ワシントンDCインターナショナルの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 18:36 UTC 版)
「凱旋門賞」の記事における「ワシントンDCインターナショナルの誕生」の解説
キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス創設の翌年、1952年の秋にアメリカ大陸にも国際的な大レースが誕生する。ワシントン近郊のローレル競馬場が創設した1マイル半(約2400メートル)のワシントンDCインターナショナルである。この競走ではヨーロッパからの一流競走馬を集めるために、遠征費用を負担し、アメリカでは主流ではない芝コースで行い、スタートの方法をヨーロッパ風に行なった。各国の競走条件を折衷して採用したこのイベントは、北米大陸や西ヨーロッパのみならず、南米、オーストラリア、冷戦時代のソビエトや、敗戦から復興中の日本からも競走馬を呼び込むことに成功した。 アイルランドの一流馬、ズクロ(Zucchero)は第1回のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスで2着になった馬で、ズクロは秋シーズンの目標を凱旋門賞ではなく第1回のワシントンDCインターナショナルと定めてフランスの競馬ファンを落胆させた。この年イギリス最良の3歳馬はタルヤー(Tulyar)で、ダービー、セントレジャー、エクリプスステークス、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスと勝って50年ぶりに賞金記録をつくり、歴史的な3歳馬となった。タルヤーも凱旋門賞に出ないとわかったとき、フランスの競馬界は失望の色を隠せなかった。この年の凱旋門賞に出走した外国馬はわずか1頭、イタリアのオワーズ(Oise)だけになってしまった。
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