ツアータイトルと略歴とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ツアータイトルと略歴の意味・解説 

ツアータイトルと略歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:03 UTC 版)

THE ALFEE」の記事における「ツアータイトルと略歴」の解説

〜1982一貫したツアータイトル銘打って全国ツアーを行うのは、後述「OVER DRIVE」ツアーからとなるが、1982年以前にもコンサートタイトルをつけていた。 現在、資料確認できるものでアドベンチャーランド フォークソング紀行 アルフィー唄い歩き1980年稚くて愛を知らず1981年頃) ALMIGHTY1981年フォークソング紀行 アルフィーheart to heart1982年頃) Rock'n Roll Fighting Night in__(公演先の地名)(1982年) などがある。 OVER DRIVE1982年9月7日1983年12月28日1982年夏のイベントよりツアードラムキーボード導入当時サポートメンバー富岡義弘 (Drs)、山石敬之 (Key)、遠藤誠一 (Key) だった[要出典]。 ちなみに、オフィシャル・データブック「地球音楽ライブラリ アルフィー」や公式サイトデータベースでは1983年からのツアータイトル「OVER DRIVE」あるかのように整理されているが、公式サイト掲載されている当時チケット1982年12月24日前橋市民会公演)ですでに「OVER DRIVE」というタイトル用いており、前述の「地球音楽ライブラリ」でも「秋には、大阪フェスティバルホール皮切りに、『OVER DRIVE』と銘打ってコンサートスタートさせた」という記述があることから、同公演日である1982年9月7日正しいと思われる1983年の日本武道館公演時点サポートメンバー富岡と山石の2人体制となっているが、一部ステージで相沢美彦 (Drs) がピンチヒッターとして参加紅白歌合戦など)。 この年12月17日渋谷公会堂公演より一般公募オーディション採用した当時18歳長谷川浩二 (Drs) が参加するFLYING AWAY1984年3月27日7月7日/10月2日12月28日この年よりサポートメンバー長谷川と山石の2人体制となる。 AFFECTION1985年3月26日7月21日/10月1日12月30日1982年よりキーボード担当していた山石敬之が本ツアーをもって離脱ツアー最終日アンコールで、山石脱退について高見沢から発表があり、その後の「LAST STAGE」は山石に向けて歌われた。 SWEAT & TEARS1986年4月2日7月23日/10月2日12月29日)このツアーよりキーボードとして菊地圭介参加。ただし、ツアー初日4月2日ステージアンコール最後の曲で山石敬之登場、1曲だけの共演を果たす(一つのキーボードブースに二人で入って演奏行った)。この他にも山石のスケジュール合致する会場アンコールの数曲だけの共演何度見られている。同年夏のイベントTOKYO BAY-AREA」にも山石が参加(菊池とのツイン)。 LONG WAY TO FREEDOM1987年4月2日7月20日/11月25日1988年1月7日12月21日から24日までの4日連続日本武道館公演を行う。この年より12月22日から24日までの3日間は日本武道館公演することが恒例化する。 なお、正月またいで行われたコンサートツアー本年最後である。 1988 LONG WAY TO FREEDOM TIME SPIRIT1988年4月12日7月19日/9月29日12月29日ツアーテーマソングであったTIME SPIRIT」は、その後シングルVICTORY』のカップリング曲としてCD化された。 このツアーは「宇宙空間地球天空見え架空の星でライブ行い夏のイベント(4ACCESS AREA」)で日本各地帰還ライブ終了後は再び宇宙帰っていく」という一貫したストーリー形成された。そのため、モニタ多用したSF風のステージ披露されるTHE ALFEE With Jean Paul GAULTIER1989年4月5日4月21日)デザイナージャン=ポール・ゴルチエとのコラボレーション企画ファッションショーライブ融合させたもので、メンバーゴルチエデザインした衣装を身にまといライブ行った以前よりレコーディング参加していたそうる透がこのツアー初参加し、長谷川とのツインドラム体制となった1989 LONG WAY TO FREEDOM RESISTANCE1989年9月27日12月28日前半はBEATBOYSのツアーがあったため、「THE ALFEE」としては約5か月ぶりのツアーこの年のステージセットはドイツブランデンブルク門模したものであったが、ツアー中の11月9日ベルリンの壁崩壊ニュース飛び込んでくる。