奥田三角
奥田三角
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奥田 三角(おくだ さんかく、1703年(元禄16年) - 1783年4月4日(天明3年5月4日)は、江戸時代中期の儒学者。名は士亨。字は嘉甫。通称は奥田宗四郎、のち奥田清十郎。別号に蘭汀、南山[1]。 伊勢国・津藩における4代の藩主のもとで、50年余にわたって学職にあたり[1]、その門人は800人に及んだ[2]。
- ^ a b c d 奥田三角-近世畸人伝(正・続)|国際日本文化研究センター(2014年8月5日閲覧。)
- ^ a b c d e f g h 揥水まちづくり協議会『揥水歴史散策マップ』櫛田地区市民センター 2014年7月発行
- ^ a b c d e f g h 8世紀における地方との美術的交渉──曾我蕭白と伊勢の門人たち──|三重県立美術館(2014年8月5日閲覧。)
- ^ ていすいまちづくり協議会たより91号「伊勢街道を歩いてみた(6)」夕刊三重2003年4月30日号要約
- ^ a b 奥田三角【おくださんかく】|デジタル版 日本人名大辞典+Plus(2014年8月5日閲覧)
- ^ 奥田士亨|朝日日本歴史人物事典|朝日新聞出版(2014年8月5日閲覧。)※奥田士亨は奥田三角の名
- ^ レファレンス共同データベース|国立国会図書館(2014年03月27日)(2014年8月5日閲覧)
- ^ 干河岸貫一(編)『先哲百家伝・正編』青木嵩山堂、1910年(明治43年)1月25発行、188頁
- ^ 紙本墨画唐獅子図曽我蕭白筆|みんなで、守ろう!活かそう!三重の文化財|三重県教育委員会(2014年8月5日閲覧。)
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