三角と曾我蕭白
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:42 UTC 版)
三角は、兄・奥田龍渓とともに絵師・曾我蕭白との間に交流があったことがわかっている。蕭白の画「達磨図」には三角道人という名前で三角が画内に賛文を残している。兄・龍渓は蕭白の門人であり、蕭白は龍渓の著書「存心」の挿絵も描いている。ちなみに龍渓も一時は三角同様に津藩に仕え、致仕(退職)して豊原組大庄屋を継いでいる。蕭白は豊原の奥田邸に近い朝田寺(松阪市朝田町)にも多くの作品を残し、そのひとつ「唐獅子図」は国の重要文化財となった。
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