濃部 1927, p. 55.
- ^ a b c 美濃部 1927, p. 56.
- ^ 美濃部 1927, pp. 56–57.
- ^ 美濃部 1927, p. 57.
- ^ 美濃部 1927, pp. 57–58.
- ^ a b c 美濃部 1927, p. 58.
- ^ a b 美濃部 1927, p. 62.
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- 2 大日本帝国憲法における上諭の概要
- 3 大意
- 4 脚注
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