「敗北死」脱走逮捕による組織崩壊と事件の終結とは? わかりやすく解説

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「敗北死」・脱走・逮捕による組織崩壊と事件の終結

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 18:11 UTC 版)

山岳ベース事件」の記事における「「敗北死」・脱走・逮捕による組織崩壊と事件の終結」の解説

1月20日 - 、Hが懐中電灯電池隠した批判午後8時、全体会議永田、Hを懐中電灯電池の件で追及。H、これを否定は何も言わず永田全体会議中タバコ制限撤廃提起他のメンバーは何も言わず永田指示でCの死刑総括報告。Gが自身総括を行うが、永田は「頭で考えすぎ」と認めず・gもGを批判。gは恋人である植垣にもGに対す発言求め、植垣は「総括できていないGさんは好きではない」と答える。、Hが「僕の方ばかり見ている」ことを根拠に「吉野君から僕に乗り移っているのだ。これは、吉野君にはもう利用価値がないと思ったからだ。だから、吉野君との離婚表明簡単にできたのだ」と主張しCC対しHを批判、他のCC、被指導部も続く。吉野対しH批判要求吉野、「Hさんに足を引っ張られたりはしない」とHとの離婚表明午後11時頃、Aとh、jを連れて帰還。j、自己紹介1月21日 - 、jに入山決意表明求め、jを評価し入山しなかった黒ヘルメンバーを批判中央委員会ベース建設の期間(1週間)と人の割り振りベース建設坂東吉野・植垣・b・c・df・i加藤倫教ベース連絡a・L榛名ベース荷物整理g・h。GとHは榛名ベース総括させ、森・永田・坂口・Aは榛名ベースに残る)を決定中央委員会にて、吉野対しHを批判吉野、Hを批判的に語る。 1月22日 - ベース建設メンバー順次出発永田対しHを批判1月23日 - 夕方、aとLが帰還ベース建設目処について答えられなかったaを批判坂口ベース建設に加わるよう提起坂口同意。夜、坂口A・a・g、h運転の車でCの死体埋めに行く。aは埋葬終わった他のメンバー気づかれないようにCを埋めた場所に向かって両手合わせてCに謝罪したという。 1月24日 - 午前7時過ぎ頃、坂口らが帰還ベース近くでhの運転する車が路肩の溝にはまり、レッカー車引き上げ必要があることを報告同意し運転免許持っているjに対し、Aと共に出かけるよう指示朝食後、Aとj、出かける。この合間にA、jと一緒に銭湯に行く。夕方遅く、Aとjが帰還、車が直ったことを報告1月25日 - (迦葉ベース)朝、Lが車をぬかるみにはめる。坂口がLを批判するが、Lはこれを認めず坂口傍観者的な態度取っていたLを問題視し坂東協議坂東同様のことを感じていたことを確認。夜、全体会議坂口坂東、Lを批判追及し正座させる。Lは闘争へ関わり方問われると「自分としては革命お手伝いをして来ただけだ。Cの時は物理的に手を貸しただけだ。これまでC.Cの決定に従って来た。これからそうする」と発言。この発言他メンバー批判追及坂口にLの処置指示を仰ぐため榛名ベースに向かう。坂東がLを正座させることを決定坂口は何も言わなかった。L、泣きながら「山に来るべきでなかった」と発言。 (榛名ベース午前8時頃、車調達のためA上京。gからGが「なんで総括をされているかわからない」と言って泣いていたという話を聞いた永田永田自身もGやHがなぜ執拗に総括要求されているのか分かっていなかったので戸惑ったという。、Hが懐中電灯電池隠していると主張永田荷物調べさせるが見つからず、「皆に黙って子供出産備えているにちがいない」としてHがタオル・さらしを大量に持っている主張永田荷物調べさせるが見つからず夕食後、、GとHを追及、Gの総括認めず追及続ける。はHを「総じて永田さんに反発し、男を利用して自分地位確立しようとしている」と断定的に批判。Hがこれを否定し永田も「私に反発するということは感じない」と反論したが、自説撤回しなかった。G、植垣について話そうとするが永田、これを認めず、Gにn(山岳ベースから脱走したため印旛沼事件殺害事件直前までGと恋人関係にあった)とベース逃亡後に接触していたことを追及し、Gがベース逃亡後のnと接触し性関係を持ったことを認めたため、永田、Gを批判、GとHを縛ることを提起永田同意反対もせず。