ワシントンD.C.への到着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 13:40 UTC 版)
「ボーナスアーミー」の記事における「ワシントンD.C.への到着」の解説
ボーナス・アーミーの参加者は上院でパットマン配当法案(the Patman Bonus Bill)が投票にかけられる6月17日にワシントンD.C.に集結した。この法案は、第一次世界大戦の復員軍人たちに対する配給の支払いを、前倒しにするものであった。ボーナス・アーミー参加者の多くは、ワシントンD.C.中心部から、アナコスシア川を隔てたところにある、「アナコスシア・フラッツ」と呼ばれる、じめじめした泥だらけのフーバービル(大恐慌のため形成されたスラムを指す呼称)に野営した。参加者たちは、大恐慌で職を失ったものが多く、その救済措置として、復員軍人に対する支給金が即時に支払われることを望んでいた。先の法案は6月15日に下院を通過したものの、上院で否決された。 法案の否決後、議会はボーナス・アーミー参加者の内、解散して帰宅する者に支払う特別基金を作り、一部の参加者はこれに同意して解散した。7月28日、ワシントンD.C.の警察が残留しているボーナス・アーミー参加者を連邦政府の建設現場から解散させようと試みた。警官隊が2人の復員軍人に発砲し致命傷を与えると、参加者たちは鈍器を持って警官隊に襲いかかり何名かを負傷させた。警官隊は撤退し、ワシントンD.C.の行政委員会委員長はハーバート・フーヴァー大統領に、これ以上治安を保つことが出来ない旨を報告した。フーヴァー大統領は連邦軍に対し、ボーナス・アーミーを解散させるように命令した。
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