禁忌
『黄金伝説』46「聖グレゴリウス」 聖グレゴリウスの頭には、しばしば聖霊が鳩の姿をしてとまっていた。それを見た助祭ペトルスは、「このことを公言したら死なねばならぬ」と言われたが、聖グレゴリウスの死後、彼の聖性を証明するため、聖霊の鳩の奇跡を宣誓し、その場で死んだ。
『カンタベリー物語』「バースの女房の話」 フリジアの王ミーダ(=ミダス)は、ろばのような長い耳を持っていた。王は髪を伸ばしてそれを隠し、妻にも、このことを他人に言わないよう頼んだ。しかし妻は、やがて秘密を守ることに耐えられなくなり、沼地の水に口をつけて「夫の耳はろばの耳」とささやいた〔*原話である『変身物語』(オヴィデイウス)巻11では、妻ではなく、理髪師がろばの耳に気づく(*→〔理髪師〕3a)。また、「ミダス王が理髪師に、ろばの耳の秘密の口外を禁じた」というような記述はない〕。
『源平布引滝』初段 布引の滝壺へ入った難波六郎常俊は、水底で出会った女から平家滅亡の神託を聞き、「このことを帰っても言い聞かすな。言えば命を失うであろう」と、口止めされる。彼は滝壺から上がって神託を平重盛に報告し、その直後に雷電に撃たれて死ぬ〔*4段目で、これがすべて芝居であったことが明かされる〕。
『雪おんな』(小泉八雲『怪談』) 雪おんなに出会った巳之吉は(*→〔雪女〕1)、「今夜見たことを誰にも話してはいけない」と口どめされる。翌年、彼はお雪という美しい娘(=実は雪おんな)と結婚し、10人の子を得て幸福に暮らすが、ある夜、昔の恐ろしい思い出をお雪に語ってしまう。お雪は「子供がなかったら、今すぐ貴方を殺したところだ」と言い捨てて、白い霧に化して去る。
*地獄極楽の有様を語ってはならない→〔穴〕3aの『富士の人穴』(御伽草子)。
★2.一言も口をきいてはいけない禁忌。
『エーレク』(ハルトマン)第3章 騎士エーレクが、妻エーニーテとともに騎行する。エーレクは、妻に前を行けと命じ、「旅の途上、何を聞こうと何を見ようと口をきくな。守らねば命はない」と言い渡す。
『今昔物語集』巻5-24 亀が棒をくわえ、2羽の鶴が棒の両端をくわえて、空を飛ぶ。「しゃべってはいけない」との戒めを忘れ、亀は鶴に話しかけ、墜死する。
『七賢人物語』 7歳の時から七賢人に教育されたディオクレティアーヌス王子が、16年ぶりに父皇帝のもとへ召される。七賢人と王子は星占いをして、皇帝のもとへ行けば王子は死刑の判決を受けるが、7日間一言も発しなければ命は助かることを知る。王子は、継母にあたる妃を犯そうとしたとの嫌疑で牢獄に入れられ、7日間を無言で堪え忍ぶ→〔物語〕5b。
『封神演義』第24回 自らの手で心臓を抉り出した宰相比干は(*→〔生き肝〕1)、「絶対に口をきいてはならぬ」と姜子牙から禁ぜられていた。しかし、野菜売りの老婆が「無心官(心なしの役人)」とののしったのを、比干は「無心肝(心臓がない)」と聞き取り、思わず「心臓がなければどうなる」と老婆に問いかけた。老婆は「すぐに死にます」と答え、それを聞いた比干は即座に絶命した。
『魔笛』(モーツァルト)第2幕 王子タミーノと鳥刺しパパゲーノはそれぞれの伴侶を得るために、賢者ザラストロに命ぜられて、沈黙の試練を受ける。王子タミーノは沈黙を守り、恋人パミーナに対しても口を開かず、彼女を悲しませ去らせて、試練に合格し、パミーナと結ばれる。鳥刺しパパゲーノはしゃべったためにいったん罰せられるが、最後には美しい娘パパゲーナを得る。
★3.問うてはならない禁忌。
『ドイツ伝説集』(グリム)540「白鳥の騎士」 白鳥の曳く小舟に乗って現れたヘリアスは、妻クラリッサに「私の氏素性を問うな。禁を破ったら別れねばならぬ」と言い渡す。数年後、クラリッサは禁ぜられた問いを発し、ヘリアスは小舟に乗って去る〔*同・541「ライン河の白鳥の舟」も類話。同・542「ブラバントのローエングリーン」では、ローエングリーンが妻エルザムに氏素性を問うことを禁じ、妻が禁を破ると、「自分はパルツィファルの子で、神によって聖杯の城から遣わされたのだ」と告げて去る。同・543「ロートリンゲンでのローエングリーンの最期」・544「白鳥の騎士」も関連の物語〕。
『パルチヴァール』(エッシェンバハ)第3巻・第5巻 少年パルチヴァールは旅に出て、老騎士グルネマンツの城にいたる。パルチヴァールはグルネマンツのもとで騎士道を学び、「むやみにものを尋ねてはいけない」と教えられる。そのため、パルチヴァールは聖杯城を訪れた時、城主アンフォルタス王の苦しみの理由を問わずに去る→〔伯父(叔父)〕6。
『ローエングリン』(ワーグナー) 騎士ローエングリンは、ブラバント公国の公女エルザを救い、彼女と結婚する。ローエングリンは「私の名前も、家柄も、どこから来たかも、問うてはならない」と禁ずる(*→〔名前〕6)。しかしエルザは、魔女オルトルートにそそのかされ、新婚初夜の床で、禁ぜられた問いを発する。騎士は、「私はパルジファルの息子ローエングリン。モンザルヴァート城の聖杯を守護する騎士である」と告げ、去って行く。
『大鏡』「三条院」 斎宮が伊勢へ下る時、帝が別れの櫛を斎宮の髪にさしてからは、互いにふりかえらぬのが定めであった。しかし三条院はふりかえって、斎宮(第1皇女・当子内親王)の姿を見たのだった。そのゆえであろうか、三条院は上皇になってから、目が見えなくなった。
『三国伝記』巻5-20 3人の旅人が、孫鏡から瓜と飯を供された礼に彼に福運を与え、「山を下る時百歩の間ふりかえるな」と告げる。孫鏡が60歩でふりかえると、3人は白鳥と化して天に飛び去った。
『創世記』第19章 主(しゅ)は、硫黄の火を降らせてソドムとゴモラの町を滅ぼした。ただし、ソドムの町に住むロトは正しい人だったので、前もって主の使い2人が来て、「妻と2人の娘を連れて逃げよ」と教えた。そこでロトの一家は町の外へ避難した。しかし、主から「後ろを見るな」と禁じられていたにもかかわらず、ロトの妻はふりかえり、塩の柱になった〔*→〔水没〕1の『呂氏春秋』巻14、女が空桑に化す物語と類似する〕。
『天国と地獄』(オッフェンバック)第2幕 地上に出るまで後ろを振り返らぬとの条件で、夫オルフェオは妻ユリディスを連れて地獄から出て行く。ところがジュピテルが雷を鳴らしたために、オルフェオは驚いて振り返り、オルフェオとユリディスの離婚が成立する。ジュピテルは、ユリディスを酒神バッコスの巫女にする→〔人妻〕1。
『変身物語』(オヴィディウス)巻10 冥府を訪れたオルフェウスは、死んだ妻エウリュディケを連れ帰ることを許されるが、「地上に出るまで後ろをふりかえってはならない」と禁ぜられる。しかし、あと少しという所で、不安にかられた夫は妻の姿を求めて後ろを見、エウリュディケは冥府へ引き戻される〔*『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第3章に簡略な記事。*→〔禁忌〕5の映画『オルフェ』(コクトー)では、現世に戻ってからも妻を見てはならない。*→〔憑依〕8bの映画『黒いオルフェ』(カミュ)では、振り返ると老婆がいた〕。
★5.見るなの禁忌。
『黄金のろば』(アプレイウス)巻5 プシュケの夫は夜にだけやって来て、姿を見せることがない。ある時、プシュケが2人の姉を宮殿に招こうとするので、夫は「お前の姉たちは、私の姿を見るようにそそのかすだろうが、けっして私を見てはならぬ」と禁じる→〔夫〕4。
『オルフェ』(コクトー) オルフェが妻ユリディスを冥府から連れ帰るに際しては、「現世へ戻っても、妻の姿を見てはならぬ」との条件がついていた。オルフェは妻を見ぬようにして暮らすが、その一方で彼は、冥府の王女(=死神)を愛し始めていた。ユリディスは絶望し、自動車のバックミラーに映る自分の顔を、オルフェに見せる。瞬時にユリディスの身体は消え、冥府に運ばれる〔*その後オルフェも死ぬが、最後には王女が2人を生き返らせる〕。
『夕鶴』(木下順二) 鶴の化身である「つう」は、百姓「与ひょう」の妻となり、自分の羽根を抜いて美しい布を織る。「機屋(はたや)をのぞいてはいけない」との「つう」の言いつけを、「与ひょう」は固く守り、決して見ようとはしない。しかし、「布を都で高く売ろう」とたくらむ欲張りの「惣ど」「運ず」が、機屋をのぞき見て、「鶴がいる」と「与ひょう」に教える。「与ひょう」は不思議に思い、ためらいながらも、とうとう機屋をのぞいてしまう。
*→〔のぞき見〕1bの『古事記』上巻(トヨタマビメ)・『鶴女房』(昔話)・『メリュジーヌ物語』(クードレット)。
*→〔蛇女房〕1の『田村の草子』(御伽草子)・『蛇の玉』(昔話)。
『シャタパタ・ブラーフマナ』 天女ウルヴァシーは、「汝の裸身を私に見せないように」と禁じて、プルーラヴァスと結婚する。ところが半神族のガンダルヴァたちが、時ならぬ稲妻を光らせたので、ウルヴァシーは夫の裸身を見てしまい、それ以来彼女は姿を消す。
『マハーバーラタ』第3巻「森の巻」 パリクシット王が、森で会った美女に求婚する。「水を見せてはならない」という条件で、美女は王と結婚する。ある時、王は妻を森の隅の池へ連れて行き、水浴を勧める。妻は池に入って姿を消す。水をかい出すと池の底に1匹の蛙がおり、妻の正体が蛙であることがわかる。
★7a.聞いてはいけない禁忌。
『幻獣辞典』(ボルヘス他)「マンドレイク」 マンドレイクは植物であるが、人間の形をしていて、性別もある。地面から引き抜くとマンドレイクは叫び声をあげ、この声を聞いた者は気が狂う。一説に、マンドレイクは絞首台の下に生えるという。
鮭の大助の伝説 秋の終わり頃。鮭の大助が、多くの鮭を率いて海から最上川へ入り、「鮭の大助、今上る」と言って、鮭川をさかのぼる。その声を聞いた人は、年内に死んでしまう。そこで大助の上る夜には、村人は酒を飲み騒ぎたてて、大助の声が耳に入らないようにする(山形県新庄市)。
*携帯電話で自分の断末魔の声を聞いた人は、予告された日時に死ぬ→〔電話〕7の『着信アリ』(三池崇史)。
『皿屋敷』(落語) 皿屋敷の古井戸から毎晩お菊の幽霊が出て、「1枚、2枚、・・・・」と皿を数える(*→〔井戸〕1bの『番町皿屋敷』)。9枚まで数えるのを聞くと死ぬ、というので、近所の連中が集まって、7枚あたりまで数えるのを聞いては、皆逃げ帰る。ある夜、お菊が皿を18枚まで数えたので、見物人がわけを聞くと、お菊は「2日分数えておいて、明晩は休みます」と答えた。
『粉河寺縁起』 仏師が、「7日のうちに仏像を作る。それまで来て見るな。作り終えたら汝の宅の戸を叩こう」と大伴孔子古に告げる。孔子古は7日待ち、8日目の払暁に戸を打つ音がしたので行って見ると、金の千手観音像があり、仏師の姿はなかった。
『祝詞』「鎮火(ほしづめ)の祭」 イザナキ・イザナミは夫婦となって、国や島や神々を産む。イザナミは火(ほ)結びの神を産んだために性器を焼かれ、岩に隠れる。イザナミは「7日7夜、私を見ないで下さい」と禁ずるが、イザナキは、7日を待たずにイザナミの姿を見てしまう。イザナミはイザナキに、「あなたは上つ国を治めなさい。私は下つ国を治めましょう」と言い、2神は別れた。
『田村の草子』(御伽草子) 益田が池の大蛇の化身である妻が子を産む時、「産屋に7日間立ち入るな」と、夫・藤原俊祐に命ずる。しかし俊祐は7日目に、産屋をのぞき見る(*→〔蛇女房〕1)。8日目まで待てば、生まれた子(俊仁)は日本のあるじとなるはずだった〔*日本のあるじになりそこねた俊仁は、成長後、将軍となって、陸奥国のあくる(=悪路)王を退治する〕。
龍犬盤瓠(ばんこ)王となる(中国・ヤオ族の神話) 王女が、龍犬の妻になる。龍犬が「私を蒸籠(せいろう)の中で7日7晩蒸(む)せば、体毛が抜け落ちて人間になる」と教えたので、妻は龍犬を蒸籠で蒸す。6日6晩たった時、妻は「龍犬が死んでしまったのではないか」と心配し、ふたを開ける。龍犬は人間に変わっていたが、蒸す時間が足りなかったため、頭と脇とすねに毛が残った→〔犬婿〕2。
『今昔物語集』巻31-19 愛宕寺の鐘を鋳造する鋳物師が、人が撞かなくとも毎日2時間おきに自然に鳴る鐘にしようとする。そのためには、鐘を土中に埋め丸3年たって掘り出さなければならない。1日早くても1日遅くてもいけない。しかし、3年目に寺の別当が待ちきれず掘り出したため、ただの普通の鐘になってしまった。
『捜神記』巻16-21(通巻396話) 四十男の談生が美女と結婚する。女は「3年間私の身体をあかりで照らすな」と言う。2人の間には子も生まれるが、2年後、談生は眠る女をあかりで照らす。女の腰から上は普通に肉がついていたが、腰から下は白骨だった。「もう少しで生き返れたのに、なぜあと1年待てなかったのか」と女は言う。
*男が百日間待てなかったために、女が水となって流れ失せる→〔百〕1の『長谷雄草子』(御伽草子)。
『浜松中納言物語』巻4 中納言は、吉野山の尼君の死後(*→〔雲〕6)、その娘(=吉野の姫君)を引き取って世話をする。しかし吉野の聖が、「姫君は20歳以前に懐妊すると、身を滅ぼす運命だ」と中納言に教える。姫君は今17歳だから、あと3年間、中納言は姫君と男女の関係を結ぶことができないのである。
『三国伝記』巻7-27 童子が「千日の間見るな」と山蔭中納言に告げ、方丈の室に籠もって千手観音像を造る。千日に満ずる暁、仏所を蹴破って童子(実は長谷観音)は去り、中納言が見ると3尺の千手観音像があった〔*原拠は『長谷寺験記』下-13〕。
『金枝篇』(初版)第3章第10節 サモアでは、どの男も何らかの動物の姿をした自分だけの神を持つ、と考えられていた。その神聖な動物を食べると、食べた者の体内に神が住みつき、同じ種類の動物を1匹生んで、その者を死にいたらしめるのだ。たとえば、自分の神がウニである男は、ウニを食べると、胃の中でウニが育ち、これに殺されてしまう。神がウナギである男は、ウナギを食べて重病になり、死ぬ前に胃の中から神の声が聞こえた。「私はこの男を殺す。この男は私の化身を食べたのだから」。
*亡父の生まれ変わりである鯰を食べて死ぬ→〔命乞い〕1の『今昔物語集』巻20-34。
★10.伝統的な物語では、禁忌は侵すべからざるもので、侵せば不幸な運命に陥る。しかし禁忌そのものが虚構で、これを侵しても無事な人間たちの物語が、やがて出てくる。
『福翁自伝』(福沢諭吉) 福沢諭吉は少年時代に、神様の名を書いた御札(おふだ)を足で踏み、さらにその御札を便所で使ったが、罰は当たらなかった。また、家のお稲荷様を開けて御神体の石を捨て、別の石を入れて置き、皆が知らずに拝むのを面白がった(*福沢諭吉とは対照的に、柳田国男は御神体の珠を覗いて神秘体験をする→〔星〕8の『故郷七十年』)。
『附子(ぶす)』(狂言) 主人が「これは附子という毒で、近くへ寄るだけで死ぬ、そばへ寄るな」と言い置いて外出する。留守番の太郎冠者・次郎冠者は、附子(=実は砂糖)を全部食べ、言い訳のために、主人秘蔵の掛け軸を破り、天目茶碗を割る。帰宅した主人に、太郎冠者・次郎冠者は「2人で相撲をとって倒れた時に、掛け軸と天目茶碗を破損しました。死んでお詫びしようと、附子を食べました」と言う〔*→〔毒〕7の、トルコの『ナスレッディン・ホジャ物語』「ホジャと餓鬼ども」は、これとよく似た話である〕。
*食物の禁忌→〔食物〕1・〔食物〕2に記事。〔食物〕3の『アダパ物語』(古代アッカド)・〔蛸〕3の『仮名手本忠臣蔵』7段目「一力茶屋」・〔妻〕1の『創世記』第3章。
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