その後1999年にはドイツ本物ブランデンブルク門の前でコンサート行った後述)。 1990 LONG WAY TO FREEDOM REVOLUTION1990年3月29日7月24日ARCADIAMy Best FriendMind Revolutionなど同年秋にリリースされるアルバムArcadia』に収録され新曲演奏された。 1990 LONG WAY TO FREEDOM REVOLUTION II1990年10月30日12月27日同年夏のイベントにも参加したうる透がゲストミュージンシャンとしてツアー参加長谷川とのツインドラム体制となる。秋ツアー終盤12月24日武道館公演では石橋貴明ゲスト出演とんねるず提供し、自らがセルフカバーした「クリスティーナ」を演奏した1991 LONG WAY TO FREEDOM COUNT DOWN1991年9月11日12月27日前半高見沢ソロ活動アルバム制作ライブツアーなど)があったため、久々全国ツアーとなったCount Down '92 COMMUNICATION1992年4月15日7月27日/11月28日12月30日)秋のツアー例年より2ヶ月遅いスタートとなったLAWSON Presents THE ALFEE Communication ACOUSTIC SPECIAL1993年1月22日2月15日サポートメンバー同行せず、メンバーのみで行ったツアーLAWSON募集した観覧希望者から抽選によって選ばれ観客だけ観覧することができた、通常のツアーとは異なツアーとなった。同ツアー最終公演となった東京ベイNKホール公演模様WOWOW放映された他、のちにライブアルバムCONFIDENCE』としてCDリリースされた(放映アルバムでは数曲収録された曲が違っている)。 Count Down '93 VICTORY1993年3月23日7月26日/10月8日12月29日春・秋ツアー併せて101公演コンサート行い一年間47都道府県すべてでの公演達成Count Down '94 DREAMS1994年4月8日6月3日/10月14日12月30日5月3日公演パシフィコ横浜こけら落としとして行われた12月24日武道館公演アンコールでは、毎年特別な出し物をするのが恒例となっているが、本年では桜井殺陣披露したほか、高見沢セーラームーン(セーラータカミームーンと呼ばれていた)の格好をして武道館ステージ上を飛び回ったこの年高見沢は「これ以上エスカレートするときりがないから、今年武道館はしない」と宣言していた。なお、上記公演では度重なるアンコール結果公演時間4時間を越え当時武道館の1公演あたりの公演時間最長記録更新している。 Count Down '95 PROGRESS1995年3月30日6月23日/11月5日12月29日自身音楽活動のため離脱していた山石敬之キーボード復帰。春ツアーキーボードは山石と菊地圭介ツイン体制となる。この年1月アルバム夢幻の果てに』を発表したこともあり、緊張感のあるツアーとなった。なおこの春ツアーの様子は後にライブアルバムLIVE IN PROGRESS』としてCDリリースされた。 この年夏のイベント最後に菊地卒業。秋ツアーキーボードからは山石1人となる。 Count Down '96 IMAGINATION1996年4月4日6月24日/10月24日12月29日)このツアーより、ライブ演出として本格的に映像取り入れた年末武道館公演にはアンコールにBEATBOYSが登場し久々にダンス披露したCount Down '97 EMOTION1997年4月19日6月29日/10月24日12月30日レコード会社移籍により新譜出せない事情有りライブ活動専念した年となる。秋ツアーラストでは高見沢プロデュースしたアイドルグループSkirt」に提供した明日の鐘」をセルフカバーする演出があった。同曲は翌年発売アルバム収録された。 Count Down '98 NOUVELLE VAGUE1998年4月2日6月18日/10月22日12月29日ストリングスふんだんに使われツアータイトル同名アルバム再現するため、映像弦楽団と共演する演出が行われた。 春ツアーファイナル公演ニューヨークで行われた(詳細海外公演参照のこと)。 