ワシントンD.C.にある他のリンカーン記念碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/22 07:09 UTC 版)
「リンカーン記念堂」の記事における「ワシントンD.C.にある他のリンカーン記念碑」の解説
首都には他に、リンカーン記念堂が建設される前に建てられた3つのリンカーンの記念建造物が存在する。 Dストリートにある、それまで最初の市役所が建てられていた場所の前面には、アメリカ合衆国で最初に建てられたリンカーン大統領の像が立っている。これはリンカーンの死後3年忌にあたる1868年4月15日に公に公開されたもので、リンカーン大統領の後任にあたる、第17代大統領アンドリュー・ジョンソンによって除幕式が催された。像はリンカーン大統領をよく知る人物で、ワシントンD.C.の住民の一人であったロット・フラナリーによって出資されたものであり、大統領が暗殺されたフォード劇場への贈呈品であった。また像はリンカーンを追悼するだけのものではなく、彼がそれまで奴隷を所有していたワシントンD.C.の忠臣に奴隷を解放する代わりに、100万ドルまでの対価の支払いを公認したという事実を、人々に想起させる目的で建てられたものでもある。この大統領の新しい構想は、それまでワシントンD.C.の一市民として行っていた、アメリカ合衆国への忠誠の依存と共に奴隷制度の終焉に向けた運動の釣り合いを取るために、必要不可欠であったことを反映している。像は1919年に一度撤去されているが、1923年頃(と思われている)に再び元の位置に戻された。 1871年1月25日、アメリカ合衆国議会議事堂のロタンダ内にあるユリシーズ・S・グラント大統領像の前方に、リンカーン大統領像が奉納された。当時まだ10代であったアメリカの彫刻家、ビニー・リームはリンカーン大統領が逝去するちょうど前の5ヶ月間のあいだに、大統領の下絵を描き始めていた。その後彼女は議会からロタンダ内の像を建造するための委任を受けた最初の女性となった。正確には同像の服装は、大統領が暗殺された夜に着ていた衣服を彼女が模倣した物である。 議会議事堂のリンカーン公園にある「解放記念碑」は、逃亡奴隷法下で最後の逮捕者である男性が跪く様子を描写した物であり、リンカーン大統領が奴隷解放宣言を読み上げている際に奴隷用の鎖を切っている様子が描かれている。これはそれまで奴隷として扱われ解放された黒人の市民からの資金提供によって建立された物である。始まりとなったのは当時バージニア州に住んでいた女性のシャーロット・スコットからで、彼女が解放されたアメリカ人として最初に得た5ドルを寄付したことが切っ掛けとなった。
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