広南従四位白象
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広南従四位白象(こうなんじゅしいはくぞう)または従四位広南白象(じゅしいこうなんはくぞう、享保6年(1721年)ごろ - 寛保2年12月13日(西暦1743年1月8日))は、江戸時代中期の日本で飼育されたベトナム産のオスのアジアゾウ。購入者は江戸幕府の第8代将軍徳川吉宗で、のちに民間に払い下げられた[1]。「広南従四位白象」は、京都で中御門天皇に拝謁するために与えられた位階と称号であるといわれる(ただし、これを疑問視する声もある[2]。詳細後述)[3]。「白象」とあるが、アルビノ種ではなく、体色が格別に白いわけでもない、一般的なゾウである[注釈 1]。享保から寛保にかけて、江戸市中を中心に「象ブーム」を引き起こした[2]。
注釈
- ^ ベトナム国家大学ハノイ人文社会科学大学のファン・ハイ・リンによれば、野生の象は長命で200年も生きられるが、飼育された象の寿命は50歳から100歳ほどであり、満100歳を過ぎると灰色の毛が白く見えるようになるので長寿の象徴とされるという[1]。また、生まれつき白毛の象はきわめて希少であり、普賢菩薩を乗せた聖象と見られて珍重されるという[1]。
- ^ 馬術愛好者であった吉宗は在位期間中に、オランダ産とペルシア産の馬を計27頭を輸入した。種馬として品種改良するのが目的だったという。家臣には同時に療馬の書の翻訳も命じている[4]。その他、海外から輸入して取り寄せた鳥獣は、ダチョウ、ジャコウネコ、七面鳥、ヒクイドリ、クジャク、インコ、九官鳥など多種にわたった。
- ^ ファン・ハイ・リンは、このことは当時のベトナムの南北対立の厳しさの一端を間接的に示していると論じている[1]。
- ^ それゆえ、幕府が象の渡来を要請したというのも、実は後づけの理屈ではないかという見方がある[12]。
- ^ ベトナム人象使いと清国人通訳の情報は、本島知辰『月堂見聞集』による[15]。
- ^ 厳密には、人間でも僧職にあるものは位階なしでも参内を許されることがあるなど、例外がないわけではない。
- ^ 律令制において従四位は従四位下と従四位上の二段階に分かれているが、『江戸名所図会』では単に「従四位」と記述されている。従四位下は近衛中将や検非違使別当、蔵人頭に相当する位階であり、江戸時代の武家では家門大名や老中などの重職に就任した大名、10万石以上の国主級の外様大名に与えられた位階である(→「四品以上に昇進する大名家一覧」参照)。明治時代の叙位条例では従四位以上は勅授とされており、宮内大臣が取り扱った。華族では男爵の初叙位階が正従いずれかの四位とされており、陸海軍では中将にほぼ相当した。
- ^ 4月28日は「象の日」となっているが、これは中御門天皇が象を謁見した日が由来となっている。
出典
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- ^ インドゾウ『享保十四年渡来象之図』 - 国立国会図書館電子展示会「描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌」(2020年2月24日閲覧)
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- ^ 【中野の歴史-近世編5-】やってきました中野だゾウ - 中野区公式観光サイト「まるっと中野」(2020年2月23日閲覧)
- ^ 【長い長いゾウの話】(上)江戸の人気者 中野に眠る『東京新聞』朝刊2022年9月8日(2022年9月10日閲覧)
- ^ 【長い長いゾウの話】(下)牙のかけら 高知にあった『東京新聞』朝刊2022年9月9日(2022年9月10日閲覧)
- ^ 江戸時代には象がいた?朝日が丘公園 中野区公式観光サイト「まるっと中野」(2020年2月23日閲覧)
- ^ a b 和田(2015)pp.54-55
- ^ a b c d e f 石坂(1992)pp.204-208
- ^ (ファン・ハイ・リン 2018, p. 153)
- ^ 和田(2015)p.115
- ^ 薄井ゆうじ『享保のロンリ―・エレファント』 岩波書店
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