妊婦であるHがタンス自由に寄りかかれるよう縛り食事にも配慮するとし、永田、縛ることに同意この頃26日夜明けはGとHを縛り以後用便にも立たせずに放置した1月26日 - (榛名ベース朝食後、、Hをに縛る。、GとHにミルク与え、その飲み方見て「Gは総括しようとする態度だが、Hはそうではない」と主張、Hを批判し前日発言翻し当面食事与えないことを決定はHに対して出産控えた主婦何ら変わらない態度をとり、妊娠出産対する我々の同志的な援助逆手にとって、多く甘える、開き直る態度にでている」「妊娠事実自己の総括合理化の手段にしている」と考え、その「怒り」から「産まれ出てくる子供は、すでに彼女や某さん(引用者注・吉野)の私的な所有物ではなく、我々全体のものである」と考えるに至ったという。そんな中坂口a・j帰還坂口、L問題報告、Lを殴って縛るべきと主張永田坂口、これに同意永田坂口にGとHを縛ったことを報告昼食後に永田坂口に対してHがに「今の私じゃだめだということですか」と言ったことを明かし、「総括する態度ではない」と批判永田、これに同意以降、Hに食事与えられず)。永田、Gにおしるこ与え総括聞くが、、この総括認めず以降、Gに食事与えられず)。坂口g・j迦葉ベース出発。 (迦葉ベース)Lを一日中正座させて総括させることを決定。夜、坂口帰還後全員でLを追及し殴った後縛る。坂口榛名ベースにおいてGとHが総括のために縛られていることを報告。植垣、Gとの関係についてメンバーから追及される。Gが縛られた以上自分縛られるべきだと考え追及終わった後も正座をしていた植垣であったが、坂東に「明日作業があるからもう寝ろ」と促されて眠る。 1月27日 - (榛名ベース昼頃、gとj来訪し、g、Lを殴り縛ったことを報告小屋完成前ベース移動提起永田連名での坂口の手紙を書き永田見せずにgに渡す。 、jが雑談の中で自身体重のことを語ったことから「どうして体重分かったのだ」と質問する中で高崎でAと風呂入ったことを聞きだす。夕方前、gとj、迦葉ベース出発永田対し風呂の件でAを批判し、Aへの総括要求決定夕方永田対しHを批判し、Hがお腹の子供を私物化していると主張子供取り出すことを考えなければならないとする。永田、Hへの積極的な総括要求主張し同意1月28日 - (榛名ベース午前中坂口坂東・j来訪坂口、Lの件を報告は、Gは真面目に総括しようとしているため逃亡の心配はないが、Hには総括する姿勢見られず、逃亡危険性があるとして、Hを殴り髪を切ることを提起坂口坂東永田、これに同意永田がHを思い切り殴れそうにないというのを受けて針金を輪にしたもの作り、Hを殴る。がHに「永田さんが憎かったろう?」と尋ね、Hが「その通りです」と答えると、永田が「わたしがいるから組織女ボスになろうと思っても無駄よ」と言って針金でHを殴った坂口坂東も続く。H、殴打抗議し、「私は山に来るべき人間ではなかった」と発言森・坂口・坂東、Hを殴りa・h・jがこれに続く。、Hにベース移動時に声をあげたり等しないよう要求し、Hは同意、Hの髪を切るよう指示夕方、車に荷物運びその後G・Hを運ぶ。G・H対し移動時に大声出したり、逃走しようとしたりすれば、すぐに処刑する積もりだ」と忠告午後7時頃、j運転の車で森・永田・坂口・坂東h・Lとhの子供を連れ迦葉ベース出発。aは上京しているAが戻ってくるかもしれないからという理由榛名残った。aは一人榛名ベース残っている間に散弾銃こめかみ当ててみたり、逃走考えたり、警官隊踏み込んでくれないかとまで考えていたという。 (迦葉ベース)jが山中落とした運転免許証近隣猟師発見しメンバー届ける。吉野・植垣らは猟師から警察ベース存在知られる懸念について話しあう。警察が来た場合は「殲滅戦」を行うことでメンバー合意吉野猟師が来た場合警察変装している可能性もあるとして「殲滅戦」の対象とすべきと主張29日午前1時頃、迦葉ベース入り口到着し迦葉ベースメンバーの「殲滅戦計画を知る。民間人殺害をも念頭においたこの「殲滅戦計画について吉野批判し吉野釈明1月29日 - 迦葉ベース移動G・H・L小屋未完成であることを理由小屋床下縛られる、Lに対し総括もできず自殺できないのか」と言い、Lは舌をかもうとする。Lの妻であるhは「どうして総括しないの」と言ってLの胸に顔をうずめて泣いた永田、GとHに総括要求しGは同意、aにLの様子を見させ、Lに与え猿轡をさせるよう指示(Lは飲まず)。午後11時過ぎ中央委員会、Lの件について坂口らに報告1月30日 - 夜中のうちにL死亡。9人目犠牲者、Lの死を「敗北死」とする。永田坂口にLへの総括要求死についてhに説明することを提起同意しhに経緯説明中央委員会でLの「敗北死」を確認迦葉ベース来てから総括真面目に取り組なくなったとしてGを批判し、他のCC同意永田同意反論もせず。、Aがjと風呂入ったことを批判し、Aへの総括要求決定、他のCC同意夕方永田、Gに睨まれたと会議主張、Gを殴ることを決定し、他のCC同意永田はGの恋人である植垣とGと旧知の仲であったcにGを殴らせることを提起し同意永田指示で被指導部にGの殴打決定伝え、Gを批判、植垣とcにGを殴るよう要求指示坂口が「殴られないと思ったら、大間違いだぞ!」と叫ぶ。植垣ら、Gが縛られている床下向かい、Gが既に死亡していることを確認10人目犠牲者、Gの死を殴打決定の声が聞こえたことによるショック死敗北死)」とする。永田指示でGの「ショック死」を全体伝える。 1月31日 - 早朝、gとj、Aを連れて帰還。A、車のカンパ失敗したこと等を報告カンパ失敗問題視しAは反論がAに対してjと風呂入ったことを問題視すると、Aは「未だ革命戦士化し切っていないメンバー風呂入れるべきではなく自分一人で行くべきだった」と発言はこの発言官僚的であるとして批判。Aはこれに対して「僕は官僚的でも傲慢でもなく真面目だ思っている」と反論はこの問題について総括要求し追及終える。 、Hを吉野から乗り移ることで権力取ろうとしている、権威主義的であると断定して「女F」と批判しお腹の子供がおりてしまわない調べることを主張夕方看護学生であるdらと医大生であるaがHのお腹調べ床下戻される子供を守るためとしてすいとん与えたがHは半分くらいし食べず湯を欲しがった2月1日 - 朝食後、坂口坂東吉野、jの運転でL・G遺体埋める場所を探し出発夕方前帰還埋める場所を見つけて穴を掘ったこと、警察大勢いたこと、森・永田・坂口・らの指名手配ポスター大量にあったことを報告、この日の死体埋葬行わず翌日坂東様子を見にいくことを決定永田、Aの総括聞く永田途中で退席)。昼近く永田対しAが話の途中で逃げたと言う昼食後、、Aを批判しとAは無言対立、「Hが総括しない時には子供取り出す必要がある」と話しいざという時自分子供取り出すと言う永田子供取り出すことへの参加表明。Hの夫であり生まれてくる子供父親でもある吉野も「その理由への納得とかよりも、拒絶出来ないし、とにかくやる以外ないと思い」、参加表明子供を「組織の子として育てる」とする。永田、Hを小屋入れ食事与えることを提起し坂口らも同意夕食後、永田指示により、被指導部対しHを批判いざという時子供取り出すことを告げる。a、この計画異議を唱える取り合われず。永田女性らでHの体をきれいにすることを提起、Hの縄をほどいて部屋上げ、体をふき新しい服を着せ土間に縛る。 中央委員会において、Aを追及、Aの赤軍派復帰繰り返し追及。A、CC辞任申し出る、AのCCからの除名告げ、A、こたつから出て正座するのAへの追及続く。 2月2日 - 医学生であるaにHのお腹の子供について質問し婦人科の医学書買ってくるよう指示。aはこの非常識な指示呆れて買ってこなかった。この間H、永田ミルク要求永田はHを殴りミルク与える。 、Aが総括できていないとし、以降Aに食事与えず朝食後、中央委員会、Aを批判午後中央委員会、Aを批判しの上座らせることを提起永田坂口吉野同意ら、の台を作りその上にAを正座させる。これを見た植垣が思わず「またか」と言うと、側にいたaも「いやだなあ」と言ったという。夕方、Aが総括しようとしていないとし、小屋中に入れることを提起永田らは同意、Aを小屋の中で正座させる。