空手道とは? わかりやすく解説

からて‐どう〔‐ダウ〕【空手道】

読み方:からてどう

⇒からて(空手2


空手道

歴史と沿革

空手発祥の地古来琉球呼ばれていた沖縄です。その源流は、彼の地古くから伝承されてきた独自の格闘技テー」が、14世紀後半伝来した中国拳法影響を受け、現在の形に発展した考えられています。空手」という名称の由来には諸説あります中国(唐)に学んだ拳法テー)ゆえに、当初、「唐手(トーテー)」と呼ばれていたものが「カラ・テ」と読み替えられ、その後、手に何の武器持たないことを意味する徒手空拳」の「空」が「唐」の字に置き換わり、「空手になったとする説が一般的です。

空手長い間秘技として伝承されました。沖縄一般に広まったのは1900年代初頭のこと。その後本土上陸しました。1922年東京開催され第1回体育博覧会で、「形(かた)」の演武公開されたのを契機に、大学中心として日本各地普及しました。海外にまで広まるのは戦後のことです。昭和30年代以後多く日本人指導者海を渡り空手全世界広めました

空手その発展過程様々な流派分かれました。その数は大小合わせ100超えます。各流派は独自の活動続けていましたが、1964年の東京オリンピック契機として、大同団結機運高まりました同年国内唯一の統括団体として全日本空手道連盟JKF)が設立され5年後1969年統一ルールのもとで、第1回全日本選手権開催されました。また海外でも、1970年世界空手道連合(後に世界空手連盟WKF改称)が結成され同年東京で初の世界選手権開かれました。現在、国内空手人口は約300万人世界では 165カ国がWKF加盟しており、4,000万人愛好者競技者日夜稽古励んでます。


競技方法

空手道は、徒手空拳による格闘スタイルスポーツです。その種目には、実際相手一定のルール則り対戦する組手競技」と、多数の敵との攻防想定した一連の動作一人演じ、その正確さ競う「形(かた)競技」の2種類あります

組手競技」では、8メートル四方コートの中で互いに突き蹴り繰り出します。ただし、選手安全に配慮して相手身体に当たる寸前攻撃止める「ノンコンタクトルール」が採用されており、誤って当ててしまった場合反則となります試合時間男性が3分、女性が2分。

「形」空手発展過程体系化されたもので、選手大会で公認され「形」の中から得意なもの選んで演じ、技の正確さ気迫緩急などの要素総合評価勝敗決まります



空手道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 11:39 UTC 版)

空手道(からてどう)または空手(からて、沖縄語発音: [kaɽati])は、琉球王国発祥[1]の拳足による打撃技を特徴とする武道である[2]。起源には諸説があるが、沖縄固有の拳法のに当身の際の発声、巻き藁稽古法など、日本の剣術(特に薩摩示現流)の影響を受けたという見方がある。


注釈

  1. ^ 中田瑞彦「本部朝基先生・語録」1978年(小沼保『琉球拳法空手術達人 本部朝基正伝』所収)に「古流唐手」の使用例がある。それ以降では、岩井作夫『古伝琉球唐手術』(愛隆堂、1992年)等に見いだされる。
  2. ^ 元・月刊空手道編集長の小島一志が、“フルコンタクト空手”という名称がアメリカ発で、それを日本で行われている極真会館に代表される直接打撃制の空手ルールに呼びやすい名前をつけるために拝借したと自身の著作、“リアルバトロジー2 新世紀格闘技論”にて告白している。
  3. ^ 英語版の記事ではそう記述されているが、日本側の文献では本部朝基に中国人の弟子がいたかどうか確認できていない。
  4. ^ 前 IOC副委員長で世界跆拳道連盟の会長であった金雲容は 「テコンドー協会長になった頃、シルムやサッカーの関係者は自分たちのスポーツが国技であると主張していた。当時のテコンドーはいろんな面で弱かったので、私は(訳者注:1971年3月20日に)、朴正煕大統領に頼んで『国技テコンドー』と親筆揮毫していただいた。そしてこれを大量にコピーして、全ての道場に掛けるように命じた。このことがきっかけになってテコンドーは国技になった。」と『mooto media、www.mooto.com、2010年2月9日』で語っている。

