新三役昇進後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 10:01 UTC 版)
2021年7月場所では新三役となる小結に昇進した。2002年に創設された荒汐部屋からは初めての三役力士誕生となり、福島県出身者としては2001年9月場所の玉乃島以来、東洋大学出身者としては玉乃島、御嶽海に続く3人目の三役力士になった。新三役昇進に際して行われた記者会見では、小結は祖父の若葉山の最高位でもあることから目標としていた地位であったこと、今後は「まずは勝ち越して三役に定着」することが目標だと語った。7月場所では、大関・正代を撃破する活躍をしたものの、5勝10敗と終わった。11月場所に際しては「やっぱり体が小さいので、勝つにはそういう相撲を取るしかないので。とにかく自分の下からの攻めを磨いていきたいと思います」と力を込めた。この場所は兄の若元春が西十両筆頭の地位で土俵に上がり、13日目に9勝目を挙げたことで事実上翌2022年1月場所の新入幕が確定し、弟の若隆景との兄弟幕内が誕生することとなった。 12月20日に相撲教習所で行われた合同稽古では申し合いで11番取って7勝4敗と勝ち越した。番数については「明日から、もうちょっと番数を増やしたい」と段階を踏む予定だが、まずは「他の関取衆と稽古できてよかったと思います。他の部屋の関取衆と(稽古)出来る貴重な場なので」と充実感を口にした。新年についても「三役に戻れるように、三役に定着できるように、しっかり稽古してやっていきたいと思います」と続けた。 2022年1月場所は、初日から横綱や大関、関脇・御嶽海に敗れ、4連敗スタートとなるも、その後星を盛り返し、終盤5連勝の9勝6敗で場所を終えた。 2月4日、協会は若隆景が新型コロナウイルスに感染したと発表。 3月場所は東関脇に自己最高位を更新した。新関脇会見では「(祖父・元若葉山の最高位である)小結を目標にしてきた。その番付を超えられたのは大きいです。先場所、前半は星が上がらなかったが後半盛り返せた」と1月場所を振り返りつつ、次期大関候補に浮上してきた状況に「1日1番しっかりとって勝ち越したい。(大関は)今は本当に1場所1場所、力を出し切ることだけ」と控えめに話した。この場所は絶好調で、自己最速となる9日目での勝ち越しを記録。これに八角理事長も「最後はうまかった。勝ち越しは自信をつけたんじゃないかな。ギリギリの勝ち越しじゃない」と評価し「最低2ケタ(勝利を目標)と思ってやってほしい。来場所が楽しみだ」と大関取りの足掛かりの場所になることを期待していた。11日目に全勝の髙安をもろ差しでバンザイにして楽々寄り切った相撲は、北の富士勝昭のコラムでももろ差しになるまでの一連の流れを評価され、さらに「非の打ちどころが何ひとつない見事な相撲であった」「(優勝)ムードとしては若隆景かな?」とまで絶賛される程であった。2敗で迎えた千秋楽には、13勝2敗で優勝するという条件付きで殊勲賞を獲得できる運びとなった。14日目時点で12勝2敗であったが、千秋楽の結びで正代に寄り切りで敗れて12勝3敗、優勝決定戦で千秋楽の取組で阿炎に送り倒しで敗れて同じく12勝3敗の成績となった髙安と争うことになった。優勝決定戦で髙安に上手出し投げで勝利して新関脇で初優勝した。なお、新関脇での優勝は1936年(昭和11年)5月場所の双葉山以来、86年ぶり、1場所15日制定着(1949年5月場所)以降では史上初となった。昭和時代には清水川が1932年(昭和7年)2月場所で優勝したが、平成時代にはなく、令和の時代に久々誕生した。福島県出身力士の優勝は1953年(昭和28年)5月場所に東前頭6枚目で全勝の時津山(出生地は東京府)、1972年(昭和47年)1月場所に西前頭5枚目で11勝4敗の栃東知頼に次いで3人目、50年ぶり。東洋大学からは大学の先輩の御嶽海に続き2人目、部屋からは史上初、平成生まれとしては7人目。NHKアナウンサーの三瓶宏志による優勝インタビューでは「来場所からが大事だと思います」「家族にはいつも支えてもらっているんで、いいところを見せられたかなと思います」と答え、「今場所は下からの攻めが良かったかなと思います」と自己評価した 。幕内最高優勝者に恒例で行われる一夜明け会見では「少しずつ実感が湧いてきた」と喜びをかみしめた。伊勢ヶ濱審判部長は場所直後、1月場所も東前頭筆頭で9勝を挙げたことに触れつつ「大関の土台を築きつつある。来場所も同じように勝っていけば」と期待を寄せた。 5月場所直前の北の富士のコラムでは、豊昇龍と共に三賞候補として名前が挙がった。しかし7日目終了時点で3勝4敗と実際の場所では不調で、特に7日目の霧馬山戦の立合い変化で自滅した1番に対しては八角理事長からも「立ち合い変化をするようじゃね。変化して下がって、足がそろってしまった」と指摘され「(大事なのは)苦労して勝つこと。楽に勝ちたい気持ちが強かったのでは。まだまだですね」と注文を付けられた。9日目の1番は叩き込みで白星を収めたが、取組中に若隆景が右手を土俵に付いているようにも見え、物言いが付かず「誤審」と取れる微妙な1番であった。この場所は、3勝5敗でむかえた9日目以降は横綱・照ノ富士以外には負けることなく、最終的に9勝6敗で終えた。
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