がAを総括しようとしていない批判すると、永田はAに拾いをさせることを提起、Aの総括は「0.1パーセント可能性」とし、一日一杯拾いをさせることを決定、植垣とaとdにAを24時間監視させることを決定。aとdがAの監視開始夕食後、永田指示でAへの総括要求について全体に話す。、Aの問題指摘、AにCCからの除名伝え一日一杯拾いをするよう通告午後10時坂口坂東吉野、j運転の車でGとLの死体埋め出発午前4時頃、坂口らが帰還し森・永田・坂口の大きな指名手配書が随所大量に張ってあったことを報告2月3日 - 朝食前a・c・j榛名残り荷物の運搬指示、またaに婦人科の医学書購入指示朝食後、aら出発、Aに一杯与え拾い指示、植垣とgが見張りにつく。昼過ぎ坂東、Aらを迎えに行く、gと植垣から報告聞き、Aが総括できていないとする。 H、トイレ要求し永田はHをトイレ行かせることを提起、黙る。永田、Hをトイレ行かせることを繰り返し提起しはこれを認める。永田とdら、Hの縄をほどくが間に合わず永田ら、Hの下着替えに縛ろうとするがHは立てず永田、Hを寝かせることを提起、Hが敵対することを考えなければならないとし、Hを寝かせて縛る 夕方坂東と植垣、Aを連れ帰還坂東と植垣からの報告受けてAが総括しようとしていないとし、Aを殴り、逆えびに縛ることを決定、Aを追及し、殴る。他のメンバーも続く。榛名からa・c・j帰還追及に加わる。この間、Hの様子変わっていることに永田気づき声をかけるとHは「なんでもありません」と答えた。Aへの追及殴打再開、Aの総括可能性が0.01パーセントであるとし、植垣らにAの束縛指示皆でAを縛る。 夜、吉野永田からHにミルク与えること、からHの見張り2組決め夜番をさせることを指示される吉野がこれを受けて指導部メンバーに対して夜番をするよう呼びかけると、見張りをされる当人であるはずのHが名乗りを上げ吉野戸惑うがすぐにらの目を意識して「うるさい、黙ってろ」と一喝その後決まった2組に対してどちらが前半をするかじゃんけん決めさせようとすると、Hがじゃんけんが行われる傍らで「じゃんけんぽんあいこでしょ」と声に出した動転した吉野は冷静を装いメンバー指示出して寝床入った吉野がHにミルク与え忘れていたことに気がついたのは翌朝、Hがすでに死亡してからだった。同じ日、寝ようとしていた植垣はHに「植垣君、ミルクちょうだいと言われたが、すでにミルク与えられたものと思っていた植垣は「うるさい、早く寝ろと言って寝てしまったという。 2月4日 - 午前6時半頃、坂口ら、Hが既に死亡していることを確認11人目犠牲者事件発覚後掘り出されたHの遺体には8ヶ月身長40.5センチ体重1630グラム女性胎児存じた。、Hのお腹の子供を取り出すことを断念、Hが自分に対して死ぬことを隠していたと批判、「子供私物化と闘えなかった」、「子供私物化許したのはCC躊躇したから」としそのこと自己批判すべきとする永田指示で被指導部対し子供私物化許したのはCC躊躇したから」ということ自己批判朝食後、中央委員会永田、Aの総括について「食事有無総括関係ない」「丸太敷きの上に逆エビでは厳しすぎる」と主張坂口賛同し、Aをに縛ることとし食事与える 。 夕方永田、車と資金の調達のため東京出発以後15日まで都内アジト潜伏)。かつて下山するメンバー交通手段決めず出発していたことに対してが「警戒心足りない」と激しく批判するのを見ていた永田は、この上に際して交通手段を予め決めてなかったことに驚いたという。メンバー山から離れた永田こうした言行不一致」を複数目撃したという。 深夜坂東吉野と植垣、Hの遺体埋め出発(運転j)。 Hの遺体を穴に落とす際、脚のほうを持っていた吉野は手を離すことができず、Hの遺体頭から落ちてしまい、吉野痛かったろうと考え遺体腹部打ち付けたのでお腹の子供の悲鳴聞こえたような気がしたという。吉野それまで犠牲者遺体「物体」として無造作に扱っていた自分行為思い返し、Hの遺体向き直すために穴に入った植垣がそれまで自分と同じよう遺体ぞんざいに扱うのを腹立たしく思ったという。 2月5日 - 早朝坂口A・d・hを除くメンバー榛名ベース解体出発2月6日 - (迦葉ベース午前、dとh、aとjが榛名ベースから運んで来た荷物取りベース出発直後にh脱走1972年3月出頭)。 