出典

  1. ^ 「危険に立ち向かう力が身につく。心技体を鍛えて強くなる」、2016年1月15日発行、発行者・小川雄一、14頁。
  2. ^ 船越義珍『琉球拳法唐手』3頁参照。
  3. ^ 「空手の歴史」 宮城篤正 おきなわ文庫 2014年2月12日
  4. ^ 『空手発祥の地 沖縄 Okinawa The Birthplace of Karate』沖縄県、2017年3月。 
  5. ^ 糸洲十訓第6条を参照。
  6. ^ 「本社主催・空手座談会(二)」『琉球新報』1936年10月28日。
  7. ^ 摩文仁賢和・仲宗根源和『攻防拳法空手道入門』43頁参照。
  8. ^ 船越義珍『愛蔵版 空手道一路』榕樹書林、2004年、98頁参照。
  9. ^ 富名腰義珍『琉球拳法唐手』武侠社、1922年、2頁。
  10. ^ 本部朝基『沖縄拳法唐手術組手編』唐手術普及会、1926年、4頁。
  11. ^ 『本社主催 空手座談會(一)~(六)』琉球新報社、1936年10月27日から11月2日付。 
  12. ^ 船越義珍『愛蔵版 空手道一路』榕樹書林、2004年、99頁参照。
  13. ^ 『創立十周年記念・空手道集成第一巻』慶応義塾体育会空手部、1936年、7、25頁参照。
  14. ^ 『創立十周年記念・空手道集成第一巻』慶応義塾体育会空手部、1936年、25頁参照。
  15. ^ 『創立十周年記念・空手道集成第一巻』慶応義塾体育会空手部、1936年、4、25頁参照。
  16. ^ 三木二三郎・高田瑞穂『拳法概説』東大唐手研究会、1929年、改訂版1930年、復刻版、榕樹書林、2002年、221頁参照。
  17. ^ 同上。
  18. ^ a b 宮城長順「唐手道概説」 1936年、参照。
  19. ^ 山内盛彬「空手随想」『月刊空手道』七・八月合併号、空手時報社、1956年、61頁参照。
  20. ^ 安里安恒談・富名腰義珍筆「沖縄の武技」(『琉球新報』1913年1月17日-19日記事)。
  21. ^ 本部朝基『私の唐手術』、岩井虎伯『本部朝基と琉球カラテ』所収、10頁。
  22. ^ a b c 本部直樹「「阿嘉直識遺言書」に見る18世紀の琉球の諸武術―示現流、柔術、からむとう―」(『日本武道学会第42回大会研究発表抄録』日本武道学会、2009年)
  23. ^ 長嶺将真『史実と伝統を守る・沖縄の空手道』50頁。
  24. ^ 『日本武道体系第8巻空手道・合気道・少林寺拳法・太極拳』 今村嘉雄編 同朋舎出版 1982年 ISBN 4810490173 P,105
  25. ^ 上里隆史『目からウロコの琉球・沖縄史』ボーダーインク、2007年、64頁参照。
  26. ^ 儀間真謹・藤原稜三『対談 近代空手道の歴史を語る』43頁参照。
  27. ^ 同上、42頁。
  28. ^ 藤原稜三『格闘技の歴史』640頁参照。
  29. ^ 船越義珍『愛蔵版 空手道一路』95頁参照。
  30. ^ 岩井虎伯『本部朝基と琉球カラテ』愛隆堂、平成14年、146頁参照。
  31. ^ 渡久地雅昭「空手の歴史、その信憑性を考察する」『JKFan』2006年10、11、12月号、2007年5、7月号、チャンプ
  32. ^ 藤原稜三『格闘技の歴史』657頁参照。
  33. ^ 『球陽』第18号、1909年、沖縄県公文書館所蔵。高宮城繁・仲本政博・新里勝彦『沖縄空手古武道事典』柏書房、2008年、736頁参照。
  34. ^ 船越義珍『愛蔵版 空手道一路』149頁参照。
