ヤオ族
ヤオ族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 08:28 UTC 版)
チワン族と同様で、円筒形の枕状のものが普通。他に、赤砂糖や落花生の餡を包んだ甘いものもある。
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ヤオ族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/09 00:32 UTC 版)
詳細は「ヤオ族 (アフリカ)」を参照 マラビ帝国の衰退に影響を与えたもう一方の民族が、周辺地域に強い力を及ぼしていたヤオ族である。ヤオ族は、マクア族(Makua tribe)との戦闘や飢餓から逃れるために、モザンビークの北部からマラビ帝国へと移住してきた民族である。マクア族は、ヤオ族がザンジバルのアラブ人商人との象牙や奴隷の交易によって富を蓄えていたため、敵として襲撃を行うようになった。ヤオ族はマラビ帝国への移住を行った後すぐに、マラビ族とンゴニ族の双方を襲撃して捕虜を獲得し、後に奴隷としてアラブ人やスワヒリ人へ売却した。なお、ヤオ族は他民族との紛争に銃を使用した、最初且つ長らく唯一の民族であった。1870年にヤオ族の支配者階級の人々は、伝統的なアニミズム信仰よりも、貿易のパートナーであるアラブ人の宗教であるイスラム教を信仰するようになった。ヤオ族がイスラム教へと改宗したことによる利益として、読み書きの教育やモスク設立の協力を行うシャイフの指導を受けることができた。また、アラブ人の貿易商はヤオ族に稲作を紹介し、この影響で現在でもマラウイ湖南部域では稲作が比較的盛んに行われている。
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