勝俣久作とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 勝俣久作の意味・解説 

勝俣久作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/08 12:36 UTC 版)

勝俣 久作(かつまた きゅうさく、1901年10月23日[1]- 1968年)は、昭和期の教育者

来歴

神奈川県箱根町出身で、農家の次男に生まれる。勉強好きで、寺の住職に面倒を見てもらいながら高等小学校に通う。卒業後は代用教員をしながら猛勉強し上京。國學院大学高等師範科に進学し、三矢重松折口信夫に学び[1]1924年に卒業[2]し、東京帝国大学史料編纂掛に嘱託として勤務し、1926年3月に退職[3]。同年1月には第43回師範学校、中等学校、高等女学校教員検定本試験に合格[4]し、その後旧制麻布中学校の国語教師を務める[5]。当時の渾名は「サルマタ」[6]。教え子には吉行淳之介北杜夫などがいる。

戦後、突然学校をやめて事業を始めるも、ことごとく失敗する。会社勤めも上司とうまくいかず、生活は苦しかったが、帰宅すると仕事とは関係ない勉強をし、飲んで帰っても早朝に勉強していた。その後、代々木ゼミナール創設者の一人として副校長[1]兼古文教師となる。1968年昭和43年)に死去[7]

人物

  • 本人は学者を志望していたが、高等小学校卒という学歴に劣等感があり、子供の教育に力を入れるようになる。吉行淳之介は「先生のおかげで国語の時間に魅力を感じるようになった」と語る。北杜夫はもともと文学作品に興味がなかったが、作文の時間、勝俣に夏目漱石夢十夜』の中から3つ4つの短文を読んでもらって面白いと思い、『夢十夜』『草枕』を読んだという[8]
  • 国文学国史を愛し、折口信夫金田一京助らが主催する研究会にも参加し、民俗学も学ぶ。1927年昭和2年)、故郷の歴史を綴った「箱根仙石原村史略」をまとめた[9]
  • 「祖先は山梨山賊上がり」と冗談をよくこぼしていた。祖先は武田信玄を抱えた「武田軍団」の一人で、軍団の崩壊で勝俣一族は神奈川県の仙石原に逃げ込み、籠付きで生活していたが「食えないから追いはぎもよくやった」というのが酒宴の笑い話[10]

家族

著書

  • 勝俣久作『大学受験の技法と知識』文英堂、1964年。 NCID BA66760417 
  • 勝俣久作『箱根仙石原村史略』勝俣久作、1965年。NDLJP:2990809 

脚注

  1. ^ a b c 日本著作権協議会 編『文化人名録 昭和42年版(13版)』日本著作権協議会、1967年、0220補12オ~ク頁。 
  2. ^ 「大正13年3月高等師範科卒業生勤務先調査」『國學院雑誌』第30巻第5号、1924年、78-79頁、全国書誌番号: 00008272 
  3. ^ 東京帝国大学文学部史料編纂所 編『史料編纂所一覧 昭和12年5月』東京帝国大学文学部史料編纂所、48頁。NDLJP:1220481/32 
  4. ^ 「雑報」『日本教育』第5巻第2号、南郊社、1926年、141頁、全国書誌番号: 00018433 
  5. ^ 中等教科書協会 編『師範学校中学校職員録 昭和13年(第35版)』中等教科書協会、1928年9月20日、35頁。NDLJP:1452159/37 
  6. ^ 北杜夫『どくとるマンボウ追想記』p.136
  7. ^ “(おやじのせなか)勝俣宣夫 学者を志望し、いつも猛勉強”. 朝日新聞: p. 30. (2006年4月30日) 
  8. ^ 北杜夫『どくとるマンボウ追想記』p.137
  9. ^ “親父の生きざま”. 日本経済新聞夕刊: p. 1. (2010年11月19日) 
  10. ^ a b “丸紅、社長に勝俣氏 「参謀の人」時代が請う(NewsEdge1)”. 日経産業新聞: p. 24. (2002年12月19日) 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「勝俣久作」の関連用語

勝俣久作のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



勝俣久作のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの勝俣久作 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS