ワシントンとORAU
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 17:11 UTC 版)
「アルビン・ワインバーグ」の記事における「ワシントンとORAU」の解説
ワインバーグは、1974年にワシントンD.C.にあるエネルギー研究開発局の局長に就任した。翌年には、オークリッジ提携大学群(英語版)(ORAU)にエネルギー分析研究所を設立し、初代所長に就任した。この研究所は、将来のエネルギー需要を満たすための代替案を評価することを目的としていた。1976年から1984年まで、エネルギー分析研究所は、二酸化炭素と地球温暖化に関連するさまざまな問題を研究する拠点となっていた。ワインバーグは、ORAUを1985年に退職して、ORAUの特別研究員になった。 1972年、ワインバーグは『Minerva』誌に、科学と政策問題、特に政府の政策決定との接点に着目する"Science and Trans-science"(科学とトランス・サイエンス)という論文を発表した。 科学技術と社会との相互作用の過程で生じる多くの問題、例えば、科学技術の有害な副作用や、社会問題を科学の手続きで処理しようとする試みは、科学に問いかけることができ、かつ科学では答えることができない問いへの答えにかかっている。これらの問いは、認識論的には事実の問いであり、科学の言葉で述べることができるが、科学では答えることができず、科学を超越したものであるため、私はこれらの問いをトランス・サイエンティフィック(trans-scientific)と呼ぶことにした。公共政策が科学的な問題ではなく、トランス・サイエンティフィックな問題を含んでいる限り、そのような政策の普及に貢献する科学者の役割は、科学で明確に答えられる問題の場合とは異なるはずである。 1977年6月、ワインバーグはアメリカ合衆国議会の環境・大気小委員会の公聴会で、二酸化炭素の排出量増加が地球の平均気温に与える影響について証言した。ワインバーグは、一部の科学者が予測しているように、2025年までに世界の二酸化炭素排出量が2倍になった場合、世界の平均気温は2度上昇すると述べた。
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