饗庭局とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 饗庭局の意味・解説 

饗庭局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/03 14:38 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

饗庭局(あえばのつぼね、生年不明 - 慶長20年5月8日1615年6月4日))は、戦国時代から江戸時代初頭にかけての女性。

来歴

父は浅井氏の一族である田屋明政、母は浅井亮政嫡女浅井鶴千代(栖松院)。姉は海津局。子は木村重成の番頭・内藤長秋。

浅井長政の娘で、後に豊臣秀吉側室となる淀殿乳母の一人となり、高級侍女として仕えた。淀殿の名代として幾度か遣わされている。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際において、京極氏籠城する大津城へ使者として派遣され、高台院の名代である孝蔵主高野山の使者・木食応其と共にこれを開城させ、京極竜子を救出した。 また慶長19年(1614年)の方広寺鐘銘事件の際には、大蔵卿局とともに徳川家康のいる駿府へ赴いた。大坂冬の陣の講和のときも、徳川家康のもとに再度の血判を求めに常高院と共に使者に立った。

慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で敗れ自害した豊臣秀頼や淀殿に殉じて、子の長秋と共に自害した。「三十二義士」として記録に残る。

関連作品




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「饗庭局」の関連用語

饗庭局のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



饗庭局のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの饗庭局 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS