ドクトルまんぼう〔‐まんばう〕【どくとるマンボウ】
北杜夫
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北 杜夫(きた もりお、1927年〈昭和2年〉5月1日 - 2011年〈平成23年〉10月24日)は、日本の小説家、エッセイスト、精神科医、医学博士。位階は従四位。本名は斎藤 宗吉(さいとう そうきち)。
注釈
- ^ 『少年倶楽部』『千夜一夜物語』の子ども版の他に、姉が読書家だった影響を受け、岩波文庫版『グリム童話集』などを読む。奥野健男『北杜夫の文学世界』中央公論社 1978、p.21
- ^ 中学に入ってから、江戸川乱歩作品や『新青年』などを読む。奥野健男『北杜夫の文学世界』中央公論社 1978、p.22
- ^ 1945年(昭和20年)5月25日、生家が焼失した。6月に松本高校の思誠寮に転入。北杜夫・辻邦生『若き日と文学と』中公文庫 1974、p.10
- ^ 「珍しい高山の昆虫が多いという理由で」志望した。奥野健男『北杜夫の文学世界』中央公論社 1978、p.14
- ^ 旧制高校に「インターハイ」は無いとの見解もあるが、北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』(全集13巻、pp.46-47)にはこのように記載されている。
- ^ この作品は、「クラブ社」発行の『動く小説と実話』1949年1月号に「加藤武夫」名義で掲載されたユーモア小説「手紙」である。編集者の斎藤国夫がプランゲ文庫の調査で発見し、『文藝別冊 北杜夫〈増補新版〉 どくとるマンボウ文学館』(河出書房新社〈KAWADE夢ムック〉、2016年)に全文が再録された。
- ^ 1970年(昭和45年)1月の終刊まで参加した。北杜夫『人間とマンボウ』中公文庫 1975、pp.28-45
- ^ ドイツ・ハンブルクでは後に妻となる喜美子と出会っている。(“家族が語る北杜夫さんの思い出”. 2022年5月9日閲覧。)この件に関して、船長が退職後に、ドイツの恋人に会いに行くのが目的だったとNHKインタビューで語っている。
- ^ 『人工の星』潮出版社 1981(のち潮文庫 1983。集英社文庫 1984、ISBN 4-08-750762-9)。収録作は「第三惑星ホラ株式会社」「空地」「贅沢」「意地悪爺さん」「うつろの中」「童女」「買物」「推奨株」「陸魚」「月世界征服」「活動写真」「朝の光」「人工の星」。収録作以外のSF作品に「不倫」「火星人記録」「大日本帝国スーパーマン」「新大陸発見」など[32]。
- ^ 「白き」は文語で、「たおやなか」は口語なので矛盾している。小谷野敦は『頭の悪い日本語』(新潮新書)で、北が「徹子の部屋」に出演した時に「白きたおやかなる峰」か「白いたおやかな峰」でなければおかしい、と自分で語っていたという。三島由紀夫からも同じ指摘を受けたが直さなかったため激昂した三島と一時的に絶縁していたことがある。北によれば、三島由紀夫から電話で直接「白いたおやかな峰か、或いは白きたおやかなる峰か、白きたおやかの峰、とすべきだろう」と指摘されたという。北は、「考えてみればその通りである。しかし、語感の点から、また短歌などで文語、口語をごっちゃにする例もあるので、私はそのままにした」と記している[37]。
- ^ 宮脇俊三は、「書籍編集の常識では考えにくい」が、「生ま生ましいまでに「北杜夫そのもの」」「マンボウ亭のヴァイキング料理」と評している[38]。
- ^ a b 純文学系では、阿川弘之や遠藤周作など「第三の新人」の面々と交友が深い。
出典
- ^ a b 北杜夫『どくとるマンボウ昆虫記』
- ^ 奥野健男『北杜夫の文学世界』中央公論社 1978、p.29
- ^ 北杜夫『どくとるマンボウ追想記』p.96
- ^ 北杜夫『どくとるマンボウ追想記』p.135
- ^ 北杜夫『どくとるマンボウ追想記』pp.153-154
- ^ 『若き日の友情――辻邦生・北杜夫往復書簡』新潮社 2010年7月
- ^ 北杜夫『どくとるマンボウ青春記』
- ^ 北杜夫『怪人とマンボウ』講談社 1977、p.141
- ^ 北杜夫『怪人とマンボウ』講談社 1977、p.89
- ^ 宮城)仙台で過ごした医学生時代 仙台文学館で北杜夫展(朝日新聞 2015年5月27日)
- ^ 北杜夫『人間とマンボウ』中公文庫 1975、p.28
- ^ 北杜夫『マンボウ談話室』講談社 1977、p.109
