ツアータイトルと略歴
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「THE ALFEE」の記事における「ツアータイトルと略歴」の解説
〜1982年一貫したツアータイトルを銘打って全国ツアーを行うのは、後述の「OVER DRIVE」ツアーからとなるが、1982年夏以前にもコンサートにタイトルをつけていた。 現在、資料で確認できるものでアドベンチャーランド フォークソング紀行 アルフィー唄い歩き(1980年) 稚くて愛を知らず(1981年頃) ALMIGHTY(1981年) フォークソング紀行 アルフィー〜heart to heart(1982年頃) Rock'n Roll Fighting Night in__(公演先の地名)(1982年) などがある。 OVER DRIVE(1982年9月7日〜1983年12月28日)1982年の夏のイベントよりツアーにドラムとキーボードを導入。当時のサポートメンバーは富岡義弘 (Drs)、山石敬之 (Key)、遠藤誠一 (Key) だった[要出典]。 ちなみに、オフィシャル・データブック「地球音楽ライブラリ アルフィー」や公式サイトのデータベースでは1983年からのツアータイトルが「OVER DRIVE」であるかのように整理されているが、公式サイトに掲載されている当時のチケット(1982年12月24日の前橋市民会館公演)ですでに「OVER DRIVE」というタイトルを用いており、前述の「地球音楽ライブラリ」でも「秋には、大阪フェスティバルホールを皮切りに、『OVER DRIVE』と銘打ってコンサートをスタートさせた」という記述があることから、同公演日である1982年の9月7日が正しいと思われる。 1983年の日本武道館公演の時点でサポートメンバーは富岡と山石の2人体制となっているが、一部ステージでは相沢美彦 (Drs) がピンチヒッターとして参加(紅白歌合戦など)。 この年の12月17日の渋谷公会堂公演より一般公募のオーディションで採用した当時18歳の長谷川浩二 (Drs) が参加する。 FLYING AWAY(1984年3月27日〜7月7日/10月2日〜12月28日)この年よりサポートメンバーは長谷川と山石の2人体制となる。 AFFECTION(1985年3月26日〜7月21日/10月1日〜12月30日)1982年よりキーボードを担当していた山石敬之が本ツアーをもって離脱。ツアー最終日のアンコールで、山石脱退について高見沢から発表があり、その後の「LAST STAGE」は山石に向けて歌われた。 SWEAT & TEARS(1986年4月2日〜7月23日/10月2日〜12月29日)このツアーよりキーボードとして菊地圭介が参加。ただし、ツアー初日、4月2日のステージのアンコール最後の曲で山石敬之が登場、1曲だけの共演を果たす(一つのキーボードブースに二人で入って演奏を行った)。この他にも山石のスケジュールが合致する会場でアンコールの数曲だけの共演が何度か見られている。同年夏のイベント「TOKYO BAY-AREA」にも山石が参加(菊池とのツイン)。 LONG WAY TO FREEDOM(1987年4月2日〜7月20日/11月25日〜1988年1月7日)12月21日から24日までの4日間連続で日本武道館公演を行う。この年より12月22日から24日までの3日間は日本武道館で公演することが恒例化する。 なお、正月をまたいで行われたコンサートツアーは本年が最後である。 1988 LONG WAY TO FREEDOM TIME SPIRIT(1988年4月12日〜7月19日/9月29日〜12月29日)ツアーのテーマソングであった「TIME SPIRIT」は、その後シングル『VICTORY』のカップリング曲としてCD化された。 このツアーは「宇宙空間の地球が天空に見える架空の星でライブを行い、夏のイベント(4ACCESS AREA」)で日本各地に帰還。ライブ終了後は再び宇宙に帰っていく」という一貫したストーリーで形成された。そのため、モニタを多用したSF風のステージが披露される。 THE ALFEE With Jean Paul GAULTIER(1989年4月5日〜4月21日)デザイナージャン=ポール・ゴルチエとのコラボレーション企画。ファッションショーとライブを融合させたもので、メンバーはゴルチエのデザインした衣装を身にまといライブを行った。 以前よりレコーディングに参加していたそうる透がこのツアーで初参加し、長谷川とのツインドラム体制となった。 1989 LONG WAY TO FREEDOM RESISTANCE(1989年9月27日〜12月28日)前半はBEATBOYSのツアーがあったため、「THE ALFEE」としては約5か月ぶりのツアー。 