敦賀港駅とは? わかりやすく解説

敦賀港駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/15 02:15 UTC 版)

敦賀港駅
駅舎(2009年3月)
つるがみなと
Tsurugaminato
敦賀 (2.7 km)
(1.2 km) 敦賀新港
所在地 福井県敦賀市金ヶ崎町1-19
所属事業者 日本貨物鉄道(JR貨物)
所属路線 北陸本線貨物支線
キロ程 2.7 km(敦賀起点)
電報略号 ツカ
駅構造 地上駅
開業年月日 1882年明治15年)3月10日[1]
廃止年月日 2019年平成31年)4月1日*[1]
備考 貨物専用駅
*敦賀新港方面は1943年昭和18年)4月1日に廃止[1]
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敦賀港駅(つるがみなとえき)は、福井県敦賀市金ヶ崎町にあった日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅である。北陸本線貨物支線(通称:敦賀港線)の終着駅であった。

2009年平成21年)3月末まで貨物列車の発着があった[注釈 1]が、同年4月より貨物列車がなくなり、駅設備の一部がオフレールステーションとなり敦賀港新営業所として2025年3月まで営業していた(後述)。

歴史

欧亜国際連絡列車
盛況時の様子。画像右端側下部角に写っている、船舶を港に係留する大型の係留ブイが残っている。そこを境界線として画像上部左寄りに向かって、大規模な埋め立て港湾工事が行われた痕跡が残っている。 (1998年10月)

戦前は国際連絡運輸の関係で敦賀港から出る船舶への接続列車(ボート・トレイン)が旅客列車として設定されていた。

年表

  • 1882年明治15年)3月10日金ヶ崎駅(かねがさきえき)として開業[1]
  • 1897年(明治30年)9月20日:旅客営業を廃止、同時に金ヶ崎貨物取扱所に降格[1]
  • 1908年(明治41年)3月25日金ヶ崎駅に再昇格[1]
  • 1912年(明治45年)6月15日ウラジオストク航路発着日に限り旅客輸送を再開。
  • 1919年大正8年)1月11日敦賀港駅に改称[1]
  • 1932年昭和7年)9月20日敦賀新港駅までの貨物支線(1.2km)が開業[1]
  • 1939年(昭和14年)11月15日:日満連絡船「はるびん丸」に接続する上り140国際列車(敦賀港駅発米原駅行)が初運転[2]
  • 1940年(昭和15年)ごろ:第二次世界大戦勃発などの影響を受け旅客列車が廃止。
  • 1943年(昭和18年)4月1日:当駅に敦賀新港駅を併合し廃止(設備は構内側線扱いとして1980年ごろまで存在)。
  • 1987年(昭和62年)
  • 1999年平成11年) - 2006年(平成18年):観光イベントやとうろう流しと大花火大会の開催時に限り臨時に旅客列車(主に団体専用)を運行[3]
  • 2009年(平成21年)4月1日:貨物列車の設定を廃止(列車の運行は前日限りで終了[4][5])。敦賀港オフレールステーションとなり、トラック便の運行を開始。
  • 2016年(平成28年)10月1日:敦賀港オフレールステーションを敦賀港新営業所に改称[6]
  • 2019年(平成31年)4月1日:敦賀港線が正式に廃線となり、鉄道駅としては廃駅となった。敦賀港新営業所はかつてのコンテナセンター同様の形態に移行して存続となる[7]
  • 2025年(令和7年)3月15日:ダイヤ改正と同時に敦賀港新営業所を廃止[8]。これによりすべての貨物取扱が終了。

駅構造

1面のコンテナホームと、列車運行時に使用されていた荷役線1本や側線を有する。

かつては、駅北側の金ヶ崎山をトンネルで抜け、敦賀セメント敦賀工場へ至る同社の専用線があり、セメントを当駅から北陸地方滋賀県京都府セメント包装所へ発送していた。また1980年昭和55年)ごろまで、1943年(昭和18年)に当駅の構内側線扱いとなった敦賀新港駅(現在の敦賀市蓬莱町にあった)への側線が残っていた。側線跡は周辺が再開発されたためほとんど痕跡すら残っていないが、 児屋川 こやのがわの河口に橋をかけて渡っていた場所に、橋台が残っている。

最後の運行日まで、タブレット閉塞であった。

取扱う貨物の種類

過去に取り扱っていたコンテナ

トラック便

貨物列車代替のトラック便は、敦賀港新営業所と南福井駅の間で運行されていた。末期の本数は、南福井駅行が1日12本、敦賀港新営業所行が1日10本であった。

休止後の動き

敦賀港駅手前の柵。右は金前寺(2012年12月)

2010年(平成22年)秋に敦賀港多目的国際ターミナルが開港し、コンテナ貨物の取り扱い量が増えてきた。これに伴い、既存の設備を改修することによるモーダルシフトの推進や、関西・中京に近いという立地条件を売り込もうとする敦賀市の政策がある。また周辺には観光施設や観光地が点在することから、市民広場の整備にあわせた敦賀港線の活用も示されている。

それ以外にも、米原駅近くに建設予定だった物流拠点[9]と連携した構想もあったが、物流拠点構想そのものが頓挫した[10]ため立ち消えになっている。

現在、各踏切の遮断機や警報機は撤去、交差部分の線路側に固定柵が設置され、さらには敦賀駅近くの線路敷部分に北陸新幹線の橋脚が建つなどし、結局再開できないまま敦賀港線は正式に2019年(平成31年)に廃線となることが決定した[7]

敦賀港線再活用計画

敦賀市は金ヶ崎町周辺の整備計画策定委員会にて、敦賀駅にて使われていた転車台を中心とした鉄道遺産整備の原案を示している[11][12]。福井県は2017年(平成29年)に敦賀港駅周辺の調査を行い、敦賀駅の転車台を移設し、太陽光パネルを設置することで、蒸気機関車牽引客車を330メートルの距離で走らせることができることを明らかにしている[12]。整備検討エリアはJR貨物所有の土地が大半を占める約34000平方メートルの規模で[13]、走らせる機関車には敦賀市内の本町第3公園内に静態保存されている国鉄C58形蒸気機関車212号機も候補に挙がっている[13]。このほか、人道の港 敦賀ムゼウムの機能を移転拡充する昭和初期の復元4棟の活用や、敦賀市が2018年(平成30年)に購入して敦賀赤レンガ倉庫横に設置保存したキハ28形気動車とも絡め[14]2024年(令和6年)春に延伸開業する北陸新幹線の車庫とも連携できるような仕組みを模索している[11]。しかし、JR貨物関西支社は「土地の処理対応が難しくなる」ことを理由に、敦賀港線全線の鉄道用地(約7.5ヘクタール)の買取を求めており、福井県と敦賀市は「購入費の問題」を理由に、計画が進展していない[15]

駅周辺

港湾観光地となっており、近隣には海浜公園・資料館・神社などがある。南側に当駅舎を再現した鉄道資料館があり、その付近に海上保安部がある。なお、フェリー乗り場の敦賀新港(敦賀フェリーターミナル[16])は当駅から北へやや離れた所にある。

隣の駅

日本貨物鉄道(JR貨物)
北陸本線
敦賀駅 - 敦賀港駅
鉄道省
北陸本線(1943年廃止)
敦賀港駅 - (貨)敦賀新港駅

再現駅舎

1999年(平成11年)夏に「つるが・きらめき・みなと博21」が敦賀港で催された際、国際連絡運輸実施時代に使用されていた駅舎(1913年竣工)が復元された。現在、貨物駅として使用されている敦賀港駅の駅舎とは別の場所(港町、きらめきみなと館近く)に建設され、2012年(平成24年)現在は「敦賀鉄道記念館」として敦賀港と鉄道の歴史や観光をPRするために一般公開されている。

脚注

注釈

  1. ^ 末期は南福井駅方面との間で1日1往復の高速貨物列車の運行がなされていた。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 II(初版)、JTB、1998年10月1日、144-145頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日満連絡の敦賀-米原間国際列車初運転『東京日日新聞』(昭和14年11月19日夕刊)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p683 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  3. ^ 海をつなぐ敦賀港線(下) 敦賀港」『福井新聞 ONLINE』2008年11月15日。オリジナルの2013年11月15日時点におけるアーカイブ。2023年5月10日閲覧。
  4. ^ 敦賀港線、運行を休止”. 交友社. 2022年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月10日閲覧。
  5. ^ 敦賀港線が運行休止 市、ポートセールスに力”. 中日新聞 (2009年4月1日). 2009年4月1日閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ 石野哲『駅名来歴事典 国鉄・JR・第三セクター編』p.73 JTBパブリッシング刊 2022年、ISBN 978-4-533-15118-7
  7. ^ a b “JR貨物/敦賀港線を来年4月廃止、需要減で運行めど立たず”. LNEWS. (2018年12月18日). オリジナルの2018年12月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181218094636/https://lnews.jp/2018/12/k1218311.html 2018年12月18日閲覧。 
  8. ^ 2025年3月時刻改正新しい貨物鉄道輸送サービスのご案内”. 日本貨物鉄道株式会社 (2024年12月13日). 2024年12月13日閲覧。
  9. ^ SILCとJR貨物が連携強化 和泉・SILC社長と伊藤・JR貨物会長が対談 物流コストとCO2削減へ =次世代型プロジェクト本格稼働=」『滋賀報知新聞』2008年9月5日。オリジナルの2008年9月15日時点におけるアーカイブ。2023年5月10日閲覧。
  10. ^ 米原南工業団地物流センター構想 企業誘致 行き詰まり」『京都新聞』2012年1月22日。オリジナルの2012年2月3日時点におけるアーカイブ。2023年5月10日閲覧。
  11. ^ a b 転車台移設、敦賀港線にSL運行 県が金ケ崎周辺施設整備計画案」『中日新聞』2018年2月1日。オリジナルの2018年11月13日時点におけるアーカイブ。2023年5月10日閲覧。
  12. ^ a b 第6章 鉄道遺産の機能計画” (PDF). 敦賀市. 2018年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月10日閲覧。
  13. ^ a b SL、旧敦賀港駅から客乗せ運行 計画策定委、車両はC58も候補」『福井新聞 ONLINE』2018年5月1日。オリジナルの2019年5月12日時点におけるアーカイブ。2023年5月10日閲覧。
  14. ^ 『キハ28形』気動車の設置が完了しました!”. 敦賀市. 2018年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月10日閲覧。
  15. ^ SL走行構想、進まない用地交渉 敦賀港線全線の買い取り巡り」『福井新聞 ONLINE』2018年11月12日。オリジナルの2019年9月2日時点におけるアーカイブ。2023年5月10日閲覧。
  16. ^ 敦賀フェリーターミナル”. 新日本海フェリー. 2023年11月11日閲覧。
  17. ^ 旧敦賀港駅ランプ小屋”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2022年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月11日閲覧。
  18. ^ 旧敦賀港駅ランプ小屋”. 敦賀観光協会. 2023年11月11日閲覧。
  19. ^ 泉(しみず)のおしょうず”. 敦賀観光協会. 2023年11月11日閲覧。

関連項目


敦賀港駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 08:07 UTC 版)

ボート・トレイン」の記事における「敦賀港駅」の解説

詳細は「敦賀港駅」を参照 敦賀港駅(つるがみなとえき)は1919年大正8年1月11日改称されるまでは金ヶ崎駅かねがさきえき)と称し北陸本線最初区間開業した1882年明治15年3月10日には開設されているが、その後路線福井富山方面延伸されると盲腸線化し1897年明治30年)には旅客扱い廃止され一時貨物駅となっていた。 1902年明治35年)に敦賀港からウラジオストクへの航路開設され1910年明治43年)に日本から東清鉄道への国際連絡運輸開始されると、その重要性増したことから東京駅より金ヶ崎駅までウラジオストク航路接続する直通列車設定することになった1912年明治45年6月15日下り夜行急行列車上り特別急行列車東京駅 - 米原駅間で併結される形によって運行開始された。しかし第一次世界大戦ロシア革命シベリア出兵などの影響運行はまもなく休止になったその後1925年大正14年)にソビエト連邦との国交樹立され1927年昭和2年)に日本から欧州へ国際連絡運輸再開されると、敦賀港駅への直通列車再開された。なお昭和期には、朝鮮半島北部雄基清津からの航路接続する列車設定されている(また、ウラジオストク航路も両港に寄航し敦賀 - ウラジオストク間を結んでいた)。1934年昭和9年12月1日当時概況を示すと、下記の通りとなる。 東京2200米原700730敦賀852・905→敦賀港911ウラジオストク便接続毎月東京発5・1525日月末運転。東京 - 米原間は神戸行き急行19列車米原 - 敦賀間は直江津経由上野行き普通604列車併結敦賀港837敦賀843・903米原1021・1139→東京1949雄基清津からの航路接続し毎月8・1828日運転。敦賀 - 米原間は金沢始発の普通106列車米原 - 東京間は下関始発急行10列車併結敦賀港1925敦賀1931・1955→米原2121・2203→東京710ウラジオストクからの航路接続し毎月敦賀3・1323日運転。敦賀 - 米原間は上野直江津経由の普通605列車米原 - 東京間は下関始発急行8列車併結) これら接続列車は、第二次世界大戦勃発欧州連絡不可となると朝鮮満州方面接続としての色合い強くするが、次第縮小して末期上りのみ敦賀港駅 - 米原駅間を走る不定期列車が1本あるだけという状況になり、太平洋戦争激化いつしか消滅した。 なお、1999年平成11年)夏には「敦賀港開港100周年」を記念してイベント開催され、敦賀港駅まで蒸気機関車牽引による旅客列車乗入れたりしたが、その初日である7月18日には「欧亜国際連絡列車の旅」として、品川駅 - 敦賀港駅間に国鉄14系客車改造したジョイフルトレインの「スーパーエクスプレスレインボー」7両に14寝台車5両を加えた編成による団体専用列車運行され、更に敦賀 - ウラジオストク間の連絡船接続するという、国際連絡運輸時代の姿を再現する試み行われた

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