- ^ 北杜夫『どくとるマンボウ医局記』中央公論社 1993
- ^ 『幽霊―或る幼年と青春の物語』新潮文庫 1965 初出版元付記
- ^ a b 『幽霊―或る幼年と青春の物語』新潮文庫 1965、奥野健男 解説
- ^ 北杜夫・辻邦生『若き日と文学と』中公文庫 1974、pp.57-62
- ^ 北杜夫『マンボウマブゼ共和国建国由来記』集英社 1982年5月
- ^ 北杜夫『マンボウ酔族館』pp.190-194
- ^ 佐野眞一『人を覗にいく』p.42
- ^ 北杜夫『マンボウ酔族館』p.220
- ^ 北杜夫『マンボウ最後の家族旅行』実業之日本社 2012、p.173
- ^ 北杜夫『美女とマンボウ』講談社 1977、pp.78-79
- ^ 『窓際OL 会社はいつもてんやわんや』斎藤由香 新潮社 2005年12月
- ^ 2008年(平成20年)5月12日放送(黒柳徹子のTV出演情報 83ページ目 | ORICON STYLE、「ワイド!スクランブル」 2011年11月9日(水)放送内容)
- ^ 『週刊文春』2010年8月26日号
- ^ “「どくとるマンボウ」北杜夫さん死去”. 読売新聞(web). (2011年10月2日). オリジナルの2011年10月27日時点におけるアーカイブ。 2011年10月26日閲覧。
- ^ 故北杜夫氏に従四位 日本経済新聞夕刊 2012年11月22日
- ^ “作家の北杜夫さん死去 「どくとるマンボウ」シリーズ”. 朝日新聞デジタル. (2011年10月26日). オリジナルの2011年10月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “北杜夫さんは窒息死? 医師の説明不適切、解剖行われず”. 朝日新聞デジタル(朝日新聞同日東京本社版社会面掲載). (2012年9月9日). オリジナルの2012年9月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ amazon『筑摩現代文学大系 87 北杜夫・辻邦生集』作者紹介 2018年7月23日閲覧
- ^ 『S-Fマガジン』1963年2月号。
- ^ 原田実 著「SF作家、推理作家――北杜夫、再発見。」、別冊宝島編集部 編『北杜夫 マンボウ文学読本』宝島社、2016年11月18日、151頁。ISBN 978-4-8002-6253-0。
- ^ 北杜夫『見知らぬ国へ』新潮社、2012年10月20日、192頁。ISBN 978-4-10-306238-7。初出は『北杜夫全集』第9巻月報(1976年)。
- ^ 作家 北杜夫さんの別荘 保存のため移築を検討中 軽井沢ウェブ(2021年8月10日)
- ^ 西田誠『たねの生いたち (岩波科学の本〈3〉)』(初版)岩波書店(原著1972年5月)。ASIN B000JBTBM8。
- ^ “新種コガネムシ:北杜夫さんにちなみ和名「マンボウ」”. 毎日新聞web. (2011年9月16日). オリジナルの2011年10月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ 北杜夫「表面的な思い出など――三島由紀夫氏」『人間とマンボウ』中央公論社〈中公文庫〉、1975年11月10日、21頁。ISBN 4-12-200278-8。初出『新潮』1972年11月号。
- ^ 宮脇俊三「解説―隣人マンボウ氏・その2―」『マンボウ博士と怪人マブゼ』新潮社〈新潮文庫〉、1984年7月25日、275頁。ISBN 4-10-113129-5。
- ^ 北杜夫『どくとるマンボウ医局記』中央公論社、1993年1月25日、289頁。ISBN 4-12-002184-X。
- ^ 北杜夫『見知らぬ国へ』2012年10月20日、214頁。ISBN 978-4-10-306238-7。
- ^ プレミアムドラマ どくとるマンボウ ユーモア闘病記 ~作家・北杜夫とその家族 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
- ^ 番組エピソード 事実は小説より奇なり【実話ドラマ特集】-NHKアーカイブス
- ^ なだいなだ (2011年10月31日). “マンボウ 日本人を解放 北杜夫さんを悼む”. 朝日新聞東京本社版: p. 30
- ^ 北杜夫『人間とマンボウ』中公文庫 1975、p.65
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