ワシントンD.C.とは? わかりやすく解説

ワシントン‐ディーシー【Washington D.C.】

読み方:わしんとんでぃーしー

Washington, District of Columbia》⇒コロンビア特別区


ワシントンD.C.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 06:02 UTC 版)

コロンビア特別区(コロンビアとくべつく、: District of Columbia)は、アメリカ合衆国首都アメリカ合衆国東部に位置する連邦直轄地である。東海岸メリーランド州ヴァージニア州に挟まれたポトマック川河畔に位置する。通称は、ワシントンD.C.(ワシントン・ディー・シー、: Washington, D.C.)。




「ワシントンD.C.」の続きの解説一覧

ワシントンD.C.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/11 08:02 UTC 版)

イネコン 12 トリオ」の記事における「ワシントンD.C.」の解説

12 トリオ最初発注となったワシントンD.C.の路面電車DCストリートカー(英語版)へは3両(101-103)が2007年製造されたが、建設の遅れから2009年12月までオストラヴァ工場保管され、ワシントンD.C.到着後も長期試運転用いられた。DCストリートカーの車両として営業運転開始したのは2016年2月27日からである。

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ワシントンD.C.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 19:22 UTC 版)

アメリカ合衆国の建築」の記事における「ワシントンD.C.」の解説

アメリカ合衆国議会議事堂均質な都会風の好例である。建物設計フランス人ピエール・シャルル・ランファン描いた。この記念碑的都市理念新古典様式都市美運動支持者取り上げられた。幾つかの都市ボザール建築様式一部であるこの概念採用しようとしたが、ワシントンD.C.はこれら全ての中でもほとんど専心しているように見える。ホワイトハウスは、1790年12月アメリカ合衆国議会がワシントンD.C.創設決めた後で建設された。コンペ後でアイルランド系アメリカ人ジェイムズ・ホーバンが選出され建設1792年10月始まったホーバン考えた建物は、現在アイルランド議会があるダブリン公爵邸宅ラインスターハウスの1階2階モデルしたものだった。しかし、米英戦争1812年-1815年)の間に、町の多くの場所が焼き討ちにあい、ホワイトハウス損傷受けた外壁のみが残ったが、再建された。壁は火事受けた損傷を隠すために白く塗られた。20世紀初め新たに2つの翼が政府拡大反映して付け加えられアメリカ合衆国議会議事堂1792年から続いて建設始められた。その完工間もなく米英戦争のときに部分的にイギリス軍焼かれた。その再建1815年始まり1830年まで続いた1850年代にこの建物トマス・U・ウォルターによって大きく拡張された。1863年人目を引く自由の像」が現在の当時新設ドーム頂点取り付けられた。 ワシントン記念塔初代大統領ジョージ・ワシントン栄誉称えて建設されオベリスク記念碑である。それを当初1838年設計したのはロバート・ミルズだった。記念碑の下に向かって認識できるだけの色の変化があり、これは予算不足建設中断されたためだった。高さ555.5フィート (169 m) の記念碑1884年完成し1888年一般公開された。 リンカーン記念館1915年-1922年建設)は同じシリーズ別の記念碑であり、大理石と白い石灰石造られペディメントの無いドーリア式ギリシャ寺院真似られた。その建築家ヘンリー・ベイコンはボザール学派概念の徒であり、リンカーン死んだときの合衆国36それぞれ表現するために36使った記念碑にした。 最後にジェファーソン記念館1940年代ボザール伝統継いで建設され最後大規模記念館である。その建築家ジョン・ラッセル・ポープはローマ建築に関するジェファーソン好み光を当てようとした。これがローマ・パンテオンを模倣することにした理由であり、類似した形のドーム建物飾った。これは国際様式賛同者から厳しく批判された。

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ワシントンD.C.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 00:38 UTC 版)

オブリビオン (映画)」の記事における「ワシントンD.C.」の解説

アメリカ合衆国首都であるアメリカ東部都市。しかし、西暦2077年時点においては廃墟化した無人地帯となっている。

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ワシントンD.C.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 22:30 UTC 版)

ゲーブ・クライン」の記事における「ワシントンD.C.」の解説

コロンビア特別区輸送局 (DDOT)の長官担任クライン様々な関係者活動家グループから意見吸収し顧客中心サービス提供するよう政府運営方針変えた数ヶ月後、クライン前年ニューヨーク市発表した持続的街路案に基づいた行動指針発表従来長期計画反しクライン政府2年行動指標優先し方針実行速めスタートアップ市場ペース合わせた。フェンティー市長の元で、下記ののプロジェクト実行した: スマートバイクDC 及び Capital Bikeshare DC Streetcar ビジョンプラン DC Circulator バスシステム 11th Street Bridges 自転車専用レーン設置 ペンシルバニア・バイクレーンの設置 Great Streets Program 駐車改革プログラムモバイル決済も) Online Public Space Permitting System (TOPS) カーシェアリングとライドシェアサービスGoDCGo District Transportation Access Portal (Public Capital Program Dashboard) DC 行動方針 DC 行動方針2010更新 シカゴクラインはシカゴ運輸局長官をも歴任市長ラーム・エマニュエルの元で下記プロジェクト立ち上げたBRT ChicagoBus rapid transit 歩行者用インフラ構築 Divvy – シカゴのバイクシェアシステム シカゴ交通トラッカー Bloomingdale Trail CREATE Program 通学路安全レーン Wacker Drive Reconstruction Union Station Master Plan Wells Bridge Reconstruction 全方向横断歩道 Open311 Addison Underbridge Connection of the North Riverfront Trail Chicago Riverwalk活性化 Navy Pier Flyover

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ワシントンD.C.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 00:48 UTC 版)

ハバナ症候群」の記事における「ワシントンD.C.」の解説

2019年ホワイトハウス職員ワシントンバージニア郊外散歩中に衰弱症状経験した報告し、この事件2020年公に報告された。2020年11月ホワイトハウス南側隣接する公園(ザ・エリプス)で同様の事件報告された。いずれの事件も、CIA国務省職員を含む海外数十人の米軍関係者襲った報告され事件類似していた。連邦機関調査し国防省当局者は2021年4月上院軍事委員会と下院軍事委員会のメンバー説明した調査官議会メンバーに、事件の原因責任者特定することはできなかったと述べたが、当局者はロシア中国関連している可能性主張したが、証拠示せなかった。

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ワシントンD.C.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:48 UTC 版)

同性結婚」の記事における「ワシントンD.C.」の解説

2009年12月18日 ワシントンD.C.のフェンチ市長民主)は、同性婚合法化する法案署名し3月9日から同性間結婚認められる

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ワシントンD.C.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 11:05 UTC 版)

アンナ・J・クーパー」の記事における「ワシントンD.C.」の解説

1892年にはワシントンD.C.に移り学友であったアイダ・B・ウェルズ英語版)、ヘレン・アッポ・クック(英語版)、シャーロット・フォルテン・グリムケ(英語版)、メリー・チャーチ・テレル、メリー・ジェーン・ピーターソン、エヴリン・シャウなどと共にアフリカ系アメリカ人女性社会地位向上などを目的としたカラード・ウィメンズ・リーグ(英語版)を設立した。ヘレン・クックが初代の代表となったクーパーは特に教育者であったシャーロット・グリムケと交友深めたクーパー高校ラテン語教師として務め始め1991年には校長になったクーパーW・E・B・デュボイス支持する高等教育に進むことを目的とする伝統的な教育論支持したに対してブッカー・T・ワシントン提唱した技能職業能力直接つながる教育目的とする派との対立高校一時去ることになる。後に同校復帰している。

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ワシントンD.C.(Washington, D.C.)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:18 UTC 版)

バイオハザード: ザ・ファイナル」の記事における「ワシントンD.C.(Washington, D.C.)」の解説

実在都市にしてアメリカ合衆国首都全米中からアンデッド追われ逃げてきた人々ホワイトハウス集まっている。

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ワシントンD.C

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 07:33 UTC 版)

ベンジャミン・ラトローブ」の記事における「ワシントンD.C」の解説

アメリカ合衆国でのラトローブ最初職業的建築家として直ぐに有名になった。ラトローブトーマス・ジェファーソン友人であり、そのバージニア大学設計影響与えた可能性がある。またアーロン・バーお気に入り建築家だった。ジェファーソンジェームズ・モンローさらにはニューオーリンズ建築家海賊のバーセレミー・ラフォンなど当時主要人物多く知り合いになったラトローブ広く旅したときの挿絵入り日記は若いアメリカ合衆国記録となっている。当時アメリカ合衆国には建築専門正式な学校無かったので、建築学分野ウィリアム・ストリックランド訓練した1803年ラトローブアメリカ合衆国公共建築測量士として雇用されアメリカ合衆国議会議事堂工事では建設監督官となった。これはウィリアム・ソーントンによって設計され既に建設工事が行われているものを監督する任務だった。ラトローブその時点までに行われた工事批判し1803年副大統領アーロン・バー宛てた手紙で、「欠陥のある建設」だと決めつけた。それでもジェファーソン大統領は、議事堂設計ではソーントンのものに従うよう固執した1812年6月議事堂建設米英戦争勃発第一合衆国銀行破綻のために中断された。 米英戦争ラトローブピッツバーグ転居しており、1815年戦中破壊され議事堂再建責任任される議事堂建築監としてワシントン戻った議事堂再建には大きな自由度与えられ内装には独自のデザイン要素入れた1817年までに建物全体完成設計図ジェームズ・モンロー大統領提出したラトローブ1817年11月20日議事堂建築監辞任した。この大きな仕事無ければラトローブ困難さ直面し破産しているところだった。ラトローブ1818年1月ワシントン離れボルティモア移転したラトローブ大きな仕事アメリカ合衆国議会議事堂建設監督することだったが、ワシントンでは他の多くプロジェクトでも責任があった。1804年アメリカ合衆国海軍技師になった主任測量士としてはワシントン運河関与した。この運河推進では官僚的障害直面し運河会社の重役ラトローブ石造閘門という要請拒絶した。この運河木製閘門建設されその後1811年激しい嵐で破壊された。ワシントン海軍造船所のメインゲートも設計した。他にもワシントンアレクサンドリアを繋ぐワシントン・アンド・アレクサンドリア・ターンパイク、メリーランド州フレデリックとを繋ぐ道路、およびブラーデンスバーグを経てボルティモアに繋ぐコロンビア・ターンパイクなど、ワシントンD.C.における輸送計画仕事もした。またポトマック川架かるワシントン橋の建設では、船舶航行妨げずジョージタウンに繋ぐというやり方について助言となったワシントンラファイエット広場周辺プロジェクトでは、セントジョンズ聖公会教会、ディケーター・ハウスおよびホワイトハウスポルチコ屋根のある玄関)等にも関与したラトローブ設計した個人の家としては、ジョン・P・ヴァン・ネスおよびピーター・カザノヴからの注文があった。ワシントン時代大半フィラデルフィア他所での個人事業その他のプロジェクトかなりの程度関わり続けたラトローブ現場監督であるジョン・レントールは、ワシントンでもっと時間を割くように言い続けたラトローブはその理想するところ多く相反するワシントン都市計画について悲観的になってワシントン離れたバロック様式都市計画ピエール・シャルル・ランファン計画したその他の側面を嫌い、議会議事堂についてはソーントン計画合わせることに不満を抱いたラトローブ見解における全体都市計画大きな問題点は、内部抱え大きな距離だった。ラトローブワシントン運河重要な要素見なし成功しておればこの問題緩和できるはずだった。ラトローブはまたワシントン市経済的可能性についても関心があった。ワシントン北西フレデリックとを繋ぐ道路建設すればワシントンを通る経済流通促進する主張した

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ワシントンDC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 09:46 UTC 版)

レイプキット」の記事における「ワシントンDC」の解説

ワシントンDCでは、2009年4月施行された「女性に対する暴力法」に先立ちレイプキット病院での標準的な問題であるにもかかわらず、ワシントンシティペーパーによる2009年4月レポートによれば今までその入手困難だった報告書によると、レイプ被害者今までDC緊急治療室で最大12時待機し、OB-GYNは出生などのより緊急事態対応しその後裁判被害者追い詰めていた。 性的暴行看護師審査官SANEプログラムで、2000年設立されハワード大学病院主要な病院を見つけるために、デニス・スナイダー、DCレイプクライシスセンター(DCRCC)のエグゼクティブディレクターによる試み十年後、この懸念対処するために、プログラムホストする意思があり、そのほとんどが経済的な懸念挙げているか、彼女の問い合わせ応じなかった。 ハワードは、プログラム採択した後、生存者ワシントン紙に冷淡な法執行機関一部が低い犯罪率維持する欲求起因するレイプ診察を受ける前に警察許可を必要とするという問題報告書遭遇した報告書では、性的暴行調査チーム探偵ビンセント・スプリッグスが、キットのより広い使用障害として、妊娠テストまたは朝の投与した女性による偽りのまたは説得力のないレイプ告発事例、およびレイプキット要求引用していた。 2008年ハワード大学SANEプログラムキャンセルしその後市長監督の下で再開した

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