ニューヨーク公演には後に2003年にも参加する杉山卓夫サポートとしてキーボード参加山石敬之とのツイン)。 Final Count Down A.D.19991999年4月11日6月28日/10月17日12月29日)'91年から始まったツアーサブタイトルCownt Downラストイヤーとなり、Final Count Down称したこの年よりコンサート照明AGESから(株)東京舞台照明外部移管された。 秋ツアー終盤12月22日武道館公演では加山雄三サプライズ出演桜井出演知らされていなかった)。 AUBE 20002000年4月6日6月25日/10月8日12月30日AUBE 2001 NEVER FADE2001年4月5日7月1日前年までのサポートメンバー位置は上手側(高見沢側)にキーボード、下手側(桜井側)にドラムという配置だったが、本ツアーから2007年まで配置逆になる高見沢曰く気分転換とのことだが、本ツアー以降この配置定着する。 またこのツアー直前高見沢テレビ企画闘牛挑戦し左手人差し指(ギタリストが最も多用する指のひとつ)を骨折し、本ツアー大きく影響与える。 AUBE 2001 GLINT BEAT2001年10月14日12月29日AUBE 2002 TRANSFOMATION(2002年4月4日6月30日/10月10日〜12月28日)秋ツアー終盤12月22日武道館公演では「お兄やん」こと堀内健と「お姉やん」ことベッキーゲスト出演高見沢プロデュースした曲「ホリケンサイズ II」を披露するAUBE 2003 My Generation2003年4月5日6月29日キーボード杉山卓夫1年間サポートとして参加。山石とのツイン体制となる。 AUBE 2003 GOING MY WAY2003年10月10日12月27日武部聡志参加しハモンドオルガン多用されツアー同名アルバム再現するために、従来の山石のキーボード加えて杉山武部のオルガンパートを演奏する形がとられた。 30th anniversary 2004 Travelin' band2004年4月1日6月27日/10月7日12月29日この年よりコンサート照明担当東京舞台照明からオフィス変更され照明イメージ一新された。 大晦日のカウントダウンライブは長谷川加えそうる透14年ぶりに参加し、ツインドラムでの公演となったAUBE 2005 STARTING OVER2005年4月9日7月3日/10月7日12月29日2004年大晦日ライブから引き続きそうる透ドラム参加長谷川とのツインドラム体制となる。 秋のツアー大宮ソニックシティ公演にて、ライブ本数通算2000本目達成高見沢2000った変形ギター製作されたが、披露されたのは現時点ではこの公演のみ。また開場時にリクエストが行われ、最も多くリクエスト集めた「Since1982」がラストナンバーとして演奏された。 この年最後に21年ドラム担当してきた長谷川浩二卒業クリスマスイブ武道館公演アンコールでは、高見沢マイク向けられ長谷川歌声聴くことができ、ライブDVDでも確認可能。ツアー最終日大阪公演ではアンコール高見沢から長谷川卒業について話があり、ラストナンバー演奏前に彼のドラムソロの時間設けられた。 AUBE 2006 ONE(2006年4月7日7月1日/10月6日12月29日この年より吉田太郎ドラムとしてツアー初参加。引き続き参加したそうるとのツインドラム体制となる。 また、ツアー広島公演直前体調不良により坂崎の声が出なくなるハプニング発生セットリスト坂崎ボーカルの曲を少なめにしたり、本来坂崎ボーカルをとる曲をほかのメンバーが歌うなどした。 AUBE 2007 春の嵐2007年4月5日7月1日この年よりドラム吉田太郎1人となる。 1983年以降全国ツアーで、はじめてツアータイトル日本語採用された。 AUBE 2007 天河の舟(2007年10月5日12月29日12月15日日本ガイシホール公演からキーボードただすけ参加山石敬之とのツイン体制となる。このツアー最後に通算25年キーボード担当してきた山石がサポート離れる。(翌年1月に山石が自身サイトその旨発表AUBE 2008 RENAISSANCE2008年4月3日6月29日/10月3日12月28日)本ツアーよりキーボードただすけ1人となる。 ライブプロジェクタ用いた映像表現採用する福岡1日目プロジェクタ用いた映像表現では映像歌詞と歌のズレ発生していたが、福岡2日目ではそれが解消されていた。 武道館2Daysになる。 35th anniversary 2009 CONFIDENCE2009年4月9日6月28日坂崎誕生日の 4/15(水)宇都宮市文化会館 では、払い戻し恐れた多くファンチケット複数買い占めしたため空席が目立つライブになってしまった。 35th Anniversary 2009 My Truth2009年10月1日12月29日)10/22(木)映画宇宙戦艦ヤマト 復活編」の主題歌が本ツアーアンコールで歌われていた「この愛を捧げて」であることが公表され、この日の東京国際フォーラム以降ライブでは曲の演奏中、この日以前宇宙空間映像のみだったプロジェクタ映像ヤマト映像追加映し出されるうになる。 12/24(木)日本武道館アンコールでは、久し振りにBE∀T BOYSの曲も多く演奏された。 AUBE 2010 新世界Neo Universe〜(2010年4月11日6月27日4年振りオリジナルアルバム引っさげてのツアーとなった高見沢誕生日である4/17の京都会館公演では、土曜日ということもあって会場祝いたいというファン多くなり、チケット入手競争率が例年より高くなった。 AUBE 2010 新世界Neo Universe〜(2010年10月7日12月29日12月24日(金)日本武道館での開催をもって日本武道館公演回数77回(総合3位になったことが報告された。 Neo Universe 2011 I Love You2011年4月9日6月26日3月11日発生した東日本大震災』の影響により、ツアー初日予定4月7日(木)サンシティ越谷市民ホール6月9日(木)延期4月9日(土)の静岡市民文化会館初日となったまた、6月12日(日)仙台サンプラザホール会場復旧見通し立たないため中止となり、翌日6月13日(月)同地仙台において、Zepp Sendai代替公演行った仙台公演では来場客全員オリジナルTシャツプレゼントされた。 Neo Universe 2011 ALWAYS2011年10月6日12月16日Neo Universe 2011 Final Series I Love You, Always...(2011年12月23日24日29日この年より、秋ツアー終盤アリーナ公演日本武道館大阪城ホール)は「Final Series」と銘打ってセットリスト大幅に変えて行った。 このツアーよりステージセットに「.Dot Image」(ドットイメージ)という最新鋭照明機材使われ以後ステージにおいても使われる大阪城ホール公演ステージ配置横長方向へと変更された。 Neo Universe 2012 Flowers2012年4月5日6月24日前年ファイナルシリーズから登場したドットイメージの照明装置全会場で使用したその後ドットイメージは広いアリーナ会場専用となったため春秋のホールツアーで見る機会なくなったNeo Universe 2012 Flowers in My Planet2012年10月4日12月14日)春ツアー登場したドットイメージは使われていないライブ本編第一部休憩挟んだ第二部二部構成行われたNeo Universe 2012 Final Series Catch Your Earth2012年12月23日24日29日24日公演では、11月29日(木)神奈川県民ホール公演約束された『ウルトラマン列伝』の新主題歌Final Wars!」が演奏された。 またこの曲演奏前には、ウルトラファミリーゲストとして登場した。(ウルトラ父他、総勢8名) Neo Universe 2013 Grateful Birth2013年4月4日6月23日Neo Universe 2013 Grateful Birth II2013年10月3日12月14日Neo Universe 2013 Final Series Grateful Birth Final2013年12月23日24日29日24日公演ではオープニングから7曲目まで、1986年夏のイベントTOKYO BAY-AREAセットリスト再現された(ライブ映像作品確認可能)。 また24日は、「ウルトラ怪獣総選挙」の表彰式としてウルトラ怪獣3体とウルトラマン来場した。 また、ふなっしー来場し、高見沢プロデュースによるシングル曲ふな ふな ふなっしー♪」が歌われた。 40th Anniversary 2014 GENESIS2014年4月3日6月29日坂崎高見沢バースデーライブでは、ポカスカジャン登場し高見沢プロデュース楽曲「酒のチカラ」を演奏したそれぞれのバースデーでは、各会場限定還暦仕様タオル販売され特定のに於いてメンバー客席でを振る演出なされた即完売し、その後ネットオークション出品されるなど、大変な高値となり、物議を醸し大きな問題となった。 また相模女子大学グリーンホール公演以降高見沢が喉を痛めて高音出せなくなってしまい、この年夏のイベントにも影響与えた。 40th Anniversary 2014 GENESIS II2014年10月2日12月13日) 40th Anniversary 2014 Final Series GENESIS FINAL2014年12月23日24日29日12月23日武道館公演に、前年引き続きふなっしー来場し、高見沢プロデュースによる「ふな ふな ふなっしー♪」と「レインボー」が歌われたが、歌って最中ステージから転落し動けなくなりスタッフによって舞台袖に運ばれるハプニング発生。幸い大事に至らずその後再びステージ出て元気な姿を見せたBest Hit Alfee 20152015年3月26日6月21日4月30日相模女子大グリーンホール公演では、7月26日夏のイベントOne Night Circle」をさいたまスーパーアリーナにて開催することを発表したBest Hit Alfee Autumn 20152015年10月2日12月13日Best Hit Alfee Final 20152015年12月23日24日29日12月24日武道館公演に、ふなっしーダチョウ倶楽部来場ステージで共演したふなっしー3年連続ゲスト出演となったまた、前年ふなっしー事故反省踏まえステージでスタッフお手製の柵が用意された。 Best Hit Alfee 2016フェス2016年3月31日6月26日ツアータイトル日本語採用されるのは、2007年春の嵐以来9年ぶりである。 同年リオ五輪意識してか、アンコールでは久し振りに「マラカス・ブラザーズ」が登場した。コンサートグッズではボタン電池で光る仕様マラカスの「恋のマラカス」が販売された。 Best Hit Alfee 2016フェス2016年10月6日12月17日アンコールでは、シングル楽曲50連続トップ10入り記念したグッズジャケット画像トランプ引き伸ばしたものをメンバー引き当て選ばれ楽曲演奏した11月24日大宮ソニックシティコンサートにて、コンサート通算本数2600本を樹立したBest Hit Alfee Final 2016 冬フェス2016年12月23日24日29日アンコールでは、ブレイク前のシングルトップ10入り逃した15曲のジャケット画像トランプ引き伸ばしたものをメンバー引き当て選ばれ楽曲演奏した12月24日武道館公演アンコールThe KanLeKeeZのコーナーに、デビュー当時所属事務所の大先輩に当たる堺正章登場しステージで共演したBest Hit Alfee 2017フェスタ2017年4月6日7月2日通常のコンサートツアーとしては2012年の秋ツアー以来本編二部構成でのステージとなり、約10分間休憩挟み第一部The KanLeKeeZ第二部THE ALFEEステージという構成となった休憩時間にはメンバーの衣装替えの他にもステージセットの転換が行われた。 Best Hit Alfee 2017フェスタ2017年10月5日12月17日11月4日東京国際フォーラム公演で、12月20日発売シングル人間だから悲しいんだ』のボーカルのオーディンションが行われることが発表され11月18日よこすか芸術劇場公演で、坂崎リードボーカル担当することが発表された。 Best Hit Alfee Final 2017フェスタ2017年12月23日24日29日クリスマスイブ武道館では、2011年以来ゲストなしの単独でのライブとなった。 45th Anniversary Best Hit Alfee 2018 春ノ巻(2018年4月5日7月1日ご当地手ぬぐい各会場限定販売されたが、多く会場即完売し、その後ネットオークション出品されるなど、大変な高値となり、物議を醸し大きな問題となった4月22日仙台サンプラザホール公演で、機材トラブルのため客席音声が出なくなった。その復旧までのつなぎとして、坂崎生ギター1本と3人の肉声コーラス洋楽の曲が即興披露された。 Best Hit Alfee 2018 秋ノ巻 Château of The Alfee II2018年10月4日12月15日2016年から続いたThe KanlekeeZコーナーなくなり本編アンコールともにTHE ALFEEのみとなった後述の冬の巻も含めてツアー先のホール名と開催日時入りそれぞれ配色異なペナント風のフラッグ各会場限定販売され特定のに於いて観客フラッグを振る演出なされたフラッグ多く会場即完売し、その後ネットオークション出品されるなど、大変な高値となり、物議を醸し大きな問題となったアンコールでは3人で和服着用した昭和兄弟」が登場した(クリスマスイブ公演を除く)。 10月20日東京国際フォーラム公演では、通算コンサート数が2700となった2700回目コンサート記念して当日限定ピンズ販売されたが、多くファングッズ列並んでいる最中ネットオークション出品されるなど、大変な高値となり、物議を醸し大きな問題となったBest Hit Alfee Final 2018 冬ノ巻 Château of The Alfee III2018年12月23日24日29日12月24日日本武道館公演では、大阪国際女子マラソンテーマソングギネス認定セレモニーが行われた。 翌年2019年日本武道館改修工事の関係で使用できなくなるため、毎年恒例クリスマスイブ公演この年をもって一旦途切れることになった12月29日大阪城ホール公演アンコールでは、翌2019年デビュー日の8月25日セレモニーコンサートが行われる旨が発表された。 45th ANNIVERSARY BEST HIT ALFEE 2019 春の乱(2019年4月3日6月30日長年専属でツアートラックを運転してきたトランポチーフの金城栄次郎が本ツアーをもって勇退ツアー最終日名古屋公演MC高見沢からその旨発表があり、苦楽を共にしたCREWへの感謝言葉述べられた。 45th ANNIVERSARY BEST HIT ALFEE 2019 秋の乱 Battle Starship Alfee II2019年10月3日12月14日ツアー開始直後発生した台風19号通過に伴い10月12日仙台公演、翌13日会津公演延期となった。 45th ANNIVERSARY BEST HIT ALFEE 2019 冬の乱 Battle Starship Alfee III2019年12月25日12月29日改修工事中の日本武道館代替会場として国立代々木競技場第一体育館使用された。クリスマスイブ公演行われず25日クリスマス公演と翌26日開催となったアリーナ中央回転式円形センターステージが置かれ観客スタンド席は全方位使われた。 3公演共に、遠隔操作によるLEDリストバンド客席配置され使用された。装着したキャップ各日それぞれ異なるものであり、終演後は記念品として持ち帰ることができた。 Best Hit Alfee 2020 春の夢2020年4月2日7月5日予定2020年5月2日7月27日予定)⇒全公演振替未定延期(2020年8月7日発表)新型コロナウイルス影響により、開催時期延期発表された。31公演中21公演は次ツアー春の夢のつづき』の同会場公演振り替え扱いとなり、 10公演(府中・市川・岡山・山口・新潟福岡2公演須坂東京(NHKホール)2公演)は中止扱いとなった (2020年8月27日発表) ⇒全公演払い戻し変更された (2021年1月21日発表) Best Hit Alfee 2021 春の夢のつづき (2021年4月1日6月27日予定) 全公演中止(2021年2月17日発表) 2021 Winter Baby, Come Back!(2021年12月23日12月29日2年ぶりの有観客公演として、12月23・24日日本武道館12月29日大阪城ホールにて開催され感染防止対策ガイドライン沿って収容定員はいずれ会場においても本来の収容人数50%実施された。 武道館公演初日にはアルバム天地創造」の発売ファイナル大阪公演では翌年に春ツアー実施することが発表された。 2022 Spring Tour 天地創造2022年3月31日6月26日予定3年ぶりの春ツアー、そして2月23日発売予定アルバム引っ提げツアーとして全29公演実施予定

※この「ツアータイトルと略歴」の解説は、「THE ALFEE」の解説の一部です。
「ツアータイトルと略歴」を含む「THE ALFEE」の記事については、「THE ALFEE」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ツアータイトルと略歴」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ツアータイトルと略歴」の関連用語

1
2% |||||

ツアータイトルと略歴のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ツアータイトルと略歴のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのTHE ALFEE (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS