「敗北死」・脱走・逮捕による組織崩壊と事件の終結
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「山岳ベース事件」の記事における「「敗北死」・脱走・逮捕による組織崩壊と事件の終結」の解説
1月20日 - 森、Hが懐中電灯の電池を隠したと批判。午後8時、全体会議。永田、Hを懐中電灯の電池の件で追及。H、これを否定、森は何も言わず。永田、全体会議中のタバコ制限の撤廃を提起、他のメンバーは何も言わず。永田、森の指示でCの死刑の総括を報告。Gが自身の総括を行うが、永田は「頭で考えすぎ」と認めず。森・gもGを批判。gは恋人である植垣にもGに対する発言を求め、植垣は「総括できていないGさんは好きではない」と答える。森、Hが「僕の方ばかり見ている」ことを根拠に「吉野君から僕に乗り移っているのだ。これは、吉野君にはもう利用価値がないと思ったからだ。だから、吉野君との離婚表明も簡単にできたのだ」と主張し、CCに対しHを批判、他のCC、被指導部も続く。森、吉野に対しH批判を要求。吉野、「Hさんに足を引っ張られたりはしない」とHとの離婚を表明。 午後11時頃、Aとh、jを連れて帰還。j、自己紹介。 1月21日 - 森、jに入山の決意表明を求め、jを評価し、入山しなかった黒ヘルメンバーを批判。 中央委員会。森、ベース建設の期間(1週間)と人の割り振り(ベース建設:坂東・吉野・植垣・b・c・d・f・i・加藤倫教。ベース間連絡:a・L。榛名ベースの荷物整理:g・h。GとHは榛名ベースで総括させ、森・永田・坂口・Aは榛名ベースに残る)を決定。 中央委員会にて、森が吉野に対しHを批判。吉野、Hを批判的に語る。 1月22日 - ベース建設メンバー、順次出発。森、永田に対しHを批判。 1月23日 - 夕方、aとLが帰還。森、ベース建設の目処について答えられなかったaを批判。森、坂口にベース建設に加わるよう提起、坂口同意。夜、坂口・A・a・g、h運転の車でCの死体を埋めに行く。aは埋葬が終わった後他のメンバーに気づかれないようにCを埋めた場所に向かって両手を合わせてCに謝罪したという。 1月24日 - 午前7時過ぎ頃、坂口らが帰還。ベース近くでhの運転する車が路肩の溝にはまり、レッカー車で引き上げる必要があることを報告。森、同意し、運転免許を持っているjに対し、Aと共に出かけるよう指示。朝食後、Aとj、出かける。この合間にA、jと一緒に銭湯に行く。夕方遅く、Aとjが帰還、車が直ったことを報告。 1月25日 - (迦葉ベース)朝、Lが車をぬかるみにはめる。坂口がLを批判するが、Lはこれを認めず。坂口は傍観者的な態度を取っていたLを問題視し、坂東と協議。坂東も同様のことを感じていたことを確認。夜、全体会議。坂口・坂東、Lを批判・追及し正座させる。Lは闘争への関わり方を問われると「自分としては革命のお手伝いをして来ただけだ。Cの時は物理的に手を貸しただけだ。これまでC.Cの決定に従って来た。これからもそうする」と発言。この発言を他メンバーも批判・追及。坂口、森にLの処置の指示を仰ぐため榛名ベースに向かう。坂東がLを正座させることを決定。坂口は何も言わなかった。L、泣きながら「山に来るべきでなかった」と発言。 (榛名ベース)午前8時頃、車調達のためA上京。gからGが「なんで総括をされているかわからない」と言って泣いていたという話を聞いた永田は永田自身もGやHがなぜ執拗に総括を要求されているのか分かっていなかったので戸惑ったという。森、Hが懐中電灯の電池を隠していると主張、永田に荷物を調べさせるが見つからず。森、「皆に黙って子供の出産に備えているにちがいない」としてHがタオル・さらしを大量に持っていると主張、永田に荷物を調べさせるが見つからず。夕食後、森、GとHを追及。森、Gの総括を認めず追及を続ける。森はHを「総じて永田さんに反発し、男を利用して自分の地位を確立しようとしている」と断定的に批判。Hがこれを否定し、永田も「私に反発するということは感じない」と反論したが、森は自説を撤回しなかった。G、植垣について話そうとするが永田、これを認めず。森、Gにn(山岳ベースから脱走したため印旛沼事件で殺害。事件直前までGと恋人関係にあった)とベース逃亡後に接触していたことを追及し、Gがベース逃亡後のnと接触し性関係を持ったことを認めたため、永田、Gを批判。森、GとHを縛ることを提起。永田、同意も反対もせず。森、妊婦であるHがタンスに自由に寄りかかれるよう縛り、食事にも配慮するとし、永田、縛ることに同意。この頃26日夜明け。森はGとHを縛り、以後、用便にも立たせずに放置した。 1月26日 - (榛名ベース)朝食後、森、Hを柱に縛る。森、GとHにミルクを与え、その飲み方を見て「Gは総括しようとする態度だが、Hはそうではない」と主張。森、Hを批判し前日の発言を翻し当面食事を与えないことを決定。森はHに対して「出産を控えた一主婦と何ら変わらない態度をとり、妊娠や出産に対する我々の同志的な援助を逆手にとって、多く甘える、開き直る態度にでている」「妊娠の事実を自己の未総括の合理化の手段にしている」と考え、その「怒り」から「産まれ出てくる子供は、すでに彼女や某さん(引用者注・吉野)の私的な所有物ではなく、我々全体のものである」と考えるに至ったという。そんな中、坂口・a・jが帰還。坂口、L問題を報告。森、Lを殴って縛るべきと主張。永田・坂口、これに同意。永田、坂口にGとHを縛ったことを報告。昼食後に森は永田と坂口に対してHが森に「今の私じゃだめだということですか」と言ったことを明かし、「総括する態度ではない」と批判。永田、これに同意(以降、Hに食事は与えられず)。永田、Gにおしるこを与え総括を聞くが、森、この総括を認めず(以降、Gに食事は与えられず)。坂口・g・j、迦葉ベースに出発。 (迦葉ベース)Lを一日中正座させて総括させることを決定。夜、坂口帰還後、全員でLを追及し殴った後縛る。坂口、榛名ベースにおいてGとHが総括のために縛られていることを報告。植垣、Gとの関係についてメンバーから追及される。Gが縛られた以上自分も縛られるべきだと考え追及が終わった後も正座をしていた植垣であったが、坂東に「明日の作業があるからもう寝ろ」と促されて眠る。 1月27日 - (榛名ベース)昼頃、gとj来訪し、g、Lを殴り縛ったことを報告。森、小屋完成前のベース移動を提起。森、永田と連名での坂口への手紙を書き、永田に見せずにgに渡す。 森、jが雑談の中で自身の体重のことを語ったことから「どうして体重が分かったのだ」と質問する中で高崎でAと風呂に入ったことを聞きだす。夕方前、gとj、迦葉ベースへ出発。森、永田に対し風呂の件でAを批判し、Aへの総括要求を決定。 夕方、森、永田に対しHを批判し、Hがお腹の子供を私物化していると主張、子供を取り出すことを考えなければならないとする。永田、Hへの積極的な総括要求を主張し、森は同意。 1月28日 - (榛名ベース)午前中、坂口・坂東・j来訪。坂口、Lの件を報告。森は、Gは真面目に総括しようとしているため逃亡の心配はないが、Hには総括する姿勢が見られず、逃亡の危険性があるとして、Hを殴り髪を切ることを提起。坂口・坂東・永田、これに同意。永田がHを思い切り殴れそうにないというのを受けて、森が針金を輪にしたものを作り、Hを殴る。森がHに「永田さんが憎かったろう?」と尋ね、Hが「その通りです」と答えると、永田が「わたしがいるから組織の女ボスになろうと思っても無駄よ」と言って針金でHを殴った。坂口・坂東も続く。H、殴打に抗議し、「私は山に来るべき人間ではなかった」と発言。森・坂口・坂東、Hを殴り、a・h・jがこれに続く。森、Hにベース移動時に声をあげたり等しないよう要求し、Hは同意。森、Hの髪を切るよう指示。夕方、車に荷物を運び、その後G・Hを運ぶ。森、G・Hに対し「移動時に大声を出したり、逃走しようとしたりすれば、すぐに処刑する積もりだ」と忠告。午後7時頃、j運転の車で森・永田・坂口・坂東・h・Lとhの子供を連れ迦葉ベースへ出発。aは上京しているAが戻ってくるかもしれないからという理由で榛名に残った。aは一人で榛名ベースに残っている間に散弾銃をこめかみに当ててみたり、逃走を考えたり、警官隊が踏み込んでくれないかとまで考えていたという。 (迦葉ベース)jが山中に落とした運転免許証を近隣の猟師が発見し、メンバーに届ける。吉野・植垣らは猟師から警察にベースの存在が知られる懸念について話しあう。警察が来た場合は「殲滅戦」を行うことでメンバーは合意。吉野は猟師が来た場合も警察が変装している可能性もあるとして「殲滅戦」の対象とすべきと主張。29日午前1時頃、森ら迦葉ベース入り口に到着し、迦葉ベースメンバーの「殲滅戦」計画を知る。森、民間人の殺害をも念頭においたこの「殲滅戦」計画について吉野を批判し、吉野は釈明。 1月29日 - 森ら迦葉ベースに移動。G・H・L、小屋が未完成であることを理由に小屋の床下に縛られる。森、Lに対し「総括もできず自殺もできないのか」と言い、Lは舌をかもうとする。Lの妻であるhは「どうして総括しないの」と言ってLの胸に顔をうずめて泣いた。永田、GとHに総括要求しGは同意。森、aにLの様子を見させ、Lに水を与え猿轡をさせるよう指示(Lは水を飲まず)。午後11時過ぎ、中央委員会。森、Lの件について坂口らに報告。 1月30日 - 夜中のうちにL死亡。9人目の犠牲者。森、Lの死を「敗北死」とする。永田、森と坂口にLへの総括要求と死についてhに説明することを提起、森ら同意しhに経緯を説明。中央委員会でLの「敗北死」を確認。 森、迦葉ベースに来てから総括に真面目に取り組まなくなったとしてGを批判し、他のCCも同意、永田は同意も反論もせず。森、Aがjと風呂に入ったことを批判し、Aへの総括要求を決定、他のCCも同意。 夕方、永田、Gに睨まれたと会議で主張。森、Gを殴ることを決定し、他のCCも同意。永田はGの恋人である植垣とGと旧知の仲であったcにGを殴らせることを提起し、森は同意。永田、森の指示で被指導部にGの殴打決定を伝え、Gを批判、植垣とcにGを殴るよう要求。森の指示で坂口が「殴られないと思ったら、大間違いだぞ!」と叫ぶ。植垣ら、Gが縛られている床下に向かい、Gが既に死亡していることを確認。10人目の犠牲者。森、Gの死を殴打決定の声が聞こえたことによる「ショック死(敗北死)」とする。永田、森の指示でGの「ショック死」を全体に伝える。 1月31日 - 早朝、gとj、Aを連れて帰還。A、車のカンパに失敗したこと等を報告。森、カンパ失敗を問題視しAは反論。森がAに対してjと風呂に入ったことを問題視すると、Aは「未だ革命戦士化し切っていないメンバーを風呂に入れるべきではなく、自分一人で行くべきだった」と発言。森はこの発言を官僚的であるとして批判。Aはこれに対して「僕は官僚的でも傲慢でもなく真面目だと思っている」と反論。森はこの問題について総括を要求し追及を終える。 森、Hを吉野から森に乗り移ることで権力を取ろうとしている、権威主義的であると断定して「女F」と批判し、お腹の子供がおりてしまわないか調べることを主張。夕方、看護学生であるdらと医大生であるaがHのお腹を調べ、床下に戻される。子供を守るためとしてすいとんを与えたがHは半分くらいしか食べず湯を欲しがった。 2月1日 - 朝食後、坂口・坂東・吉野、jの運転でL・Gの遺体を埋める場所を探しに出発。夕方前帰還、埋める場所を見つけて穴を掘ったこと、警察が大勢いたこと、森・永田・坂口・らの指名手配のポスターが大量にあったことを報告、この日の死体の埋葬は行わず翌日坂東が様子を見にいくことを決定。 森と永田、Aの総括を聞く(永田は途中で退席)。昼近く、森、永田に対しAが話の途中で逃げたと言う。昼食後、森、Aを批判し、森とAは無言で対立。 森、「Hが総括しない時には子供を取り出す必要がある」と話し、いざという時は自分が子供を取り出すと言う。永田、子供を取り出すことへの参加を表明。Hの夫であり生まれてくる子供の父親でもある吉野も「その理由への納得とかよりも、拒絶は出来ないし、とにかくやる以外ないと思い」、参加を表明。森、子供を「組織の子として育てる」とする。永田、Hを小屋に入れ食事を与えることを提起し、坂口らも同意。夕食後、永田、森の指示により、被指導部に対しHを批判、いざという時は子供を取り出すことを告げる。a、この計画に異議を唱えるも取り合われず。永田、女性らでHの体をきれいにすることを提起、Hの縄をほどいて部屋に上げ、体をふき新しい服を着せ、土間に縛る。 中央委員会において森、Aを追及。森、Aの赤軍派復帰を繰り返し追及。A、CC辞任を申し出る。森、AのCCからの除名を告げ、A、こたつから出て正座する。森のAへの追及続く。 2月2日 - 森、医学生であるaにHのお腹の子供について質問し、婦人科の医学書を買ってくるよう指示。aはこの非常識な指示に呆れて買ってこなかった。この間H、永田にミルクを要求、永田はHを殴りミルクを与える。 森、Aが総括できていないとし、以降Aに食事を与えず。朝食後、中央委員会。森、Aを批判。午後、中央委員会。森、Aを批判し、雪の上に座らせることを提起、永田・坂口・吉野、同意。森ら、雪の台を作り、その上にAを正座させる。これを見た植垣が思わず「またか」と言うと、側にいたaも「いやだなあ」と言ったという。夕方、森、Aが総括しようとしていないとし、小屋の中に入れることを提起、永田らは同意、Aを小屋の中で正座させる。森がAを総括しようとしていないと批判すると、永田はAに薪拾いをさせることを提起。森、Aの総括は「0.1パーセントの可能性」とし、一日水一杯で薪拾いをさせることを決定。森、植垣とaとdにAを24時間監視させることを決定。aとdがAの監視を開始。夕食後、永田、森の指示でAへの総括要求について全体に話す。森、Aの問題を指摘。森、AにCCからの除名を伝え、一日水一杯で薪拾いをするよう通告。 午後10時、坂口・坂東・吉野、j運転の車でGとLの死体を埋めに出発。午前4時頃、坂口らが帰還し、森・永田・坂口の大きな指名手配書が随所に大量に張ってあったことを報告。 2月3日 - 朝食前、森、a・c・jに榛名の残りの荷物の運搬を指示、またaに婦人科の医学書の購入を指示。朝食後、aら出発。 森、Aに水一杯を与え薪拾いを指示、植垣とgが見張りにつく。昼過ぎ、坂東、Aらを迎えに行く。森、gと植垣から報告を聞き、Aが総括できていないとする。 H、トイレを要求し、永田はHをトイレに行かせることを提起。森、黙る。永田、Hをトイレに行かせることを繰り返し提起し、森はこれを認める。永田とdら、Hの縄をほどくが間に合わず。永田ら、Hの下着を替え柱に縛ろうとするがHは立てず。永田、Hを寝かせることを提起。森、Hが敵対することを考えなければならないとし、Hを寝かせて縛る 夕方、坂東と植垣、Aを連れ帰還。森、坂東と植垣からの報告を受けてAが総括しようとしていないとし、Aを殴り、逆えびに縛ることを決定。森、Aを追及し、殴る。他のメンバーも続く。榛名からa・c・jが帰還、追及に加わる。この間、Hの様子が変わっていることに永田が気づき、森が声をかけるとHは「なんでもありません」と答えた。Aへの追及と殴打を再開。森、Aの総括の可能性が0.01パーセントであるとし、植垣らにAの束縛を指示。皆でAを縛る。 夜、吉野は永田からHにミルクを与えること、森からHの見張り役2組を決め夜番をさせることを指示される。吉野がこれを受けて被指導部メンバーに対して夜番をするよう呼びかけると、見張りをされる当人であるはずのHが名乗りを上げ、吉野は戸惑うがすぐに森らの目を意識して「うるさい、黙ってろ」と一喝。その後決まった2組に対してどちらが前半をするかじゃんけんで決めさせようとすると、Hがじゃんけんが行われる傍らで「じゃんけんぽん、あいこでしょ」と声に出した。動転した吉野は冷静を装いメンバーに指示を出して寝床に入った。吉野がHにミルクを与え忘れていたことに気がついたのは翌朝、Hがすでに死亡してからだった。同じ日、寝ようとしていた植垣はHに「植垣君、ミルクちょうだい」と言われたが、すでにミルクは与えられたものと思っていた植垣は「うるさい、早く寝ろ」と言って寝てしまったという。 2月4日 - 午前6時半頃、坂口ら、Hが既に死亡していることを確認。11人目の犠牲者。事件発覚後掘り出されたHの遺体には8ヶ月、身長40.5センチ、体重1630グラムの女性胎児が存じた。森、Hのお腹の子供を取り出すことを断念、Hが自分に対して死ぬことを隠していたと批判。森、「子供の私物化と闘えなかった」、「子供の私物化を許したのはCCが躊躇したから」としそのことを自己批判すべきとする。永田、森の指示で被指導部に対し「子供の私物化を許したのはCCが躊躇したから」ということを自己批判。 朝食後、中央委員会。永田、Aの総括について「食事の有無は総括に関係ない」「丸太敷きの上に逆エビでは厳しすぎる」と主張。坂口ら賛同し、Aを柱に縛ることとし、食事を与える 。 夕方、森と永田、車と資金の調達のため東京に出発(以後、15日まで都内アジトに潜伏)。かつて下山するメンバーが交通手段を決めずに出発していたことに対して森が「警戒心が足りない」と激しく批判するのを見ていた永田は、この上京に際して森が交通手段を予め決めていなかったことに驚いたという。メンバーと山から離れた永田は森のこうした「言行不一致」を複数目撃したという。 深夜、坂東と吉野と植垣、Hの遺体を埋めに出発(運転j)。 Hの遺体を穴に落とす際、脚のほうを持っていた吉野は手を離すことができず、Hの遺体は頭から落ちてしまい、吉野は痛かったろうと考え、遺体の腹部も打ち付けたのでお腹の子供の悲鳴が聞こえたような気がしたという。吉野はそれまで犠牲者の遺体を「物体」として無造作に扱っていた自分の行為を思い返し、Hの遺体の向きを直すために穴に入った植垣がそれまでの自分と同じように遺体をぞんざいに扱うのを腹立たしく思ったという。 2月5日 - 早朝、坂口・A・d・hを除くメンバー、榛名ベースの解体に出発。 2月6日 - (迦葉ベース)午前、dとh、aとjが榛名ベースから運んで来た荷物を取りにベースを出発。直後にh脱走(1972年3月出頭)。 dから報告を受けた坂口はhが子供の奪還のために警察とベースに戻ってくることを警戒。坂口はAに対して警官が来たらどうするかを問い、Aは「手製爆弾を投げて自爆する」と回答。これに対し坂口が「なぜ『銃を持って闘う』といわないんだ」と反論するとAは「銃を持って闘います」と答え、坂口はこれを受けて「総括は終了した」としてAの縄を解き、銃を渡す。Aの手足は凍傷により動かなくなっていた。Aは「両足を切断するほかない」と寂しそうに言った。坂口がAに「縛られていた時何を考えていた?」と聞くと「死ぬことを考えていた」、「森さんのことをどう思う?」と聞くと「鋭い感覚をしている」と答えた。 夜、坂口はdに現金を渡し、榛名ベースに行ったメンバー達に妙義山(群馬県)にベースを移動することを伝えに行くよう要請。d、L夫妻の子供を連れて榛名ベースに出発。 2月7日 - (榛名ベース)解体を終えたメンバーは迦葉ベースへ移動を開始。バス停でバスを待つ間にbが脱走(1972年3月出頭)。 同日、榛名ベースに向かうためタクシーに乗ったdが汚れた身なりで乳児(L夫妻の子供)を連れていたため、心中目的と疑ったタクシー運転手が警察に通報。保護される(翌日、友人に迎えられて警察署を出た後、翌々日にL夫妻の子供を友人に頼み消息を絶つ。1972年3月出頭)。 (迦葉ベース)坂口、東京にいる森への状況報告のため公衆電話のある沼田市へ向かう。森がAの総括を認めなければ森を拳銃で殺すつもりで、出発の際にAに「必ず君を助けるからな」と言ったという。アジトを不在にしていたのかこの日森と連絡はとれなかった。 榛名からメンバー帰還。坂口、bの脱走とメンバーがdと合流していないことを知る。坂口がaとレンタカーを借りに行っている間にAは再び縛られる。坂口はAの総括が完了したことを言うことができず縛られたままにされた。 2月8日 - 迦葉山メンバー、妙義山へ出発。坂口、森にb・d・hの脱走、妙義山へ移動すること、Aの束縛を解いたことを電話で報告。報告中に坂東が坂口から電話の受話器を奪い、Aが「爆弾を使って自爆する」と言ったことを問題であるとして森に報告、これにより森に抱いていた坂口の戦闘意思が腰砕けになってしまい、森と坂東の2人を相手にしてAを擁護する力は自分にはないと思い、反論しなかった。森は永田に対してAの縄を解いた坂口を「共産主義化をわかっていない」と批判。森が「坂口君はこれまで永田さんに庇護されてきた。今後は、それは許されない」と言ったことを受けて、永田が坂口との離婚を検討すべきか話すと森は「それしかないだろう」と回答 。 2月9日〜11日 - ベースの候補地を探索。裏妙義の籠沢の洞窟にベースを決定し移動(妙義ベース)。この間、Aは1日1度の食事は与えられていたものの縛られたまま寝袋に入れられて放置されており徐々に衰弱していった。Aはしきりに水を欲しがり体をねじって雪を食べようとした。これを見て、aはAが凍傷により脱水症状に似た症状になっていると考えたという。 2月12日 - Aが死亡。最後の犠牲者。Aは死の直前に「総括しろだって? ちくしょう」と言ったという。坂口、森にAの死を電話で報告。森、Aの死を「悲しそうに伝えた」として永田に対して坂口を批判。永田、坂口を擁護するが、森はそれを批判。森、自身の妻にも問題があるとして森と永田が結婚するのが「一番正しい」と永田に告げる。永田はこれを了承し翌日坂口に伝えるよう提起すると、森は躊躇した後最終的に了承。 2月13日 - 森の指示で坂口上京。森、坂口にAの縄を解いたことを批判。坂口がAの縄を解いた後坂東が再び縛ったことを伝えると、森は「坂東は全く信頼できる」と声を出して笑った。 永田が坂口に「森さんが好きになったので、坂口さんと離婚し、森さんと結婚することにする。これが共産主義化の観点から正しいと思う。Aの縄をほどいた問題を必ず総括してほしい」と告げる。森は黙っていた。坂口、しばらく黙った後これを了承。Aの遺体をまだ埋めていないことを知った森はすぐに埋めるよう坂口に要請。坂口は森にAが死の直前に「総括しろだって、畜生」と言ったことを伝えて暗に総括に同意していないことを伝えた。 2月14日 - 朝、森が出かけて2人きりになると永田は坂口に「本当はあなたが好きなの」と発言。坂口は「もうそういうことは許されないのだ」と答えた。森が帰ってきた後、「離婚のことについて話したい」として坂口が永田をアジト近くの喫茶店に連れ出して総括についての意見を改めて問う。永田が「共産主義化」のために必要であるとの認識を答えると 、坂口は「俺は総括が何だか分からなくなった」と告げ、妙義山に戻る。 2月15日 - 午前、榛名ベース跡地が警察に知られたことを新聞で知った森と永田は妙義山へと移動を開始。 妙義山ベースで「気がゆるんでいる」として、坂口・坂東主導による総括会議が行われる。坂口がAの縄を解いた件に関して自己批判をした後「私を批判してほしい」と言うが、誰も発言せず。