  35. ^ 長嶺将真『沖縄の空手・角力名人伝』新人物往来社、昭和61年、144頁参照。
  36. ^ 「唐手実見の感想」『日布時事』1927年7月6日[1]
  37. ^ 比嘉敏雄・高宮城繁編著『武魂 -奥妙在錬心-』沖空会北谷道場、2002年、90頁参照。
  38. ^ a b 『空手道:その歴史と技法』嘉手苅、小山、和田, 2020年日本武道館(ベースボールマガジン社)
  39. ^ 長嶺将真『史実と伝統を守る・沖縄の空手道』52頁参照。
  40. ^ 儀間真謹・藤原稜三『対談・近代空手道の歴史を語る』147頁参照。
  41. ^ 『空手道』収録の寄稿文、大塚博紀「明正塾前後」の55頁、ならびに小西康裕「琉球唐手術の先達者」の58、59頁を参照。
  42. ^ 月刊空手道2012年10月号 防具付空手の開拓者 一撃必殺錬武会[リンク切れ]
  43. ^ 空手道の歴史について 組手の競技化を実現した「寸止めルール」(福昌堂)[リンク切れ]
  44. ^ 『創立十周年・記念誌』沖縄県空手道連盟、1991年、19頁参照。
  45. ^ 『創立十周年・記念誌』沖縄県空手道連盟、1991年、16頁参照。
  46. ^ 長嶺将真「国体における空手道型の指定について」『創立十周年・記念誌』沖縄県空手道連盟、1991年、188頁参照。
  47. ^ 「対談・ゲスト小西康裕/聞き手池田奉秀・空手道を語る――過去と現在の武道的視点――」『対談集・空手道を語る』武道出版研究所、1977年、6頁参照。
  48. ^ 糸洲十訓参照。
  49. ^ 岩井虎伯『本部朝基と琉球カラテ』199頁参照。
  50. ^ 船越義珍『愛蔵版・空手道一路』105頁参照。
  51. ^ 外間哲弘編著『空手道歴史年表』42頁参照。
  52. ^ 時津賢児『武道の力』(大和書房、2005年)の「古流空手から中国拳法へ」(62-66頁)参照。
  53. ^ フル・コム編『公開!沖縄空手の真実』東邦出版、2009年、48頁。
  54. ^ 全日本空手道連盟. “「空手」東京2020オリンピック追加競技に決定!”. 2016年8月25日閲覧。
  55. ^ 東スポWeb. “空手五輪入りへ大きな一歩!フルコン初の統一大会大成功”. 2014年5月19日閲覧。
  56. ^ John CorcoranとEmil Farkasの著作、The Original Martial Arts Encyclopedia: Tradition, History, Pioneers を参照。
  57. ^ アメリカ空手界歴史研究家,Jerry Beasleyの著作、Mastering Karateを参照。
  58. ^ eFight【イーファイト】. “大幅ルール改正、松井館長「より実戦的な空手でクオリティの高い競技を」”. 2017年9月8日閲覧。
  59. ^ eFight【イーファイト】. “2018年6月から新ルール導入、五輪空手ルールに対応へ=下段蹴り禁止、顔面寸止め有効など”. 2017年11月4日閲覧。
  60. ^ 儀間真謹・藤原稜三『対談・近代空手道を語る』273頁参照。
  61. ^ 三木二三郎・高田瑞穂『拳法概説』184頁参照。
  62. ^ 富名腰義珍『錬胆護身 唐手術』掲載写真参照。
  63. ^ 儀間真謹・藤原稜三『対談・近代空手道を語る』104頁参照。
  64. ^ 富名腰義珍『空手道教範』大倉広文堂、昭和10年、37頁参照。
  65. ^ 『日布時事』1927年4月12日記事



空手道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 14:54 UTC 版)

日本の発明・発見の一覧」の記事における「空手道」の解説

琉球王国士族親雲上の間で「 手 (沖縄武術)」として知られる武術一般として始まった。手の正式な様式少なかったが、多くは独自の方法練習していた。本部朝基開祖本部流は、現存する一つの例である。初期空手流派は、それらが生まれた3つの地域にちなん首里手那覇手泊手として分類された。

※この「空手道」の解説は、「日本の発明・発見の一覧」の解説の一部です。
「空手道」を含む「日本の発明・発見の一覧」の記事については、「日本の発明・発見の一覧」の概要を参照ください。


空手道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 00:22 UTC 版)

スポーツ漫画」の記事における「空手道」の解説

空手道を扱ったもの。これらの他、異種格闘漫画においても頻繁に扱われるあした青空川原正敏ALEXANDRITE成田美名子空手小公子 小日向海流馬場康誌空手バカ一代原作梶原一騎作画つのだじろう影丸譲也新カラテ地獄変原作梶原一騎作画中城健天馬の風松葉博秘拳伝キラ原作:碧星タケル作画三好雄己萌えカレ!!池山田剛ハンザスカイ佐渡川準

※この「空手道」の解説は、「スポーツ漫画」の解説の一部です。
「空手道」を含む「スポーツ漫画」の記事については、「スポーツ漫画」の概要を参照ください。


空手道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 02:21 UTC 版)

世界選手権大会」の記事における「空手道」の解説

世界空手道選手権大会世界空手道連盟主催松濤杯争奪世界空手道選手権日本空手協会主催世界空手道選手権國際松濤館空手道連盟主催世界空手道選手権日本空手松涛連盟主催空手之道世界連盟世界大会空手之道世界連盟主催和道ワールド空手道カップ全日本空手道連盟和道会主催) (その他、流派別に多数存在する。)

※この「空手道」の解説は、「世界選手権大会」の解説の一部です。
「空手道」を含む「世界選手権大会」の記事については、「世界選手権大会」の概要を参照ください。


空手道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:57 UTC 版)

千葉真一」の記事における「空手道」の解説

東映に入る前から大山道場通っており、きっかけ大学生時に大山倍達知っている韓国人から紹介受けて入門格闘映画千葉の敵役演じた石橋雅史極真カラテ先輩にあたる。大山は「学生時分から千葉道場通ってきており、仕事の関係でまとまった稽古をしていないでも、門下生序列でいうと相当古い方になるんだよ」と語っている。千葉名誉段位ではなく一般門下生同様に昇段審査を受け、1965年10月15日黒帯初段)を允許1977年2月3日に弐段を越えて飛び段で参段、1984年1月20日四段昇段した1977年3月16日に空手道による真剣勝負をすることが発表され4月ハワイ開催された「日本代表極真会館チームハワイ代表チーム」というフルコンタクト空手対抗戦参戦した。他の日本代表メンバーには大石代悟二宮城光東孝中村誠などがおり、対戦相手は「前アメリカ東海岸空手チャンピオンのグレッグ・カーフマン」という180cm以上ある黒人であった千葉通常の空手技の他に、跳び後ろ回し蹴りや胴回し回転蹴りの元となった前方宙返りして踵で蹴るなど攻撃して第2ラウンド二段蹴りKO勝ちを収めた結果的に同年5月14日封切り公開され映画空手バカ一代』の宣伝にもなった。大山倍達は「千葉真一空手映画欧米で非常なブームとなっており、本職空手家らの『Sonny Chibaサニー ちば)の空手本物』という批評聞かれていた。極真カラテ黒帯である千葉だからそれも当然で、この対抗試合出場してその実力を示したのは立派と言うしかない」と述べている。(⇒ #Sonny Chiba1984年1月20日 - 22日開催され極真会館主催第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会では志穂美悦子真田広之ジャパンアクションクラブ (JAC ) メンバー率い演武テレビゲスト解説をした。同年8月極真会館ブラジル支部長磯部清次招待により、志穂美・真田大葉健二連れてサンパウロ行き25日 - 26日開催され第1回日伯第8回ブラジル極真空手選手権大会でも演武行った日本アメリカ東南アジア世界各国後進育成・空手道の普及活動しており、毎年10月には旧武徳殿がある京都市武道センター少年少女オープン空手道選手大会千葉真一総裁杯」を催している。『新 影の軍団シリーズ』で共演した高野八誠は「最終章ラストシーン千葉さんと殺陣をするんですが、休憩中に千葉さんが後ろ回し蹴り見せてくれて、すっごい感動しましたね。動きは昔と変わってないなって、改めビックリさせてもらいました」と、当時66歳の千葉について語っている。(⇒ #格闘映画

