淀の方とは? わかりやすく解説

淀殿

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/08 14:09 UTC 版)

淀殿(よどどの、永禄12年(1569年[注釈 1] [注釈 2] - 慶長20年5月8日1615年6月4日))は、戦国時代から江戸時代初頭の人物。豊臣秀吉側室[注釈 3]。 位階は従五位下とされるが、諸説あり。本名は 浅井 茶々(あざい ちゃちゃ)および浅井 菊子(あざい きくこ)。浅井三姉妹の一人。


注釈

  1. ^ 生年については、浅井家の記録である『浅井三代記』に茶々の誕生に関する記述が全くないため、長らく永禄10年(1567年)と推測されてきたが、近年では永禄12年(1569年)誕生説が有力になっている。また、永禄9年(1566年)生まれの説もある。
  2. ^ 江戸時代に書かれた『翁草』に、茶々が慶長20年(1615年)の大坂の夏の陣で死亡した時49歳だったと記され、母の市が長政に嫁いだのが永禄10年(1567年)ごろとされているため、市の連れ子で長政以前に嫁いだ時に産まれたという説がある。また市を信長の妹ではなく従妹とする資料もあるため、茶々は信長と市の娘とする説もある。また、淀殿の兄と言われる浅井万福丸が市の子であるかどうか明記した史料はない。ただしいずれも十分な史的考察に裏付けられている訳ではない。
  3. ^ この時代の史料で、淀殿を側室または愛妾などと記述するものは存在せず、秀吉没後、正室高台院と共に「両御台所」と記した史料(『佐竹古文書』一四五)が存在する[2]
  4. ^ 浅井氏家譜大成』によると、永禄10年(1567年)以前は信長と長政は面識が全くなかったとある。これが茶々の永禄9年(1566年)生まれの説の基となっている。また浅井家の菩提寺である徳勝寺には、三姉妹の内、淀殿の位牌のみない。
  5. ^ 妹の江と豊臣秀勝の間の娘。
  6. ^ 秀吉の直接的な庇護を受ける前、三姉妹は前田家の越前府中城に保護されていたとも、長政の長姉・昌安見久尼(阿久姫)により北近江の実宰院で保護されていたともいう。実宰院に保護されたのは小谷落城後とも北庄落城後とも言われているが、昌庵尼は後に姉妹を保護した恩賞に秀吉から知行を賜っている。
  7. ^ 現在残っている淀城の遺構は江戸時代に再建された淀城跡である。
  8. ^ 当時の武家社会に於いて現当主の生母は優遇されるためである、また通説では秀吉の正室・高台院とは確執があったと言われるが、近年の研究によって豊臣家存続という共通の目的のもと助け合っていたとされる。詳細は高台院#淀殿との関係の項目を参照。
  9. ^ 上毛史談会の調査によると前橋市の近くに淀君神社と称し淀殿を祀った神社があるという[15]
  10. ^ 『御当家紀年録 訳注日本史料』(児玉幸多編、集英社1998年、成立は1664年)に「長政女、号淀」(長政の女(=娘)、淀と号す)との割注があり、江戸前期の記録「御当家紀年録」に、呼び名が「淀」であったとの認識が示されている。
  11. ^ 治長は家康暗殺謀議の嫌疑で関東に流されたが、殺されてはいない。
  12. ^ お市の方と兼任

出典

  1. ^ 井上安代「星座から推定した淀殿の年齢」(井上安代『豊臣秀頼』続群書類従完成会、1992年)159頁
  2. ^ 福田 2006, pp. 5–6, 165–166.
  3. ^ 桑田 1958, p. 25.
  4. ^ 宮本 2010, pp. 66–74.
  5. ^ 宮本 2010, pp. 74–75.
  6. ^ 宮本 2010, pp. 112–115.
  7. ^ 宮本 2010, pp. 120–121.
  8. ^ 桑田 1958, p. 33.
  9. ^ 福田 2006[要ページ番号]
  10. ^ 宮本 2010, pp. 34–35.
  11. ^ 笠谷 2010, pp. 51–52.
  12. ^ 宮本 2010, pp. 184–186.
  13. ^ a b c d 田端 2003
  14. ^ 桑田 1972, pp. 55–56.
  15. ^ 桑田 1972, p. 56.
  16. ^ 桑田 1958, p. 45.
  17. ^ 『浅井系統一覧』による。
  18. ^ 桑田 1958, pp. 45–46.
  19. ^ 二木謙一「虚構の系譜」『歴史と人物』11巻3号、1981年。 
  20. ^ 小和田 1997, p. 75.
  21. ^ 田中貴子『あやかし考―不思議の中世―』平凡社、2004年。 
  22. ^ 福田 2006, p. 4.
  23. ^ 福田 2006, pp. 1–24.
  24. ^ 北川央 著「浅井三姉妹の長女―淀殿」、小和田哲男 編『戦国の女性たち』河出書房新社、2005年。 
  25. ^ 豊臣秀吉の妻「おね」は、側室の淀殿と対立関係にはなかった」『』、2023年6月24日。2024年1月25日閲覧。
  26. ^ 淀君と萩の筆
  27. ^ 楊谷寺 由緒と天皇家との関わり
  28. ^ 玉造稲荷神社 豊臣秀頼公
  29. ^ 宮本 2010, pp. 171–173.
  30. ^ 桑田 1958, p. 103.
  31. ^ 桑田 1958, p. 102.
  32. ^ 桑田 1958, pp. 103–107.
  33. ^ 桑田 1958, pp. 114–115.
  34. ^ 栗田元次『江戸時代史』[要ページ番号]
  35. ^ 北條秀司の舞台|東海大学付属図書館


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淀の方(よどのかた)

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豊臣秀頼の母。

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