淀中学校の沿革とは? わかりやすく解説

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淀中学校の沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 01:45 UTC 版)

久御山町立久御山中学校」の記事における「淀中学校の沿革」の解説

1947年4月1日戦後学制改革により学校教育法教育基本法施行され男女共学・六・三・三制度などが導入された。なかでも最も画期的だったのは、戦前複線的な中等教育整理した新制中学校発足であった久世郡においても4校の新制中学校開校し新憲法施行日1947年5月3日そのうちの1校として現在の御山中学校前身となる淀中学校久世郡西部の3町村淀町御牧村佐山村)で設立した事務組合によって開校した。しかし、中学校として独立した校地・校舎無く久世郡御牧村島田堤外の元京都航空機乗員養成所跡を借用する形で開校した開校当時学校規模は、敷地面積1,770坪(建坪334坪)に教室特別教室管理室便所納屋があり、生徒数342人、学級数9、職員数17であった。淀中学校は3町村組合による運営だったため、3町村の各町村長交替管理者となった。翌1948年3月、淀中学校設置する際の母体となっていた併設の淀実業専修学校・淀実践高等女学校廃校となった同年4月大阪逓信講習所支所から講堂音楽室借用し施設充実図られた。同年12月には大蔵省大阪財務局より借用していた校舎校地払い下げをうけ、淀中学校組合所有となった1950年7月木造2階建て1棟(普通教室6教室)を増築し更なる施設充実図られた。 戦後の混乱期開校した中学校校舎借用状態からスタートした関係上、教室29人しか収容できないなど学校として施設的に不備な点があった。地域からは「教室らしい教室持った学校欲しい」という声が高まり、淀中学校独立校舎への新築移転検討されることになった移転候補地は4カ所があげられたが、籐和田の南(淀町大字際目小字古川1番地)に決まり敷地面積3,723坪に木造2階建て1棟・木平屋建て1棟(建坪計656坪)の校舎新築され、1953年4月移転完了した。なお、旧校地は売却された。ところが同年9月台風13号襲来により、淀中学校被害を受けることとなった堤防決壊により床上90センチ上の浸水となり、多数教諭孤立し教材なども被害受けた台風13号翌年1954年10月佐山村御牧村合併による久御山町成立に伴い、淀中学校淀町久御山町事務組合立中学校へと改称された。久御山町成立3年後1957年4月淀町京都市伏見区編入されたことに伴い、淀中学校京都市久御山町事務組合立中学校へと改称された。淀中学校独立校舎への移転後体育館有していなかったが、1961年3月体育館講堂普通教室2教室完成した。この体育館鉄骨スレート造り高さ10.16m、建坪552.60㎡で、工費860万円要したのだったその後1960年代グラウンド拡張技術科室・家庭科室・倉庫などが建設され教育環境充実図られた。

※この「淀中学校の沿革」の解説は、「久御山町立久御山中学校」の解説の一部です。
「淀中学校の沿革」を含む「久御山町立久御山中学校」の記事については、「久御山町立久御山中学校」の概要を参照ください。

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