※この「空手道」の解説は、「千葉真一」の解説の一部です。
「空手道」を含む「千葉真一」の記事については、「千葉真一」の概要を参照ください。


空手道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:44 UTC 版)

小山田真」の記事における「空手道」の解説

高校時代地元岡山市で空手道を始める。2016年全日本空手道連盟アンバサダー任命その後、空手道が東京オリンピック追加種目初め正式決定してから、2020年東京オリンピック向けて国内外での空手道の知名度向上や普及などの支援

※この「空手道」の解説は、「小山田真」の解説の一部です。
「空手道」を含む「小山田真」の記事については、「小山田真」の概要を参照ください。


空手道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/11 14:24 UTC 版)

鉄槌打ち」の記事における「空手道」の解説

空手組手・型の動作においては相手中段突き受けた手で腕や道着掴んで手前引き落とし態勢崩れた相手後頭部に逆側の手鉄槌当てる捕らえた腕の肘関節の逆を打つ、上段突き自身の体を低く沈めながらかわして相手脇腹を横に薙ぐように払い打つ、中段突き前蹴り等を受け流す・体を捌くなどして相手背後に出つつ腰の後背面を打つ。あるいは様々の場面で突き蹴り打ち落とす受けにも使用される後頭部肋軟骨後背面(腎臓部)など当てれば致命的打撃になる(肘関節なら打ち折れるような)位置を狙うように訓練されるが、競技試合ではすべて反則部位につながるため、競技・試合重視練習では軽視される要因ともいえるが、伝統派団体等においては約束組手・型演武などで普通に練習される

※この「空手道」の解説は、「鉄槌打ち」の解説の一部です。
「空手道」を含む「鉄槌打ち」の記事については、「鉄槌打ち」の概要を参照ください。


空手道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 05:09 UTC 版)

高桑雅彦」の記事における「空手道」の解説

16才から空手始め全日本空手道剛柔板橋道場入門国際空手道剛柔会・全日本空手道剛柔会、剛柔創始者である山口剛玄拳聖(世界的に”THE CAT”と呼ばれていた)の三男、現会長 山口剛史最高師範の元で直接指導を受ける。 昭和57年全日本空手道剛柔全国大会に於いて少年(高校生)組手の部で優勝昭和59年度第37回東京都大会に於いて組手の部で準優勝大学時代国民体育大会予選 東京都空手道選手大会に於いて青年男子中量級組手の部でベスト4ベスト8日本大学芸術学部入学後は、日本大学剛柔流空手道部在席し第40代主将務める。 日本大学剛柔流空手道部OBには、山口最高師範始め大山倍達極真会館前身である立教大学真裏設立した大山道場初代師範 石橋雅史師範南本一郎師範、又、沢村忠(後のキックボクシングキックの鬼」)など多数在籍し空手界の礎を築いた。 現在、一般社団法人全日本空手道剛柔公認四段助教全日本空手道剛柔役員評議員

※この「空手道」の解説は、「高桑雅彦」の解説の一部です。
「空手道」を含む「高桑雅彦」の記事については、「高桑雅彦」の概要を参照ください。


空手道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 06:46 UTC 版)

石橋雅史」の記事における「空手道」の解説

父親から柔道剣道幼少から習っていた。伝習館高等学校在学中には柔道修行し日本大学芸術学部演劇科進学後、浅草にある剛柔流道場に通うようになった。やがて大学剛柔流空手道部主将となり、卒業後は同部の師範務めていた。剛柔流先輩でもある大山倍達から頼まれ大山道場極真会館師範代役者修業合間引き受けることとなる。本来なら剛柔流脱退し独立した大山ところへ行く事は許されないのだが、大山から何度も頼まれたため、家へ帰る途中道場があった事から「寄り道をした」ということにして指導をし始めた石橋大山伝説一つ10円玉曲げ”や、1956年11月田園コロシアム大山550キロの牛と戦ったのを見ており、大山高弟でもある。石橋の指導受けた門下生には、後年極真会館牽引車たる役割担った者も多い。彼らは石橋の空手道や人柄それぞれ以下のように語っている。 山崎照朝 マネしたのは大山倍達館長石橋雅史先生だけ。身体柔らかく使う石橋先生は、剛柔一体の空手お二人には極めたものがあった。石橋先生は私の組手原点で、綺麗大きく構え大事にし、独特の動き柔らかくしなやか何より強かった組手をしている最中でも弓受けの構え使い、これをやられる石橋先生の懐に入れなかった。今も(2013年空手の御指導をされてるが、80歳とは思えない技の切れとうまさには驚かされた。 石橋白帯の頃の山崎才能があると見込んで合同稽古の後に手取り足取りマンツーマン特別に教えていた。極真会館初め開催した第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会優勝した山崎は、第一報喜び報告石橋伝えており、ワイン会社顧問をしている山崎ワイン石橋に贈るなどその師弟関係続いていた。 盧山初雄 長身でとても柔軟な身体持ち痩身どちらかというと空手家タイプでなかったが、ベンチプレス70〜80kgをいとも簡単持ち上げていた。組手になると相手正拳突いてきたら受けると同時に、もう片方の手の裏拳で攻撃してきたり、前に攻撃していくと横に飛び後ろに引くと同時に攻撃してくるという具合動きが全然見えない前蹴りそのまま関節返して上段回し蹴り持ってくる。まるで石橋先生操り人形になったようで何回となく、その手と足で顔をなでられた。それでも組手が終わると、必ずあそこが悪い、こうしたよかったアドバイスしてくれた。 大山茂 入門した時に3人の大先輩がいた。石橋さんは先輩の中で一番優しかったその他の門下生では岡田博文渡辺一久藤巻潤春山一郎大山泰彦ジョン・ブルミン千葉真一郷田勇三中村忠加藤重夫藤平昭雄芦原英幸添野義二らがいる。石橋は「武術受けてすぐ攻撃しなければダメ。受けと攻撃一つ動作なのです」と自身武術観を述べ、その組手スタイル変幻自在で「円を描く流麗な組手」と称された。

※この「空手道」の解説は、「石橋雅史」の解説の一部です。
「空手道」を含む「石橋雅史」の記事については、「石橋雅史」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「空手道」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

空手道

出典:『Wiktionary』 (2018/07/06 10:24 UTC 版)

名詞

からてどう

  1. 日本発祥した、武器使わず手腕又は脚足等による打撃系の格技である「からて空手唐手)」の様式整え武道したもの

「空手道」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「空手道」の関連用語

空手道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



空手道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
笹川スポーツ財団笹川スポーツ財団
Copyright © 2024 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION. All Rights Reserved.
笹川スポーツ財団
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの空手道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本の発明・発見の一覧 (改訂履歴)、スポーツ漫画 (改訂履歴)、世界選手権大会 (改訂履歴)、千葉真一 (改訂履歴)、小山田真 (改訂履歴)、鉄槌打ち (改訂履歴)、高桑雅彦 (改訂履歴)、石橋雅史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA) and/or GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblioに掲載されている「Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)」の記事は、Wiktionaryの空手道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA)もしくはGNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS