新三河鉄道への営業譲渡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 09:55 UTC 版)
「尾張電気軌道」の記事における「新三河鉄道への営業譲渡」の解説
昭和に入って、八事 - 挙母(後の豊田市)間の地方鉄道敷設を目指していた新三河鉄道(三河鉄道系列)が尾張電気軌道に興味を示すと、尾張電気軌道は八事電車と始めたばかりのバス事業を新三河鉄道に売却し解散した。1937年(昭和12年)には市に買収され、八事電車は名古屋市電の八事線となり、バスは名古屋市営バスの一部となった。 太平洋戦争中には、戦争による輸送量増加に伴う酷使で軌道が荒廃していたことや、また国鉄中央本線との平面交差が認められず千早線と分断されていたことから、トロリーバス(無軌道電車)への転換も検討された(名古屋市営トロリーバスも参照)。1944年(昭和19年)には戦時体制による路線整理で千早町 - 大久手間が撤去され、この区間は戦後復活しなかった。一方、今池 - 大久手 - 八事は更新の上で残すことが決定し、1950年(昭和25年)の循環東線整備後は今池経由で名古屋駅前までの直通運転が行われるようになった。このうち今池 - 大久手 - 安田車庫前は1974年(昭和49年)の市電全廃時まで存続した。
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