連絡運輸
欧亜連絡運輸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 15:14 UTC 版)
戦前には日本から大陸へ渡り、シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断して欧州へ向かうことができ、日本発着の連絡切符も販売されていた。日本からシベリア鉄道に接続するまでの経路には複数のルートが存在しており、1934年(昭和9年)12月頃には下記のような経路があった。 釜山・新京経由ルート山陽本線の下関駅から関釜連絡船(下関 - 釜山)で日本領であった朝鮮半島南端の釜山へ渡り、朝鮮総督府鉄道と南満州鉄道で、新京(満州国首都) - ハルビン - 満州里(満州国とソ連の国境) - チタ(ソ連)と経由しシベリア鉄道に接続する。 大連・新京経由ルート山陽本線の神戸駅または門司駅から大阪商船の神戸 - 門司 - 大連航路で大連に渡り、南満州鉄道で新京に至る。新京から先は釜山・新京経由ルートと同じ経路でシベリア鉄道に接続する。 敦賀・ウラジオストク経由ルート北陸本線の敦賀港駅(汽船との接続のため敦賀港に設けられた駅。船舶の発着時のみ旅客列車が入線した)からウラジオストク航路でウラジオストクに渡り、シベリア鉄道に接続する。 これらの中で最も早く欧州に到達できるのは、釜山・新京経由ルートであった。1日目の15時に東京駅を出発し、12日目の17時にモスクワに到着する。14日目の9時23分にベルリン、15日目の6時43分にパリ着。ローマに向かう場合はワルシャワで乗り換え、東京出発から16日目の9時にローマ着。ロンドンに向かう場合はベルリンで乗り換え、東京出発から16日目の16時55分に到着する(時刻はいずれも現地時刻)。 欧亜連絡時刻表(釜山・新京経由ルート) 1934年(昭和9年)12月頃時刻はすべて現地時刻列車・便名日数時刻発着駅・港名発着時刻日数列車・便名特急1列車「富士」 1日 15:00 発 東京 着 15:25 16日 特急2列車「富士」 2日 09:30 着 下関 発 20:30 15日 関釜連絡船1便 10:30 発 着 19:30 関釜連絡船2便 18:00 着 釜山 発 11:30 急行1列車「ひかり」 19:20 発 着 10:50 急行2列車「ひかり」 3日 21:00 着 新京 発 07:00 14日 北満鉄道南部線4列車 4日 09:20 発 着 15:00 13日 北満鉄道南部線3列車 14:40 着 ハルビン 発 09:25 北満鉄道西部線3列車 5日 08:30 発 着 14:30 12日 北満鉄道西部線4列車 6日 07:10 着 満州里 発 16:10 11日 シベリア鉄道 13:10 発 着 08:20 シベリア鉄道 12日 17:00 着 モスクワ 発 17:45 4日 22:45 発 着 11:35 北急行 13日 14:05 発 ストルプツェ(乗換駅) 発 15:27 3日 北急行 21:45 着 ワルシャワ 発 07:15 22:50 発 着 06:18 14日 09:45 発 ベルリン 発 18:20 2日 15日 06:43 着 パリ 発 23:05 1日 シベリア鉄道ルートはヨーロッパに到達できる最速の手段であったが、ソ連政府が外交官や軍人等の政府関係者以外に査証をあまり発給しなかったことや旅費が高額だったことから、戦前の欧州渡航は横浜 - 北米大陸横断鉄道 - ロンドン(行程25日前後)の東回り海路が一般的だった。他にスエズ運河経由の西回り海路も存在したが、行程が50日前後かかる。他の渡航手段に比べれば多くの時間を要するものの、西回りの日本郵船欧州航路に乗れば日本食が提供され、乗り継ぎの必要もない上に、面倒なCIQも事務長が代行してくれるため、急がない客には好まれていた。 なお1937年(昭和12年)1月当時、東京からロンドンへは、釜山・モスクワ・ワルシャワ・ベルリン経由で13,686 km、運賃は一等795円、二等560円、三等390円だった。ちなみに当時の銀行員の初任給が70円、物価は時刻表一冊が25銭、コーヒー1杯が15銭程度だった。
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