光蓮寺 (松阪市)とは? わかりやすく解説

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光蓮寺 (松阪市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/14 13:25 UTC 版)

光蓮寺
所在地 三重県松阪市豊原町1164
位置 北緯34度32分51.3秒 東経136度35分1.6秒 / 北緯34.547583度 東経136.583778度 / 34.547583; 136.583778
山号 正豊山
宗派 浄土宗瑠璃光院派
本尊 薬師如来
創建年 1640年
開基 光蓮社照譽正豊上人
正式名 正豊山瑠璃光院光蓮寺
別称 正豐山光蓮寺
法人番号 1190005006782
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光蓮寺(こうれんじ)は、三重県松阪市豊原町にある浄土宗寺院

起源と歴史

  • 1558年 - 1570年頃(永禄年間) - 和屋村(現在の松阪市和屋町)にあった七堂伽藍大雷音寺の法電院、法雨院、善法寺、閑淨寺等が織田信長の兵火で焼滅。塔頭薬師如来は灰燼に埋もれたが里人が信仰していた[1]
  • 1573年天正元年) - 萬年山の麓に光蓮社照譽 正豊上人が迎えられ、織田信長の兵火より逃れた薬師如来を本尊として、正豐山光蓮寺が創設された[1]
  • 1603年慶長7年) - 光蓮社照譽正豊上人、死去[1]
  • 1640年寛永17年) - 曜蓮社日譽卓辧上人により現在の豊原町に遷寺[1]
  • 1603年貞享元年) - 曜蓮社日譽卓辧上人、死去[1]
  • 1774年安永3年) - 火災に遭う。誓譽遵益上人により再興[1]
  • 1794年寛政6年) - 誘譽萬海上人が本堂を改築[1]
  • 1846年弘化3年) - 再度火災に遭う。火災は1848年弘化5年)とする書もある[1]
  • 1847年(弘化4年) - 謙譽上人が再建に着手[1]
  • 1882年明治15年) - 重源が大仏殿を再建[1]
  • 1886年明治19年)1月 - 住職・真野喃譽の申請で、棟梁・北村作十郎により脇門が設置された。念佛寺の表門・豊原学校通用門が移築されたもの[1]

その他

  • 境内には江戸時代の儒学者奥田三角にまつわる石碑、書物などの史跡が多く残されている[1][2]

交通

寺院周辺

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l 正豊山瑠璃光院光蓮寺|揥水まちづくり協議会(2014年7月29日閲覧。)
  2. ^ 揥水まちづくり協議会『揥水歴史散策マップ』櫛田地区市民センター 2014年7月発行

関連項目

外部リンク




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