dから報告受けた坂口はhが子供奪還のために警察ベース戻ってくることを警戒坂口はAに対して警官が来たらどうするかを問い、Aは「手製爆弾投げて自爆する」と回答。これに対し坂口が「なぜ『銃を持って闘う』といわないんだ」と反論するとAは「銃を持って闘います」と答え坂口はこれを受けて総括終了した」としてAの縄を解き、銃を渡す。Aの手足は凍傷により動かなくなっていた。Aは「両足切断するほかない」と寂しそう言った坂口がAに「縛られていた時何を考えていた?」と聞くと「死ぬことを考えていた」、「森さんのことをどう思う?」と聞くと「鋭い感覚をしている」と答えた。 夜、坂口はdに現金渡し榛名ベース行ったメンバー達に妙義山群馬県)にベース移動することを伝えに行くよう要請。d、L夫妻の子供を連れて榛名ベース出発2月7日 - (榛名ベース解体終えたメンバー迦葉ベース移動開始バス停バスを待つ間にbが脱走1972年3月出頭)。 同日榛名ベースに向かうためタクシー乗ったdが汚れた身なり乳児(L夫妻の子供)を連れていたため、心中目的疑ったタクシー運転手警察通報保護される翌日友人迎えられ警察署出た後、翌々日にL夫妻の子供を友人頼み消息を絶つ1972年3月出頭)。 (迦葉ベース坂口東京にいるへの状況報告のため公衆電話のある沼田市へ向かう。がAの総括認めなければ拳銃で殺すつもりで、出発の際にAに「必ず君を助けるからな」と言ったという。アジト不在にしていたのかこの日森連絡はとれなかった。 榛名からメンバー帰還坂口、bの脱走メンバーがdと合流していないことを知る。坂口がaとレンタカー借り行っている間にAは再び縛られる坂口はAの総括完了したことを言うことができず縛られたままにされた。 2月8日 - 迦葉山メンバー妙義山出発坂口b・d・h脱走妙義山移動すること、Aの束縛解いたことを電話報告報告中に坂東坂口から電話受話器奪い、Aが「爆弾使って自爆すると言ったことを問題であるとして報告、これにより抱いていた坂口戦闘意思腰砕けになってしまい、坂東2人相手にしてAを擁護する力は自分にはないと思い反論しなかった。永田に対してAの縄を解いた坂口を「共産主義化わかっていない」と批判が「坂口君はこれまで永田さんに庇護されてきた。今後は、それは許されないと言ったことを受けて永田坂口との離婚検討すべきか話すとは「それしかないだろう」と回答2月9日11日 - ベース候補地探索。裏妙義の籠沢の洞窟ベース決定し移動(妙義ベース)。この間、Aは1日1度食事与えられいたもの縛られたまま寝袋入れられ放置されており徐々に衰弱していった。Aはしきりに欲しがり体をねじって食べようとした。これを見て、aはAが凍傷により脱水症状似た症状になっている考えたという。 2月12日 - Aが死亡最後の犠牲者。Aは死の直前に「総括しろだって? ちくしょうと言ったという。坂口Aの死電話報告Aの死を「悲しそうに伝えた」として永田に対して坂口批判永田坂口擁護するが、はそれを批判自身の妻にも問題があるとして永田結婚するのが「一番正しい」と永田告げる。永田はこれを了承し翌日坂口伝えるよう提起すると、躊躇した最終的に了承2月13日 - 指示坂口上京坂口にAの縄を解いたことを批判坂口がAの縄を解いた坂東が再び縛ったことを伝えると、は「坂東は全く信頼できる」と声を出して笑った永田坂口に「森さん好きになったので、坂口さんと離婚し森さん結婚することにする。これが共産主義化観点から正しいと思う。Aの縄をほどいた問題を必ず総括してほしい」と告げる。黙っていた。坂口、しばらく黙った後これを了承。Aの遺体をまだ埋めていないことを知ったはすぐに埋めるよう坂口要請坂口にAが死の直前に「総括しろだって、畜生と言ったことを伝えて暗に総括同意していないことを伝えた2月14日 - 朝、が出かけて2人きりになると永田坂口に「本当はあなたが好きなの」と発言坂口は「もうそういうことは許されないのだ」と答えた帰ってきた後、「離婚のことについて話したい」として坂口永田アジト近く喫茶店に連れ出して総括についての意見改めて問う。永田「共産主義化」のために必要であるとの認識答えると 、坂口は「俺は総括何だか分からなくなった」と告げ妙義山に戻る。 2月15日 - 午前榛名ベース跡地警察知られたことを新聞知った永田妙義山へと移動開始妙義山ベースで「気がゆるんでいる」として、坂口坂東主導による総括会議が行われる。坂口がAの縄を解いたに関して自己批判をした後「私を批判してほしい」と言うが、誰も発言せず。坂口指名されてgが発言するが、後に続くものはなかった。その後坂口各自総括促し各自自分総括行なっていたが、植垣が自分総括行なっていた際に坂口坂東居眠りをしていることに気がつき、「もうやめた」「みんなも寝ようと言ってそのまま眠ってしまう。 深夜坂口吉野・植垣・a・jAの死体を妙義山中に埋める。 2月16日 - 妙義ベース移動中の永田山狩り中の警察官職務質問を受けるが身元発覚することなく解放される。このことを受けて最短距離でベースに行くルート主張する永田警察山狩り警戒して迂回してベースに行くルート主張したとで意見割れたが、主張する迂回ルート選択する。 同じ日の午前坂口らも榛名ベース跡地警察知られたことを知り長野県方面避難することとする合流地点設定のため、植垣・a・c・j先発隊として車で出発坂口永田への電話連絡のため同乗その道中で警察職務質問受けたため、坂口指名手配されていないcとjをこの場に残して植垣・aと共に警察の隙を盗んで逃走することを決定残されたcとjは車内に9時間篭城した後、逮捕された。 妙義ベース戻った坂口らは山越え長野県佐久市側に抜けルートを行くことにする。 2月17日 - 森・永田、妙義ベースにたどり着くが、坂口らは出発した後だった。山狩り警察官包囲されていることに気がついた2人は「殲滅戦」を闘うことを決意。これに対しては「もう生きてみんなには会えないな」と発言永田にとってこの発言は「敗北主義以外のなにものでもなかった」。やがて山狩り警察官発見され格闘の末、森・永田、逮捕されるラジオニュースでこれを知った坂口たちは驚くが、2人奪還向けて決意表明を行う。坂口2人奪還向けた決意表明をし、永田結婚することになったことをメンバー告げた2月19日 - 坂口ら、山越え結果長野県軽井沢にたどり着く。 午前買出しに出かけた植垣・a・f・g軽井沢駅逮捕される。 植垣らの逮捕ラジオニュースで知った坂口坂東吉野加藤倫教・iは逃走の末、この日の午後より、管理人の妻を人質として浅間山荘篭城あさま山荘事件)。坂口たちの篭城知ったは、渋川署員に対して警察全員射殺をしない代わりに自分立てこもっているメンバー説得して投降させる」として現地行かせるように要求したが、その前に供述するよう要求されはこれを拒否したため実現しなかったという。死の直前書簡の中でこのことに触れ、「死刑思っていたぼくは(そして前程的に権力負けていた)五人生きてもらうことで『党』を存続させようとしたのです。一日自分甘さ知り断固支持になったとはいえ、この敗北主義降伏主義で党を存続させようとしたことはぼくの解体をはっきり示しています」と自己批判している。この篭城長期化する中で、警察立てこもり犯を完全に特定できないまま坂口坂東吉野肉親の他、Fの肉親にも現場で説得要請この段階において警察説得をした肉親たちも本事件存在知らず、Fの肉親はFがすでに死亡していることを知らず山荘向かって投降呼びかけた。また篭城中のある日坂東つまみ食いをするのを見たことをきっかけ吉野坂口坂東に対して強い不満を抱いていたことを坂口打ち明け坂東総括要求する坂口吉野にHに対す総括求めてなだめる最終的に坂口促されて坂東自己批判2月28日 - 夕方機動隊突入により坂口坂東吉野加藤倫教・iの全員逮捕される。これにより脱走者を除く生存メンバー全員逮捕されることとなった脱走していたメンバー4人も翌3月中に全員出頭逮捕された。

※この「「敗北死」・脱走・逮捕による組織崩壊と事件の終結」の解説は、「山岳ベース事件」の解説の一部です。
「「敗北死」・脱走・逮捕による組織崩壊と事件の終結」を含む「山岳ベース事件」の記事については、「山岳ベース事件」の概要を参照ください。

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