元素
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化学物質を構成する基礎的な要素と「万物の根源をなす究極的要素」[1]としての元素とは異なるが、自然科学における元素に言及している文献では、混同や説明不足も見られる[注釈 1]。
概要
古代から中世において、万物の根源は仮説を積み上げる手段で考えられ、その源にある不可分なものを「元素」と捉えていた[2]。ヨーロッパで成立した近代科学の成立以降、物質の基礎単位は原子、とする理論が構築されてからは、原子は「物質を構成する具体的要素」、元素は「性質を包括する抽象的概念」というように変わった[2][3]。
《原子》は構造的な概念であるのに対して、《元素》は特性の違いを示す概念である[5]。具体的には、各元素の差異は原子番号すなわち原子核に存在する陽子の数(核種)で区分される。したがって中性子の総数により質量数が異なる同位体も同じ元素として扱われる[3]。これに対し原子は中性子の個数を厳密に捉える。したがって、元素とは原子の集合名詞ということもできる[2]。電子の増減によって生じる状態であるイオンは、原子が電荷を帯びた状態として考えられる[6]。英語 "element" は「根本にあるもの」を意味する。他の用例では電気回路の「素子」も同じ単語が用いられる[5]。
いろいろなモノが一体何からできているのかという疑問と考察は洋の東西を問わず古代からあり、物質観・自然観・世界観と関連づけながらそれぞれの文明圏で体系がなされた。それらが「火」「水」「土」など自然現象から抽出された少数の「元素」であり、宗教と関連づけられることもあった[7]。物質の根源が(現在に似た方向で)体系づけられたことはアイルランドの自然哲学者ロバート・ボイル(1627年–1691年)に始まるといわれる(彼の考え方が後の科学者[注釈 2]に共通認識として広がることになった)。彼は実験・測定・分析を重視し、それらの結果から「これ以上細かく分けられない物質」を元素と定義した[5]。以後、様々な考察とそれを裏付ける実験が行われ、元素を「粒子」として捉える今日の元素観および原子論が確立された[5]。
元素の性質は最外殻電子(価電子)に大きく影響されるため、同様な性質を持つ元素は元素の族(元素群)として、周期表においても族(周期表の列)や系列として纏められている[8]。現在、元素は118種類の存在が確認され、いずれも国際純正・応用化学連合(IUPAC)により正式名称が与えられている。なお、元素は173番目まで存在可能との説も唱えられている[9]。
歴史
古代の万物の根元観

古代中国
古代中国における物質の根源に関わる思想は、周代の紀元前11 - 4世紀頃には体系づけられた。『周易』は、自然現象は「天・流水・火・雷・風・水・山・地」の8つの基本に帰し、これと陰陽思想の根源である対位思想「陰」と「陽」が組み合わさったものと見なした。物質の根源要素には「木」「火」「土」「金」「水」の5つを基本物質である「元素」と考える五行思想を置き、これに陰陽が関わり宇宙のすべてが成り立つと考える陰陽五行思想を構築した[7]。
この思想を基礎に、未来を予想する方法が発達し易法となった。また道教にも取り入れられ、成立した陰陽道は日本にも伝わった[7]。
古代インド
古代インドにおける根源論には、古ウパニシャッドに登場するウッダーラカ・アールニの思想「有(う、sat)の哲学」に汲み取れる。彼の思想には、すべてのものは微小なアートマン(我)だと言及する部分がある[10]。
具体的な根源物質観は、『パーリ語経典』経蔵・長部の『沙門果経』に見ることができる。ここで述べられている考えは、紀元前5世紀前後の釈迦と同時代人と伝わる思想家集団である「六師外道」たちによって形成された古代インド原子論である[10]。アジタ・ケーサカンバリンは「存在を構成する物質元素は、地・水・火・風の四大である」という論を主張した[11][12]。また、パクダ・カッチャーヤナは「生命は絶対的な地・水・火・風・楽・苦・命の7つの要素から構成されている」と説いた[13][14]。彼らの思想は、カッチャーヤナの「ものを切る剣は、この要素の隙間を通る」という言葉に表される通り、元素をanu(微小なもの)、paramanu(極限まで微小なもの)と説明しており、これらが漢語において「極微」と訳される事から「極微論」と言うことができる[10]。
インドの極微論は六派哲学や宗教に引き継がれていった。ニヤーヤ学派・ヴァイシェーシカ学派が4つの元素に対応する4つの極微(原子)を想定したのに対し、六師外道の一人マハーヴィーラが創始したジャイナ教では初期の頃、極微に種類を設けなかったと考えられる。しかしジャイナ教もやがて「蝕・味・香・色」という性質と、「冷湿・冷乾・熱湿・熱乾」という現れ方があると考えるようになり、複数の極微を想定するようになった[10]。
仏教においても万物の構成要素として「地・水・火・風」を「四大」[15]または「四大種」[16]という考え方がある。ただしこれらにはそれぞれに「形・象徴・色・機能」といった付帯的な特徴を持ち、様々な現象(rupa、「色」)の根本という抽象的解釈で語られる。この概念は拡大して「空(くう)」を加えた五大(マウアラカキヤ)、さらに「識」を加えた六大へと発展し、観念的・哲学的な思想へと意義を変化させた。これらは中国の五行思想ともども近代的な物質要素の科学には繋がらなかった[7]。
古代ギリシア
西アジアやヨーロッパでも古代エジプトやメソポタミアなど高度な古代文明が発達したが、これらからは物質の根源に関わる記録が発見されておらず、唯一古代ギリシアにおける思想が伝わっており、この考え方は長くヨーロッパで受け入れられた[7]。この時代の哲学者たちは、万物のあらゆる生成と変化の根源にある原理を「アルケー」と呼び、これが一体何なのかを論じた[17]。

タレスは、氷や水蒸気などの相を持ち、硬い岩も風化させる水がアルケーだと論じた[18]。これは正しくは、水のような流体性を持つものが根本物質であるという事を指している[19]。タレスの孫弟子に当る[20]アナクシメネスはこの考えをさらに深め、アルケーは空気だと置き、これが濃くなれば風や雲、やがて水や岩などに変化すると述べた。ただしアナクシメネスの主張は、タレスと同じく流体性が根本にあると見なし、生物の呼吸などを含めアルケーを的確に表すものとして空気を示している[20]。同時代には、根源を火として「万物は流転する」と述べ、火が変化して空気や水または土などを生成すると述べる[10]ヘラクレイトスも現れた[7]。ただし彼が言う火も基本物質ではなく闘争原理を指す[21]。これらは、一つの原理で自然界の多様性を説明する方法論であった[10]。

これに対し、パルメニデスやゼノンらエレア派は「ある」ものの不変・不動性を説く立場から、単一の原理とその変化で多様な世界を説明することは誤りという主張を行った[10]。このエレア派の論理に矛盾せずに自然の多様性を説明した学者がエンペドクレスであった。彼は、アルケーがひとつではなく4つのリゾーマタから成立すると述べ、その四大元素に「火、空気、水、土」を置き、新生も消滅もしないこれらが離散・集合して多数の元素や自然界のできごとが成立していると提唱した[22]。
ピタゴラスは「万物は数である」と述べ、四大元素論と当時発見されていた正多面体を対応させ、「火・土・水・空気」に「正4・6・8・20面体」を置き、後に見つかった正12面体は宇宙を現すと主張した[23]。プラトンは四大元素論に階層的な概念を導入し、土が正六面体でもっとも重く、他のリゾーマタは三角形からなる正多面体で、火が最も軽いリゾーマタであり、これらはそれぞれの重さに応じて運動し互いに入り混じると考えた。これは、物体は物体でしかないという彼の主張から導き出された[24]。プラトンの作かどうか疑問視されている著書では、4つのリゾーマタに加え、天の上層を構成するとして「アイテール」が導入されている。彼に続く一派は、物質の多様性を説明するためにイデア論を機軸に置き、三角形がイデアを示すかたちであり、これは分割ができないものという「極微論」に似た主張を行った[24]。
紀元前350年ごろ、アリストテレスは無限を考察する際に、これを否定する論述のひとつにおいて有限個数の四大元素論を用い、4つのリゾーマタは相互に反対の性質を持ち、もし無限が存在するならば世界はどれか一つの性質で満たされてしまうと述べた[24]。また、『天体論』において天上にのみ存在し円運動をするアイテールを、直線的に動く4つのリゾーマタの上位として立てた[24]。アイテルを語源とするアイテールは、のちの自然学における第五元素とされ、宇宙を満たす媒質エーテルの構想へとつながっていく。
アリストテレスと同時代のデモクリトスは、無から発生し、再び消滅する究極微粒子(アトム)から万物が構築され、その構造的変化が物性の変化となると論じたが、彼のアトム論は発展を見ることは無く、ヨーロッパにおいては四元素説がスコラ哲学へ継承されてゆくことになる[25]。
中世の元素観
錬金術
ギリシア哲学の元素論は中世ヨーロッパに直接伝わらず、エジプトやアラブ世界を経由して錬金術に組み込まれた。ここでは経験的技術の蓄積や実験手段の洗練化が行われたが、卑金属から貴金属をつくるという目的と、成果が秘匿されたために情報が孤立する傾向にあり、元素の探求にはあまり寄与しなかった。その中で、ジャービル・イブン=ハイヤーン(721年? - 815年?)やパラケルスス(1493年? - 1541年)[26]が唱えた根源物質としての三元素が伝わっているが、これは硫黄・水銀・塩を指した[7][5]。この三元素のうち硫黄と水銀は単体だが、塩は化合物の塩化ナトリウムであり、今日的な元素概念からすれば意味は無い。ただし、この三物質はそれぞれ共有結合・金属結合・イオン結合という化学結合の主な3種類に対応している。しかし、ジャービルがこれを意識していたかどうかはわからない[27]。
近世〜現代の元素観

原子説
物質の根源は何かという問いを改めて提議した人物がアイルランド生まれのロバート・ボイル(1627年 - 1691年)である。彼は著作『懐疑的化学者』にて思索だけに頼った古代ギリシアの元素論を批判し、実験を重視して元素を探求すべきという主張を行った。また彼は、元素に「これ以上単純な物質に分けられないもの」という粒子説[26]の定義を与え[注釈 3]、さらに元素は古代的考えの4-5個では収まらないという先見的な予測を示した[5]。
ボイルの主張後、実験によって様々な「不可分なもの」の探求が行われた。アントワーヌ・ラヴォアジエは1789年の著作『化学原論』にて、当時見つかっていた33種類の元素を纏めた表を採録した。ただしその中には熱素や光があった。また化合物であるマグネシアやアルミナなども含まれていたが、これは当時の実験技術の限界によるもので、ボイル以来の考え方そのものは正しかった、と斎藤は解説した[5]。

ラヴォアジエの「質量保存の法則」や[26]ジョゼフ・プルーストが1799年に発表した「定比例の法則」を元に、ジョン・ドルトンは1801-1808年に執筆した一連の論文で「原子説」を唱えた。これは、物質の根元は原子(atom)であり、これは元素の種類に対応するだけの数がある、同じ原子は質量や大きさが同一で異なる原子はそれらが一致しないと述べ、原子量の概念を提示した。さらに物質は同じ原子の集まりである単体と異なる原子の集まりである化合物があるとし、窒素と酸素からなる5つの化合物を示してこれを証明した[5]。この理論は、内包した矛盾点をジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサックの「気体反応の法則」やアメデオ・アヴォガドロの「アボガドロの法則」などが修正し、広く受け入れられるようになった[5]。
元素の発見と整理
古代から知られていた単体の種類は貴金属や炭素など11に過ぎなかったが、17世紀以降には実験を通じて様々な単体が得られ、その数に応じて発見された元素の個数は増えた。17世紀にはリンなど3種、18世紀には水素や酸素からウランを含む13種、19世紀には56種の元素が見つかった。20世紀には自然界に存在する元素の残り5種類に加え、人工放射性元素が15種類合成された[29]。
このような元素の増加に伴い、特性に応じた分類や系統立てが行われた。ラヴォアジエは化合物の性質から金属元素・土類元素[注釈 4]・非金属元素の3種類の区分を提案した。さらに測定精度が高まった原子量を重視した並びから規則性(周期律)を見出そうとする試みも提案された。そして、1869年にドミトリ・メンデレーエフが提案した周期表は改良を重ねて原子価を重視した特長で並べられ、当時未発見の元素を予言するなど洗練された系統表として広く認められるようになった[29]。
元素の正体

19世紀には各元素の発見が相次ぎ、それぞれの特徴が把握され蓄積されたが、このような性質がどのような原理で生じるかは分かっていなかった。そして、各元素は不変だと考えられていた。しかし19世紀末から20世紀初頭にかけ、放射性元素と放射能が発見され、アルファ崩壊が確認された。これによって、一部の元素は原子量を低くする方向へ分裂する事が判明した[31]。
アルファ崩壊発見などで業績を残したアーネスト・ラザフォードは原子核を発見し、1911年にラザフォードの原子模型を提唱した。これにニールス・ボーアは量子仮説を加えてボーアの原子模型を発表した。これによって基本的な原子の構造や周期律が生じる理由などが説明され、元素は原子という構造を持つ物質として知られるようになり[32]、その研究は化学から物理学の素粒子物理学分野へと発展していった。
1911年、ラザフォードは窒素にアルファ線を放射して水素イオンとその時は検出されなかったが酸素を作り出し、低原子量の元素を転換させることに成功した。1920年代からは様々な元素を人工的に変える実験が行われ、粒子加速器も発明された。これらから、低原子量の元素変換には高いエネルギーが必要になることが判明してきた。1932年には以前から存在が予測されていた中性子が発見され、これを用いた実験を通じて半減期が短く基本的に地球上には存在しない人工放射性元素や超ウラン元素が作られるようになった。さらにこの実験を通じて1938年には核分裂が発見され、人類は原子力エネルギーを手にすることになった[31]。
主な元素の発見
- 1766年 - 水素(キャヴェンディッシュ)
- 1772年 - 酸素(シェーレ)
- 1774年 - 塩素、バリウム、マンガン(シェーレ)
- 1778年 - モリブデン(シェーレ)
- 1781年 - タングステン(シェーレ)
- 1782年 - テルル(E.J.ミュラー)
- 1817年 - セレン(イェンス・ベルセリウス)
- 1824年 - ジルコニウム(ベルセリウス)
- 1828年 - タンタル(ベルセリウス)
- 1860年 - セシウム(ブンゼン)
- 1861年 - ルビジウム(ブンゼン)
- 1894年 - アルゴン(レイリー卿とラムゼー)
- 1898年 - ネオン、クリプトン、キセノン(ラムゼーとトラバース)
- 1898年 - ラジウム、ポロニウム(マリ・キュリーとピエール・キュリー)
注釈
出典
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