この年のステージセットはドイツのブランデンブルク門を模したものであったが、ツアー中の11月9日にベルリンの壁崩壊のニュースが飛び込んでくる。その後1999年にはドイツの本物のブランデンブルク門の前でコンサートを行った(後述)。 1990 LONG WAY TO FREEDOM REVOLUTION(1990年3月29日〜7月24日)ARCADIA、My Best Friend、Mind Revolutionなど同年秋にリリースされるアルバム『Arcadia』に収録される新曲も演奏された。 1990 LONG WAY TO FREEDOM REVOLUTION II(1990年10月30日〜12月27日)同年夏のイベントにも参加したうる透がゲストミュージンシャンとしてツアーに参加。長谷川とのツインドラム体制となる。秋ツアー終盤の12月24日の武道館公演では石橋貴明がゲスト出演。とんねるずに提供し、自らがセルフカバーした「クリスティーナ」を演奏した。 1991 LONG WAY TO FREEDOM COUNT DOWN(1991年9月11日〜12月27日)前半は高見沢のソロ活動(アルバム制作、ライブツアーなど)があったため、久々の全国ツアーとなった。 Count Down '92 COMMUNICATION(1992年4月15日〜7月27日/11月28日〜12月30日)秋のツアーが例年より2ヶ月遅いスタートとなった。 LAWSON Presents THE ALFEE Communication ACOUSTIC SPECIAL(1993年1月22日〜2月15日)サポートメンバーは同行せず、メンバーのみで行ったツアー。LAWSONで募集した観覧希望者から抽選によって選ばれた観客だけ観覧することができた、通常のツアーとは異なるツアーとなった。同ツアーの最終公演となった東京ベイNKホール公演の模様はWOWOWで放映された他、のちにライブアルバム『CONFIDENCE』としてCDでリリースされた(放映とアルバムでは数曲収録された曲が違っている)。 Count Down '93 VICTORY(1993年3月23日〜7月26日/10月8日〜12月29日)春・秋両ツアー併せて101公演のコンサートを行い、一年間で47都道府県すべてでの公演を達成。 Count Down '94 DREAMS(1994年4月8日〜6月3日/10月14日〜12月30日)5月3日の公演はパシフィコ横浜のこけら落としとして行われた。 12月24日の武道館公演のアンコールでは、毎年特別な出し物をするのが恒例となっているが、本年では桜井が殺陣を披露したほか、高見沢がセーラームーン(セーラータカミームーンと呼ばれていた)の格好をして武道館のステージ上を飛び回った。この年、高見沢は「これ以上エスカレートするときりがないから、今年の武道館ではしない」と宣言していた。なお、上記公演では度重なるアンコールの結果、公演時間は4時間を越え、当時の武道館の1公演あたりの公演時間最長記録を更新している。 Count Down '95 PROGRESS(1995年3月30日〜6月23日/11月5日〜12月29日)自身の音楽活動のため離脱していた山石敬之がキーボードに復帰。春ツアーのキーボードは山石と菊地圭介のツイン体制となる。この年の1月にアルバム『夢幻の果てに』を発表したこともあり、緊張感のあるツアーとなった。なおこの春ツアーの様子は後にライブアルバム『LIVE IN PROGRESS』としてCDでリリースされた。 この年の夏のイベントを最後に菊地が卒業。秋ツアーのキーボードからは山石1人となる。 Count Down '96 IMAGINATION(1996年4月4日〜6月24日/10月24日〜12月29日)このツアーより、ライブの演出として本格的に映像を取り入れた。年末の武道館公演にはアンコールにBEATBOYSが登場し、久々にダンスを披露した。 Count Down '97 EMOTION(1997年4月19日〜6月29日/10月24日〜12月30日)レコード会社移籍により新譜を出せない事情も有り、ライブ活動に専念した年となる。秋ツアーのラストでは高見沢がプロデュースしたアイドルグループ「Skirt」に提供した「明日の鐘」をセルフカバーする演出があった。同曲は翌年発売のアルバムに収録された。 Count Down '98 NOUVELLE VAGUE(1998年4月2日〜6月18日/10月22日〜12月29日)ストリングスがふんだんに使われたツアータイトルと同名のアルバムを再現するため、映像で弦楽団と共演する演出が行われた。 春ツアーのファイナル公演はニューヨークで行われた(詳細は海外公演を参照のこと)。 ニューヨーク公演には後に2003年にも参加する杉山卓夫がサポートとしてキーボードで参加(山石敬之とのツイン)。 Final Count Down A.D.1999(1999年4月11日〜6月28日/10月17日〜12月29日)'91年から始まったツアーサブタイトルCownt Downのラストイヤーとなり、Final Count Downと称した。 この年よりコンサート照明がAGESから(株)東京舞台照明に外部移管された。 秋ツアー終盤の12月22日武道館公演では加山雄三がサプライズ出演(桜井は出演を知らされていなかった)。 AUBE 2000(2000年4月6日〜6月25日/10月8日〜12月30日) AUBE 2001 NEVER FADE(2001年4月5日〜7月1日)前年までのサポートメンバーの位置は上手側(高見沢側)にキーボード、下手側(桜井側)にドラムという配置だったが、本ツアーから2007年まで配置が逆になる。高見沢曰く「気分転換」とのことだが、本ツアー以降この配置が定着する。 またこのツアーの直前、高見沢がテレビの企画で闘牛に挑戦し、左手の人差し指(ギタリストが最も多用する指のひとつ)を骨折し、本ツアーで大きく影響を与える。 AUBE 2001 GLINT BEAT(2001年10月14日〜12月29日) AUBE 2002 TRANSFOMATION(2002年4月4日〜6月30日/10月10日〜12月28日)秋ツアー終盤の12月22日の武道館公演では「お兄やん」こと堀内健と「お姉やん」ことベッキーがゲスト出演。高見沢がプロデュースした曲「ホリケンサイズ II」を披露する。 AUBE 2003 My Generation(2003年4月5日〜6月29日)キーボードに杉山卓夫が1年間サポートとして参加。山石とのツイン体制となる。 AUBE 2003 GOING MY WAY(2003年10月10日〜12月27日)武部聡志が参加しハモンドオルガンが多用されたツアー同名のアルバムを再現するために、従来の山石のキーボードに加えて杉山が武部のオルガンパートを演奏する形がとられた。 30th anniversary 2004 Travelin' band(2004年4月1日〜6月27日/10月7日〜12月29日)この年よりコンサート照明の担当が東京舞台照明から林オフィスに変更され、照明のイメージが一新された。 大晦日のカウントダウンライブは長谷川に加えそうる透が14年ぶりに参加し、ツインドラムでの公演となった。 AUBE 2005 STARTING OVER(2005年4月9日〜7月3日/10月7日〜12月29日)2004年の大晦日ライブから引き続き、そうる透がドラムで参加。長谷川とのツインドラム体制となる。 秋のツアーの大宮ソニックシティ公演にて、ライブ本数通算2000本目を達成。高見沢の2000を模った変形ギターが製作されたが、披露されたのは現時点ではこの公演のみ。また開場時にリクエストが行われ、最も多くのリクエストを集めた「Since1982」がラストナンバーとして演奏された。 この年を最後に21年間ドラムを担当してきた長谷川浩二が卒業。クリスマスイブの武道館公演のアンコールでは、高見沢にマイクを向けられた長谷川の歌声を聴くことができ、ライブDVDでも確認可能。ツアー最終日の大阪公演ではアンコールで高見沢から長谷川卒業について話があり、ラストナンバーの演奏前に彼のドラムソロの時間が設けられた。 AUBE 2006 ONE(2006年4月7日〜7月1日/10月6日〜12月29日)この年より吉田太郎がドラムとしてツアーに初参加。引き続き参加したそうるとのツインドラム体制となる。 また、秋ツアーの広島公演直前に体調不良により坂崎の声が出なくなるハプニングが発生。セットリストで坂崎ボーカルの曲を少なめにしたり、本来坂崎がボーカルをとる曲をほかのメンバーが歌うなどした。 AUBE 2007 春の嵐(2007年4月5日〜7月1日)この年よりドラムが吉田太郎1人となる。 1983年以降の全国ツアーで、はじめてツアータイトルに日本語が採用された。 AUBE 2007 天河の舟(2007年10月5日〜12月29日)12月15日の日本ガイシホール公演からキーボードにただすけが参加。山石敬之とのツイン体制となる。このツアーを最後に、通算25年間キーボードを担当してきた山石がサポートを離れる。(翌年1月に山石が自身のサイトでその旨を発表) AUBE 2008 RENAISSANCE(2008年4月3日〜6月29日/10月3日〜12月28日)本ツアーよりキーボードがただすけ1人となる。 ライブにプロジェクタを用いた映像表現を採用する。 福岡1日目のプロジェクタを用いた映像表現では映像の歌詞と歌のズレが発生していたが、福岡2日目ではそれが解消されていた。 武道館が2Daysになる。 35th anniversary 2009 CONFIDENCE(2009年4月9日〜6月28日)坂崎の誕生日の 4/15(水)宇都宮市文化会館 では、払い戻しを恐れた多くのファンがチケットを複数買い占めしたため、空席が目立つライブになってしまった。 35th Anniversary 2009 My Truth(2009年10月1日〜12月29日)10/22(木)、映画「宇宙戦艦ヤマト 復活編」の主題歌が本ツアーアンコールで歌われていた「この愛を捧げて」であることが公表され、この日の東京国際フォーラム以降のライブでは曲の演奏中、この日以前は宇宙空間の映像のみだったプロジェクタ映像にヤマトの映像が追加で映し出されるようになる。 12/24(木)日本武道館のアンコールでは、久し振りにBE∀T BOYSの曲も多く演奏された。 AUBE 2010 新世界〜Neo Universe〜(2010年4月11日〜6月27日)4年振りにオリジナルアルバムを引っさげてのツアーとなった。 高見沢の誕生日である4/17の京都会館公演では、土曜日ということもあって会場で祝いたいというファンが多くなり、チケットの入手競争率が例年より高くなった。 AUBE 2010 新世界〜Neo UniverseⅡ〜(2010年10月7日〜12月29日)12月24日(金)日本武道館での開催をもって、日本武道館公演回数が77回(総合3位)になったことが報告された。 Neo Universe 2011 I Love You(2011年4月9日〜6月26日)3月11日に発生した『東日本大震災』の影響により、ツアー初日予定の4月7日(木)サンシティ越谷市民ホールは6月9日(木)に延期、4月9日(土)の静岡市民文化会館が初日となった。また、6月12日(日)仙台サンプラザホールは会場の復旧見通しが立たないため中止となり、翌日6月13日(月)同地仙台において、Zepp Sendaiで代替公演を行った。仙台公演では来場客全員にオリジナルTシャツがプレゼントされた。 Neo Universe 2011 ALWAYS(2011年10月6日〜12月16日) Neo Universe 2011 Final Series I Love You, Always...(2011年12月23日、24日、29日)この年より、秋ツアー終盤のアリーナ公演(日本武道館、大阪城ホール)は「Final Series」と銘打ってセットリストを大幅に変えて行った。 このツアーよりステージセットに「.Dot Image」(ドットイメージ)という最新鋭の照明機材が使われ、以後のステージにおいても使われる。 大阪城ホール公演のステージ配置が横長方向へと変更された。 Neo Universe 2012 Flowers(2012年4月5日〜6月24日)前年のファイナルシリーズから登場したドットイメージの照明装置を全会場で使用した。その後ドットイメージは広いアリーナ会場専用となったため春秋のホールツアーで見る機会はなくなった。 Neo Universe 2012 Flowers in My Planet(2012年10月4日〜12月14日)春ツアーで登場したドットイメージは使われていない。ライブの本編は第一部、休憩を挟んだ第二部の二部構成で行われた。 Neo Universe 2012 Final Series Catch Your Earth(2012年12月23日、24日、29日)24日の公演では、11月29日(木)神奈川県民ホール公演で約束された『ウルトラマン列伝』の新主題歌「Final Wars!」が演奏された。 またこの曲演奏前には、ウルトラファミリーがゲストとして登場した。(ウルトラ父他、総勢8名) Neo Universe 2013 Grateful Birth(2013年4月4日〜6月23日) Neo Universe 2013 Grateful Birth II(2013年10月3日〜12月14日) Neo Universe 2013 Final Series Grateful Birth Final(2013年12月23日、24日、29日)24日の公演ではオープニングから7曲目まで、1986年の夏のイベントのTOKYO BAY-AREAのセットリストが再現された(ライブ映像作品で確認可能)。 また24日は、「ウルトラ怪獣総選挙」の表彰式としてウルトラ怪獣3体とウルトラマンが来場した。 また、ふなっしーも来場し、高見沢プロデュースによるシングル曲「ふな ふな ふなっしー♪」が歌われた。 40th Anniversary 2014 GENESIS(2014年4月3日〜6月29日)坂崎と高見沢のバースデーライブでは、ポカスカジャンが登場し、高見沢プロデュースの楽曲「酒のチカラ」を演奏した。 それぞれのバースデーでは、各会場限定で還暦仕様のタオルが販売され、特定の曲に於いてメンバーと客席でを振る演出がなされた。即完売し、その後ネットオークションに出品されるなど、大変な高値となり、物議を醸し大きな問題となった。 また相模女子大学グリーンホール公演以降、高見沢が喉を痛めて高音が出せなくなってしまい、この年の夏のイベントにも影響を与えた。 40th Anniversary 2014 GENESIS II(2014年10月2日〜12月13日) 40th Anniversary 2014 Final Series GENESIS FINAL(2014年12月23日、24日、29日)12月23日の武道館公演に、前年に引き続きふなっしーが来場し、高見沢プロデュースによる「ふな ふな ふなっしー♪」と「梨空レインボー」が歌われたが、歌ってる最中にステージから転落し動けなくなり、スタッフによって舞台袖に運ばれるハプニングが発生。幸い大事には至らず、その後再びステージに出て元気な姿を見せた。 Best Hit Alfee 2015(2015年3月26日〜6月21日)4月30日の相模女子大グリーンホール公演では、7月26日に夏のイベント「One Night Circle」をさいたまスーパーアリーナにて開催することを発表した。 Best Hit Alfee Autumn 2015(2015年10月2日〜12月13日) Best Hit Alfee Final 2015(2015年12月23日、24日、29日)12月24日の武道館公演に、ふなっしー、ダチョウ倶楽部が来場しステージで共演した。ふなっしーは3年連続のゲスト出演となった。また、前年のふなっしーの事故の反省を踏まえ、ステージではスタッフお手製の柵が用意された。 Best Hit Alfee 2016 春フェス(2016年3月31日〜6月26日)ツアータイトルに日本語が採用されるのは、2007年の春の嵐以来、9年ぶりである。 同年のリオ五輪を意識してか、アンコールでは久し振りに「マラカス・ブラザーズ」が登場した。コンサートグッズではボタン電池で光る仕様のマラカスの「恋のマラカス」が販売された。 Best Hit Alfee 2016 秋フェス(2016年10月6日〜12月17日)アンコールでは、シングル楽曲50作連続トップ10入りを記念したグッズのジャケット画像のトランプを引き伸ばしたものをメンバーが引き当て、選ばれた楽曲を演奏した。 11月24日の大宮ソニックシティのコンサートにて、コンサート通算本数2600本を樹立した。 Best Hit Alfee Final 2016 冬フェス(2016年12月23日、24日、29日)アンコールでは、ブレイク前のシングルトップ10入りを逃した15曲のジャケット画像のトランプを引き伸ばしたものをメンバーが引き当て、選ばれた楽曲を演奏した。 12月24日の武道館公演のアンコールのThe KanLeKeeZのコーナーに、デビュー当時の所属事務所の大先輩に当たる堺正章が登場しステージで共演した。 Best Hit Alfee 2017 春フェスタ(2017年4月6日〜7月2日)通常のコンサートツアーとしては2012年の秋ツアー以来の本編が二部構成でのステージとなり、約10分間の休憩を挟み第一部がThe KanLeKeeZ、第二部がTHE ALFEEのステージという構成となった。休憩時間にはメンバーの衣装替えの他にもステージセットの転換が行われた。 Best Hit Alfee 2017 秋フェスタ(2017年10月5日〜12月17日)11月4日東京国際フォーラム公演で、12月20日発売のシングル『人間だから悲しいんだ』のボーカルのオーディンションが行われることが発表され、11月18日のよこすか芸術劇場公演で、坂崎がリードボーカルを担当することが発表された。 Best Hit Alfee Final 2017 冬フェスタ(2017年12月23日、24日、29日)クリスマスイブの武道館では、2011年以来のゲストなしの単独でのライブとなった。 45th Anniversary Best Hit Alfee 2018 春ノ巻(2018年4月5日〜7月1日)ご当地手ぬぐいが各会場限定で販売されたが、多くの会場で即完売し、その後ネットオークションに出品されるなど、大変な高値となり、物議を醸し大きな問題となった。 4月22日仙台サンプラザホール公演で、機材トラブルのため客席へ音声が出なくなった。その復旧までのつなぎとして、坂崎の生ギター1本と3人の肉声コーラスで洋楽の曲が即興で披露された。 Best Hit Alfee 2018 秋ノ巻 Château of The Alfee II(2018年10月4日〜12月15日)2016年から続いたThe KanlekeeZコーナーがなくなり、本編アンコールともにTHE ALFEEのみとなった。 後述の冬の巻も含めて、ツアー先の各ホール名と開催日時が入りそれぞれ配色の異なるペナント風のフラッグが各会場限定で販売され、特定の曲に於いて観客がフラッグを振る演出がなされた。フラッグは多くの会場で即完売し、その後ネットオークションに出品されるなど、大変な高値となり、物議を醸し大きな問題となった。 アンコールでは3人で和服を着用した「昭和兄弟」が登場した(クリスマスイブ公演を除く)。 10月20日の東京国際フォーラム公演では、通算コンサート数が2700本となった。 2700回目のコンサートを記念して、当日限定のピンズが販売されたが、多くのファンがグッズ列に並んでいる最中にネットオークションに出品されるなど、大変な高値となり、物議を醸し大きな問題となった。 Best Hit Alfee Final 2018 冬ノ巻 Château of The Alfee III(2018年12月23日、24日、29日)12月24日の日本武道館公演では、大阪国際女子マラソンのテーマソングのギネス認定のセレモニーが行われた。 翌年2019年は日本武道館が改修工事の関係で使用できなくなるため、毎年恒例のクリスマスイブ公演がこの年をもって一旦途切れることになった。 12月29日の大阪城ホール公演のアンコールでは、翌2019年のデビュー日の8月25日にセレモニーとコンサートが行われる旨が発表された。 45th ANNIVERSARY BEST HIT ALFEE 2019 春の乱(2019年4月3日〜6月30日)長年専属でツアートラックを運転してきたトランポチーフの金城栄次郎が本ツアーをもって勇退。ツアー最終日の名古屋公演のMCで高見沢からその旨の発表があり、苦楽を共にしたCREWへの感謝の言葉が述べられた。 45th ANNIVERSARY BEST HIT ALFEE 2019 秋の乱 Battle Starship Alfee II(2019年10月3日〜12月14日)ツアー開始直後に発生した台風19号の通過に伴い、10月12日の仙台公演、翌13日の会津公演が延期となった。 45th ANNIVERSARY BEST HIT ALFEE 2019 冬の乱 Battle Starship Alfee III(2019年12月25日〜12月29日)改修工事中の日本武道館の代替会場として国立代々木競技場第一体育館が使用された。クリスマスイブ公演は行われず25日のクリスマス公演と翌26日の開催となった。アリーナ中央に回転式の円形センターステージが置かれ、観客スタンド席は全方位が使われた。 3公演共に、遠隔操作によるLEDリストバンドが客席に配置され使用された。装着したキャップは各日それぞれ異なるものであり、終演後は記念品として持ち帰ることができた。 Best Hit Alfee 2020 春の夢(2020年4月2日〜7月5日予定⇒2020年5月2日〜7月27日予定)⇒全公演振替日未定で延期(2020年8月7日発表)新型コロナウイルスの影響により、開催時期の延期が発表された。31公演中21公演は次ツアー『春の夢のつづき』の同会場公演へ振り替えの扱いとなり、 10公演(府中・市川・岡山・山口・新潟・福岡2公演・須坂・東京(NHKホール)2公演)は中止の扱いとなった (2020年8月27日発表) ⇒全公演払い戻しに変更された (2021年1月21日発表) Best Hit Alfee 2021 春の夢のつづき (2021年4月1日~6月27日予定) 全公演中止(2021年2月17日発表) 2021 Winter Baby, Come Back!(2021年12月23日~12月29日)2年ぶりの有観客公演として、12月23・24日に日本武道館、12月29日に大阪城ホールにて開催され、感染防止対策のガイドラインに沿って収容定員はいずれの会場においても本来の収容人数の50%で実施された。 武道館公演の初日にはアルバム「天地創造」の発売、ファイナルの大阪公演では翌年に春ツアーを実施することが発表された。 2022 Spring Tour 天地創造(2022年3月31日~6月26日予定)3年ぶりの春ツアー、そして2月23日発売予定のアルバムを引っ提げたツアーとして全29公演実施予定。
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