新三役場所以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 21:24 UTC 版)
7月場所で新三役の小結に昇進。同年11月場所は西前頭8枚目の地位で10勝5敗。2016年1月場所は東前頭2枚目の地位で土俵に上がり、14日目の豪栄道戦で髷掴みによる反則勝ちを得て勝ち越しを決め、場所を8勝7敗で終えた。続く3月場所では三役に復帰した。3月場所では初日に白鵬を倒し、結果この場所で白鵬に土をつけた唯一の力士となった。しかし以降は勝ち星を伸ばせず6勝9敗に留まり、またも1場所で平幕落ちが確定した。5月場所は7勝8敗で2場所連続の負け越し。7月場所は開幕から好調で、4日目までに3大関から2勝を挙げ、5日目には33連勝中の白鵬を小手投げで下し、再び白鵬の連勝を止めた。終盤までは優勝争いに絡む健闘を見せ、千秋楽の栃煌山戦で変化したことで師匠に激怒されたものの、最終的に10勝5敗で敢闘賞を獲得した。場所入り直前、スマートフォンに「応援しないけど、頑張れ」とアキレス腱断裂で休場中であった兄弟子の安美錦から冗談交じりのメッセージが届き、「自分が勝てば、励みになる」と躍進の原動力とした結果の成績であった。翌9月場所は新関脇に昇進。しかし大関以上に全敗を喫するなど4勝11敗に留まった。前頭5枚目に番付を落とした11月場所は9勝を挙げた。 2017年1月場所は前頭筆頭に番付を上げて臨んだが、大関以上を相手には不振の琴奨菊から白星をあげたのみで、12日目に負け越しが確定した。3月場所は大関以上との対戦は稀勢の里と鶴竜の2横綱との対戦のみであったが、この2人には敗れたため大関以上からは白星を挙げることができなかった。14日目の髙安戦で1分15秒9の熱戦を繰り広げるもこれに敗れて8敗と負け越しが確定、千秋楽の石浦戦で白星を収めるも結局この場所は7勝8敗に終わった。4月29日、30日の2日間に渡って行われた「ニコニコ超会議場所 2017」ではアドリブでコントを行い、ファンサービスに努めた。5月場所は三役以上の力士とは2人しか顔が合わなかった。6日目まで3勝3敗と5分であったが、残りを全て負けて3勝12敗の大敗。この場所では15番中6番で取組に15秒以上かかり、30秒以上かかったのは4番である。一方で終盤の5番では13日目を除いて6秒以内に相撲が終わっている。7月場所は初日の白星から5日目まではヌケヌケであったが、5日目から6連勝を記録しており、平幕下位にはその力を発揮した上で10日目に勝ち越し。しかし11日目以降は失速して9勝6敗に終わった。西前頭8枚目で迎えた9月場所は中盤に星を稼いで先場所に続いて9勝を挙げた。11月場所は東前頭5枚目で迎えた。序盤から黒星が先行していたが、9日目の横綱・稀勢の里戦に勝利して、自身4度目、8場所ぶりとなる金星を挙げた。ここからさらに3連勝して白星を先行させて臨んだ13日目の横綱・白鵬戦では、肩すかしで白鵬を土俵際まで追いつめるも、切り替えされて白星とはならなかった。7勝7敗で迎えた千秋楽では同郷の小結・阿武咲との取組だったが、電車道で押し出されて7勝8敗と負け越した。 2018年1月場所は10日目に7勝目を挙げたものの11日目から4連敗、それでも千秋楽に勝って8勝7敗。翌3月場所は照ノ富士と安美錦が共に十両に落ちたため、部屋の幕内力士が自身のみとなったが、3枚半上昇とやや番付運に恵まれ、西前頭2枚目の地位で土俵に上がることになった。 2019年2月16日、都内のホテルで6歳年下の夫人との結婚披露宴を開催。夫人とは2017年9月11日に婚姻届を提出し、2018年10月10日には長男が誕生した。師匠の伊勢ヶ濱、伊勢ヶ濱一門の横綱である白鵬、部屋の元横綱である日馬富士を始めとした450人が披露宴に出席した。 2020年11月場所は2013年1月場所以来となる9日目での勝ち越しを決めた。この日の時点で優勝争い首位タイとなる1敗であったが、10日目から3連敗を喫して4敗となり優勝争いから事実上脱落。13日目に白星を得たが残り全て黒星が付いてこの場所は9勝6敗に終わり、「やっぱり厳しいですね」と10勝の大台に乗れなかったことに苦い表情であった。 2022年1月場所は10日目に勝ち越しを決めるなど好調であった。勝ち越しを決めた1月18日は55歳で死去した近大の恩師・伊東勝人の命日。「勝ち越しもかかっていたので、すごい気合入りました」と話し、「大学の時、自分は左半身が多かった。不利になるので、右の使い方を徹底して教えてくれた。それが今に生きている。(勝ち越して)いい報告ができます」と伊東の指導に対する感謝を語った。
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新三役場所以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 03:41 UTC 版)
2013年5月場所で新三役(西小結)に昇進した。島根県からの新三役は、1892年6月場所の谷ノ音以来、約121年ぶりのことである。重症の痛風(詳細は後述)を治療する中で迎えたこの場所7日目に琴欧洲から三役で初白星を挙げたが、4勝11敗と大きく負け越した。9月場所は、7勝7敗で千秋楽を迎えたが対戦相手の安美錦が休場で不戦勝となり、8勝7敗と勝ち越しを決めた。場所後の10月16日には年寄名跡『君ヶ濱』を前君ケ浜親方(元関脇・北瀬海)から取得した。11月場所は、2013年5月場所以来3場所ぶりに三役復帰(西小結)した。その場所は7勝8敗と負け越した。 2014年7月場所は、13日目に左脚を痛め、14日目から左膝屈筋腱損傷により休場することとなった。休場は、2011年11月場所以来3度目。最終的に6勝8敗1休の成績で終えた。9月場所は、2日目から6連勝するなど星を伸ばし、10日目に1年ぶりの勝ち越しを決め、12日目には2013年3月場所以来の二桁10勝目を上げた。 2015年3月場所には、新関脇に昇進。島根県からの新関脇は、1894年5月場所の谷ノ音以来121年ぶりのことである。この場所は、初日から3連敗。4日目の朝の稽古で左脚を痛め、同日から左腓腹筋内側頭損傷、筋肉内血腫により休場することとなった。休場は、2014年7月場所以来4度目。新関脇の白星なしは15日制においては1971年1月場所の福の花以来2例目。7月場所は、序盤から好調をキープし、2013年3月場所以来となる11勝を挙げた。9月場所は、初日に白鵬に初めて勝利。7日目に豪栄道、9日目に稀勢の里の両大関を破ったが、最終的に6勝9敗と負け越した。11月場所では、場所前に痔の悪化で休場するかと囁かれていただけに、初日から8連敗のあと5連勝したが最終的に5勝10敗の成績で終えた。 2016年3月場所は、7敗目を喫してから6連勝で勝ち越しを決めた。11日目には通算400勝を達成した。返り三役で西小結として迎えた5月場所は、7日目までに6敗を喫し、9日目に横綱・日馬富士を破るなど見せ場は作ったが、最終的には6勝9敗で三役陥落となった。7月場所は、1横綱1大関を破るなど健闘し、千秋楽に勝ち越しを決めた。9月場所は、初日から2横綱2大関を破り4連勝。平幕力士が初日から大関以上に4連勝するのは昭和以降初めて。2日連続の金星獲得は、2015年9月場所の嘉風以来、戦後18人目。4日目の照ノ富士戦で決めた逆とったりは、2010年11月場所11日目に魁皇(現・浅香山親方)が日馬富士に決めて以来6年ぶりの決まり手だった。5日目も勝ち、6日目に琴奨菊を破り、6連勝としたが、7日目から13日目まで1勝6敗と乱調、14日目に今場所2度目の逆とったりで白星を挙げ、勝ち越しを決めた。1場所に2度逆とったりで勝利したのは幕内では初となる。2横綱を破ったことが評価され、自身初となる殊勲賞を獲得。本人は、「横綱を倒して勝ち越さないといけない。なかなかできないことだから、うれしい」とコメントを残し、翌11月場所に関脇に復帰することに関して「しっかりやることをやらないと。心の稽古も大事です」と話した。しかし9月場所中(7日目)に痔の切開手術、場所後に根治手術種をうけ、10月の秋巡業を全休。11月場所前になっても傷口がふさがらず、休場も考慮する事態となった。2015年3月場所以来の関脇復帰となった11月場所は序盤から黒星が先行、中日に綱取りを狙う豪栄道に勝利したが、最終的に5勝10敗の成績に終わった。2016年3月場所は8日目の時点で3敗と優勝争いに参加していたが、9日目に4敗目を喫して優勝争いから脱落。それでも残りは11日目以外を勝って10勝5敗。 2017年8月1日の夏巡業豊田場所の時点では下半身の怪我の状態が回復に向かっているため夏巡業の稽古土俵に連日上がり続けており、この日は錦木、正代、豪風と申し合いを行って2勝2敗であった。9月場所は10日目までで4勝6敗であったが、11日目から残りを4勝1敗として8勝7敗の勝ち越し。この場所の千秋楽の日に八角に「お前、下(十両)で取りたいか」と聞かれ、その言葉で引退という現実が突然、目の前に迫ってきた。「落ちたら次はないと思った。焦りが、やっと出た」と「稽古をしない」などと言われてばかりの隠岐の海は本気になった。秋巡業では「お願いします。ジムに連れて行ってください」と、トレーニング理論をよく知る豪風に頭を下げ、巡業地に着くと真っ先に飲み屋に向いた足をジムへと変えて、3日に1度は通った。そのジム通いは福岡入り後も続けていた。ベンチプレスは当初から70㎏もアップした。10月6日の秋巡業横浜場所では6番申し合いを行い、4勝2敗。11月場所は改心して稽古に励んだ甲斐あって10日目に勝ち越し。勝ち越しを決めたのは通算900回出場の取組であった。最終的に11勝を挙げて敢闘賞を受賞。自身が幕内で11勝を挙げたのは2015年7月場所以来。 2018年1月場所は11日目に負け越しを確定させるなど不調であり、12日目から残りを2勝2敗としたものの5勝10敗の大敗に終わった。この場所千秋楽は既に負け越していた見であったが、これより三役に登場。場所後の2月3日は、日程が重なったため例年中尊寺で行っていた節分会を欠席。代役として弟弟子の北勝富士が参加した。3月場所は3日目から5連勝して中日まで5勝3敗と白星先行であったが、14日目までは10日目の嘉風戦以外すべて黒星で大きく失速、千秋楽の碧山戦を勝つも7勝8敗の負け越し。9月場所は一進一退の星取りに終始し、場所中「みんなも病んでいるんじゃないですか。稽古場通りのことができなくて」と暗いコメントを行っていたが、14日目に勝ち越しを確定させた。千秋楽は黒星でこの場所は8勝7敗。11月場所は11日目に勝ち越しを決めるなど好調で、場所を11勝4敗で終えて自身1年ぶりの2桁白星。2018年は2017年に続いて年6場所幕内に在位した力士の中で最も番付が上下した力士となった。 2019年初場所は西前頭4枚目で迎えた。この場所は9日目に大関・豪栄道を押し倒して尻餅をつかせるなど6勝3敗とここまでは好調だったが、そこから5連敗で14日目、関脇・貴景勝に電車道で持っていかれて負け越しが決定した。千秋楽は小結・妙義龍との熱戦を制して連敗を5で止め、7勝8敗で終えた。東前頭6枚目に番付を下げた春場所は、5日目までは1勝4敗と不振だったが、6日目に大の苦手にしている宝富士を上手投げでねじ伏せると、そこから4連勝で5勝4敗と白星が先行。その後も大崩れせず12日目に7勝目を挙げて勝ち越しにリーチをかけたが、給金相撲の13日目はここまで2勝10敗と絶不調の正代にもろ差しを許して一気に寄り切られ、さらに14日目も妙義龍の首投げに裏返しになってしまった。7勝7敗で迎えた千秋楽はここまで10勝を挙げている嘉風を一気に押し出し、何とか勝ち越しを決めた。東前頭4枚目の夏場所は初日から4連敗を喫するなど場所を通して波に乗れず、千秋楽に琴奨菊に敗れて5勝10敗。西前頭8枚目に番付を落とした名古屋場所は、4日目までは1勝3敗と不調だったが、翌日から3連勝。その後は3連敗もあったが、7勝7敗で迎えた千秋楽、同じく7勝7敗だった輝を両上手を取って寄り切り、勝ち越しを決めた。2019年9月場所は初の初日からの8連勝で中日勝ち越しを決めるなど千秋楽まで優勝争いに加わり、11勝4敗の優勝次点で自身11場所ぶり4度目となる敢闘賞を受賞。なお、14日目の遠藤戦では投げの打ち合いになる前に遠藤が土俵から足を出していたため白星となったが、際どい勝負にもかかわらず物言いがつかずに行司軍配で勝負が決したため場内には遠藤の敗戦を理解できない雰囲気が漂った。西前頭筆頭と大きく番付を戻した11月場所は、2日目に大関・豪栄道から不戦勝を手にする幸運があったものの、結局は6勝9敗と負け越し、三役復帰はお預けとなった。この場所4日目の横綱・白鵬戦はもろ差しになって寄り詰めたが、土俵際で白鵬の上手投げに裏返しになって惜しくも金星獲得を逃した。 2020年1月場所、3月場所ともに千秋楽に勝ち越し。24場所ぶりの返り三役・西小結で迎えた7月場所(5月場所は中止)は9勝6敗で終え、三役として初めての勝ち越しとなったが、この場所をもう1勝していれば、15日制が定着した1949年夏場所以降で初となる関脇・小結全員2桁勝利の珍事であった(両関脇の正代と御嶽海、東小結の大栄翔は、3人とも11勝を挙げている)。
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新三役場所以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 06:25 UTC 版)
東関脇で迎えた5月場所より、立合い前に声を発することをやめた。場所直前の4月の終わりごろに喘息が発覚して1週間近く稽古を休み、172kgの体重が10kgも減ってしまったため、趣味の銭湯に行く時間を外食に充て焼き肉、焼き鳥を食べて体を戻した。場所は初日より3連敗を喫したが、6日目に先場所に続いて豪栄道を破り、7日目には鶴竜から初白星をあげて盛り返した。14日目に7場所ぶりの負け越しが決定したが、千秋楽に照ノ富士を破り7勝8敗の成績で場所を終えた。7月場所は東小結に留まったが、全く振るわず初日から9連敗、最終的に2勝13敗の大敗を喫して平幕に陥落した。しかし本人は場所後に「収穫だらけで籠の中がいっぱい。まずは整理しなきゃ」と前向きであった。西前頭8枚目まで後退した9月場所は地力の強さを見せつけて自己最速となる10日目に勝ち越しを確定させ、場所を10勝5敗の2桁白星で終えた。この場所では左膝を負傷して以降付けていたテーピングを外して相撲を取り、千秋楽の取組を終えた後の支度部屋で「テーピングしないで15日間取れたことは自信になった」とコメントした。2016年11月場所は6勝9敗の負け越しであったが、千秋楽に英乃海を立合いの張り手で失神させたことが物議をかもした。場所後の2016年度冬巡業は全休。 2017年1月1日、元保育士の一般女性と結婚。迎えた1月場所は初日から2日連続で変化気味の立合いを見せ連勝。その後も変化気味の立合いをする場面が散見されたが、3日目から6連敗。その後持ち直したものの14日目に負け越しが決まり、結婚した勢いに乗ることはできなかった。3月場所も怪我の影響で5勝10敗。4月29日、30日の2日間に渡って行われた「ニコニコ超会議場所 2017」ではアドリブでコントを行い、ファンサービスに努めた5月場所も故障に苦しみ9日目は日本相撲協会に左膝蓋靱帯断裂術後、左膝関節水腫で約3日間の安静加療を要する見込みと診断書を提出して休場。琴勇輝の休場は2015年春場所以来で6度目で9日目は魁聖に不戦敗になった。10日目からは再出場したが連敗した。この場所は6勝9敗と、番付運次第では十両陥落も有り得る。なお、2017年5月場所終了時点では不戦敗制度運用開始以降不戦敗した翌日に再出場したのは7人が、1人で2回経験したのは初めてとなった。なお、場所2日目には師匠と夫人が誕生日を迎えており、この日を白星で終えた琴勇輝は「いい相撲で白星が取れた。師匠にはカフスを送りました。奥さんには?秘密です」と支度部屋で話した。7月場所までなんとか幕内に残っていたが故障が悪化し西前頭14枚目で大きく負け越して9月場所で十両へ陥落した。9月場所は14日目を終わった時点で10勝4敗の単独首位に立っていたが、千秋楽に5敗の阿炎に本割と優勝決定戦で連敗し、逆転優勝を許して十両優勝を逃した。11月場所は幕内に復帰し、8場所ぶりの幕内での勝ち越しを達成して1年を終えた。 2018年1月場所は一進一退の星取りであり、13日目に勝ち越し王手となったが、残りを負けて7勝8敗と向こう給金となった。翌3月場所はやや番付運が悪く1枚半下降の西前頭12枚目。初日から3連敗のスタートとなった上、3日目の大翔丸戦で右足首を負傷。「右踵腓靱帯損傷で1週間の休業、療養が必要」との診断書を提出し、翌4日目から休場した。しかし足の痛みが引き、相撲が取れる状態になったことで6日目より早くも復帰した。しかし復帰後は足の踏ん張りが殆どきかず、1つも勝てないまま中日に負け越しが確定。その後も連敗が続いたが、13日目の錦木戦でようやく初日を出した。場所成績は1勝13敗1休。場所後の春巡業は右足首の怪我の影響で初日からの休場が発表された。翌5月場所は4場所ぶりの十両となる東十両5枚目で迎え、千秋楽に勝ち越しを決めて8勝を挙げた。東十両3枚目で迎えた7月場所は場所前に20kgもの減量を行って臨み、10勝5敗の好成績を残し、9月場所で幕内に復帰したが、6勝9敗の負け越しで1場所で十両に下がった。11月場所は十両優勝を争い、千秋楽に10勝4敗で、11勝3敗でトップの友風と対戦したが、敗れて優勝はならなかった。 2019年1月場所は幕内に復帰したが10日目の土俵で負傷し、翌日から休場。十両で2場所を過ごしたのち、7月場所で幕内に復帰するとこの場所で10場所ぶりの幕内での勝ち越しするとともに2016年9月場所以来17場所ぶりの二桁勝利となる11勝を挙げた。なお、この時の報道で3月13日に長女が誕生していたことが明かされた。11月場所は西4枚目となり、久々に横綱白鵬戦が組まれた。上位に休場者が相次いだこともあり、千秋楽はこれより三役の土俵に登場し、小結遠藤を破って勝ち越しを決めた。 2020年1月場所は初日から休場。初日となる1月12日に「両変形性肘関節症による両肘の痛みに対し、手術を予定」との診断書を発表した。 2020年10月14日には左膝の内視鏡手術を受けた。骨が変形し始めて膝の腱のとこに引っかかり、それを削らないと膝が伸びないところまで悪化したため手術に至ったという。1月には両肘を手術したため、同じ年にこれで2度目の手術を受けたことになり、本人は「私自身もやっぱり1年に2回手術するというのはなかなか経験のないことで大変だった」とコメントした。これにより11月場所を休場。十両に番付を落とした2021年1月場所は出場したものの、手術明けの膝の状態は思わしくなく、下半身の粘りの無い相撲に終始し4勝11敗と大幅な負け越し。翌3月場所は西幕下筆頭に番付を下げ、2011年9月場所の新十両昇進以来守り続けていた関取の地位を失うことになった。 明治神宮例祭奉祝 奉納70回全日本力士選士権大会 相手は碧山関(2011年10月3日撮影) 土俵入りする琴勇輝関(2017年3月17日撮影) 靖国神社奉納大相撲 相手は石浦関(2017年4月17日撮影)
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新三役場所以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 12:40 UTC 版)
翌2015年3月場所で新三役となり、小結に昇進した。モンゴル出身の新三役は、2014年11月場所の逸ノ城以来。初土俵から所要66場所での新三役は外国出身力士の中でも1位のスロー記録である。昇進を記念した記者会見が2015年2月23日に大阪市平野区で行われた際には3月場所の番付表を見て「名前が大きくなったな」としみじみと喜びつつも照ノ富士や逸ノ城ら出世スピードが速いモンゴルの後輩に対抗意識を燃やしていた。会見ではまた自身の付け人だった同じ一門の輝が十両で活躍する姿に刺激されたそうで「一緒によく稽古したりして負けてられないと思った」と三役に昇進できた要因を説明した。しかしこの場所は4勝11敗の大敗に終わる。 翌5月場所は西前頭5枚目の地位で土俵に上がり、この場所でも6勝9敗と負け越すが9日目の横綱・日馬富士戦では外国出身力士としてスロー記録1位となる30歳6ヶ月での金星を獲得した。玉鷲は初金星に対して「普通の顔をしたいけど笑顔が出ちゃうな。こんな感覚なんだ」とコメントしていた。2016年7月場所は10日目に左膝を痛め、翌11日目はトイレから立ち上がれないほどであったが、サポーターで膝を固め、腰をしっかり下ろすようにしたら残りの5番中4番で白星を収めるという怪我の功名に与かり、9勝6敗の勝ち越し。 2016年9月場所は初日に負けてから5日目まで黒星と白星を交互に得る星取りとなったが、6日目から12日目まで7連勝。13日目から2連敗したものの、千秋楽に勝って10勝5敗と2けた白星で場所を終えた。場所を終えて支度部屋では「(三賞は)何もないんですか?(今場所は)立ち合いの手つきが良かった。意識してやっていたんで」と話していた。10場所ぶりに小結(西小結)に復帰した2016年11月場所は、初日に横綱・日馬富士を一気に押し出し快勝。6日目には先場所全勝優勝を果たした大関・豪栄道に勝利し、連勝を20でストップさせている。この場所は1横綱3大関を破る活躍で13日目に勝ち越しを決め、これにより自身初の三役の地位での勝ち越しを果たした格好になる。14日目と千秋楽も勝利し、10勝5敗と2場所連続で二桁白星を挙げ、長いリーチを生かしての重みのある突き押しや喉輪が光っていたため、自身初の三賞となる技能賞を受賞した。新入幕から所要49場所での三賞初受賞は和歌乃山、板井に次いで3番目のスロー記録で、初土俵から所要77場所は外国出身力士で最も遅い受賞である。玉鷲は受賞について「良かった。(押し相撲で技能賞は)珍しいよね。ただただ楽しく相撲を取っていた。一番一番、楽しんでいた。立ち合いのスピードが大事で意識していた」とコメント。また、小結で10勝を挙げたため、翌2017年1月場所は大関への足掛かりとなる事については「大関とか考えてない。楽しくいい相撲を取ることだけ」と無欲を強調した。
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