坂口に指名されてgが発言するが、後に続くものはなかった。その後、坂口が各自の総括を促し、各自自分の総括を行なっていたが、植垣が自分の総括を行なっていた際に坂口と坂東が居眠りをしていることに気がつき、「もうやめた」「みんなも寝よう」と言ってそのまま皆眠ってしまう。 深夜、坂口・吉野・植垣・a・jでAの死体を妙義山中に埋める。 2月16日 - 妙義ベースに移動中の森と永田は山狩り中の警察官に職務質問を受けるが身元が発覚することなく解放される。このことを受けて、最短距離でベースに行くルートを主張する永田と警察の山狩りを警戒して迂回してベースに行くルートを主張した森とで意見が割れたが、森が主張する迂回ルートを選択する。 同じ日の午前、坂口らも榛名ベース跡地が警察に知られたことを知り、長野県方面に避難することとする。合流地点設定のため、植垣・a・c・jが先発隊として車で出発。坂口も森と永田への電話連絡のため同乗。その道中で警察の職務質問を受けたため、坂口は指名手配されていないcとjをこの場に残して植垣・aと共に警察の隙を盗んで逃走することを決定。残されたcとjは車内に9時間篭城した後、逮捕された。 妙義ベースに戻った坂口らは山越えで長野県佐久市側に抜けるルートを行くことにする。 2月17日 - 森・永田、妙義ベースにたどり着くが、坂口らは出発した後だった。山狩りの警察官に包囲されていることに気がついた2人は「殲滅戦」を闘うことを決意。これに対して森は「もう生きてみんなには会えないな」と発言。永田にとってこの森の発言は「敗北主義以外のなにものでもなかった」。やがて山狩りの警察官に発見され、格闘の末、森・永田、逮捕される。ラジオのニュースでこれを知った坂口たちは驚くが、2人の奪還に向けての決意表明を行う。坂口も2人の奪還に向けた決意表明をし、森と永田が結婚することになったことをメンバーに告げた。 2月19日 - 坂口ら、山越えの結果長野県軽井沢にたどり着く。 午前、買出しに出かけた植垣・a・f・g、軽井沢駅で逮捕される。 植垣らの逮捕をラジオのニュースで知った坂口・坂東・吉野・加藤倫教・iは逃走の末、この日の午後より、管理人の妻を人質として浅間山荘に篭城(あさま山荘事件)。坂口たちの篭城を知った森は、渋川署員に対して「警察が全員射殺をしない代わりに、自分が立てこもっているメンバーを説得して投降させる」として現地に行かせるように要求したが、その前に供述するよう要求され、森はこれを拒否したため実現しなかったという。森は死の直前の書簡の中でこのことに触れ、「死刑と思っていたぼくは(そして前程的に権力に負けていた)五人に生きてもらうことで『党』を存続させようとしたのです。一日で自分の甘さを知り、断固支持になったとはいえ、この敗北主義、降伏主義で党を存続させようとしたことはぼくの解体をはっきり示しています」と自己批判している。この篭城が長期化する中で、警察は立てこもり犯を完全に特定できないまま坂口・坂東・吉野の肉親の他、Fの肉親にも現場での説得を要請。この段階において警察も説得をした肉親たちも本事件の存在を知らず、Fの肉親はFがすでに死亡していることを知らずに山荘に向かって投降を呼びかけた。また篭城中のある日、坂東がつまみ食いをするのを見たことをきっかけに吉野が坂口と坂東に対して強い不満を抱いていたことを坂口に打ち明け、坂東に総括を要求する。坂口は吉野にHに対する総括を求めてなだめる。最終的に坂口に促されて坂東が自己批判。 2月28日 - 夕方、機動隊の突入により坂口・坂東・吉野・加藤倫教・iの全員が逮捕される。これにより脱走者を除く生存メンバー全員が逮捕されることとなった。脱走していたメンバー4人も翌3月中に全員出頭・逮捕された。
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