格闘映画とは? わかりやすく解説

格闘映画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:50 UTC 版)

岡田茂 (東映)」の記事における「格闘映画」の解説

格闘モチーフとしたアクション映画1956年の『空手打ちシリーズ』(高倉健主演)からだが、1960年代に入ると柔道正式競技とする東京オリンピック先取りした『柔道一代シリーズ』(千葉真一主演)や、テレビドラマでも桜木健一主役にすえた『柔道一直線』を制作していた( ⇒ #テレビドラマ)。1973年空手モチーフとした千葉真一主演ボディガード牙シリーズ』は、週刊サンケイ連載していた梶原一騎劇画映画化したもので、『巨人の星』・『あしたのジョー』・『空手バカ一代』と梶原次々ヒット漫画・劇画発表していたので岡田注目していた。 4か国合作東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(千葉真一主演)のシナリオハンティングで、1973年の夏に香港訪れた高田宏治劇場で『燃えよドラゴン』を観て「香港とんでもなく面白映画がある」と、岡田日本一般公開される前に試写で観せた。「オモロイやないか。カンフーカラテ置き換えて千葉行け千葉真一主演据える)」と岡田号令出して製作したのが1974年の『激突! 殺人拳』。東映にとって久々大ヒット飛ばした作品となり、当時岡田何をやってもうまくいかなかったが、よっぽど嬉しかったらしく祝電いっぱい打っていた。 詳細は「激突! 殺人拳」を参照 フランシス・フォード・コッポラ千葉真一アル・パチーノ共演映画作りたい岡田打診してきたことがあるアメリカ州欧州東南アジア千葉の主演作品殺人拳シリーズ』・『地獄拳シリーズ』が大ヒットしていた頃、岡田に「海外勝負させてください」と千葉頼んだが、「ハリウッド牛耳っている人たちに、ケツの毛まで抜かれ帰ってくるのが関の山だぞ」と反対された。ジャパンアクションクラブ (JAC) のことも悩み、他の人に引き継いで全部クリアしてからアメリカ行き決断したときはもう50歳を過ぎていた。 鈴木則文提出した三作品の企画を自らで潰しておきながら、京都帰ろう挨拶に来た失意鈴木に「京都時代に俺とお前で作った緋牡丹博徒』のカラテ版をつくる。主演香港から呼ぶ。『燃えよドラゴン』でブルース・リーの妹役を演ったアンジェラ・マオと交渉した香港支社から、今OK知らせ入った。すぐ脚本準備入れ」と電光石火企画成立させる。「日本語なんか喋れなくてもあの子売れるぞ。緋牡丹お竜カンフー版だ。お前のシリーズになるぞ。題名はこれだ」と岡田付けた題名が『女必殺拳』(1974年であった。しかしアンジェラ・マオが諸事情不出演となり、千葉推薦してきた愛弟子志穂美悦子抜擢となった志穂美は「現代版お竜」を謳い文句に、「日本初スタントウーマン」と銘打って女必殺拳』で主演デビュー、『女必殺拳』はシリーズ化され、志穂美の出世作となった志穂美は『華麗な追跡』などにも主演していく。志穂美に続き千葉の秘蔵っ子真田広之が『忍者武芸帖 百地三太夫』(1980年)、『吼えろ鉄拳』(1981年)、『燃える勇者』(1981年)と主演しアクションスターとして売り出された。初主演作忍者武芸帖 百地三太夫』は当初ジャッキー・チェン香港カラテ映画参考にしたナンセンスアクションであったが、岡田真面目な時代劇変更したという。2002年日刊スポーツ映画大賞表彰式で『たそがれ清兵衛』で主演男優賞獲得した真田広之について「ウチにいたときよりずっと良くなったよ」と話した

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格闘映画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:57 UTC 版)

千葉真一」の記事における「格闘映画」の解説

1963年から始まる『柔道一代シリーズ』に主演したのが最初の格闘映画で、第二作『柔道一代 講道館の鬼』(1964年)の乱闘シーンで肩を骨折してしまった。1963年11月には主演映画空手風雲録』に備え空手道場跳び蹴り繰り出す姿が残されている。(⇒ #空手道・#アクション映画1973年の『ボディガード牙シリーズ』で、10年ぶりに格闘映画へカムバック翌年の『激突! 殺人拳』は、ヤクザ映画下火になっていた東映にとって、久々大ヒットを飛ばす作品となったアメリカ合衆国・ヨーロッパ・オーストラリア・カナダの映画会社も『激突! 殺人拳』を買い付け来ていた。なかでもアメリカニュー・ライン・シネマ当初ヤクザ映画購入するつもりだったが、本作見て心変わりし、「ブルース・リー以上だ。素晴らしい」と評して興行権買い取り、『The Street Fighter』とタイトルをつけ、千葉Sonny Chibaサニー ちば)とネーミング同年11月12日から主にアメリカ中南部都市18館で封切られ、3週間ベスト5に躍り出て千葉の代表作となったアメリカで最も権威のある総合情報週刊誌Variety」の12月18日付にもこの出来事掲載され、同誌が初め日本映画取り上げるという快挙成し遂げている。大ヒットした要因として「リー舞踊劇的な功夫違いワザと力もより本物近く迫力がある」「器械体操利用したトランジスター器用さ面白い」と評されており、計四作の『殺人拳シリーズ』として封切りされた。忍者末裔扮し同年主演作直撃! 地獄拳』は、千葉のスピードあるアクション石井輝男ユーモアウィット盛り込んだ演出組み合わされ作品で、1974年度に4億1700万円配給収入上げ同年度の日本映画配給収入ランキング第5位に入りアメリカでは『The Executioner』というタイトル1999年現在、10万本以上のビデオ売れている。(⇒ #Sonny Chiba・#海外進出・#空手道海外ではマーシャルアーツの大スターである"Sonny Chiba"の熱狂的な人気根強くキアヌ・リーブスクエンティン・タランティーノリュ・スンワン、らの著名人熱烈なファンがおり、谷川貞治は「千葉さんの映画おかげで格闘技人口がかなり増え格闘技界の宝だ」と述べている。(⇒ #ファン岡田茂は「(主人公と)牛との格闘欧州ではびっくりして、えらく受けている。ショウ・ブラザーズ千葉真一空手映画購入してシンガポールでも大ヒット東南アジア映画祭ジャカルタ行ったときも、抜群動員力と人気上げていた。千葉くんの空手入って東南アジア全域で当たり、すごい人気だ。東洋ナンバーワンなんだから、あのアクションやらせた世界に(千葉真一以外)いないんじゃないかな」と世界各地人気商況反響語っている。この頃フランシス・フォード・コッポラは「千葉真一アル・パチーノ共演映画製作したい」と東映オファーし、千葉も「海外勝負させてください」と岡田懇望したが、「まだその時期ではない」と認められなかった。 『けんか空手シリーズ』や『子連れ殺人拳』で千葉タッグ組んだ山口和彦は「常に自分しかできないアクション見せることに徹していた。熱心な男で現場でいろいろなアイデア出してくる。全てのアイデア聞き入れることはできなかったが、自分アクション映画変えるんだという、その意気込み凄かった。そうやって彼は自分代わり居ないところまで到達したからね。千葉真一というアクションスター永遠に残っていくよ」と評している。(⇒ #空手道・#Sonny Chiba詳細は「激突! 殺人拳」を参照 詳細は「殺人拳シリーズ」を参照 詳細は「けんか空手シリーズ」を参照

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