レコード会社移籍
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1996年、エアーズに移籍。re-kiss名義で、シングル「HUMAN TOUCH」をリリース。この曲は、テレビ朝日系『機動新世紀ガンダムX』のエンディングテーマに起用された。 1998年、セリーヌ・ディオンのプロデューサーとしても知られるトム・キーンのプロデュースにより、ロックバンドシカゴのボーカルジェイソン・シェフとのデュエットで「Till The End Of Time」をリリース。
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レコード会社移籍
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1968年、アルバムの選曲において所属レコード会社のビクターから「アイドルのモンキーズのカバー曲をやれ!」と言われたが、断固として「アニマルズやゼムをやりたい」と譲らず対立。日本ビクターと紛糾した事情はプロダクションの意向が大きく作用した。日本ビクターではモップス、ザ・ダイナマイツ、ザ・サニー・ファイブら所属プロダクションがそれぞれ異なる3組を同時デビューで送り出した。従来の大手レコード会社が歌謡曲で一枚のシングル盤を発売する際には演奏者、歌手、楽曲、作者という分業制が敷かれていた。分業から楽曲は専属か契約の作詞作曲家だけが曲を提供する不文律の協定が存在し日本コロムビアではペンネーム弾厚作で自作曲を作り自分で演奏し発売した加山雄三が問題視され新興企業で協定が曖昧な東芝音工に移籍を余儀なくされた。レコード会社ではグループサウンズなど自作曲を歌うアーティストの扱いにはこの協定が通用しない配給提携の海外レーベル・ブランド名を拝借してその傘下から発売し問題回避に努め、日本ビクターではザ・スパイダース、森山良子などをフィリップス・レコードから発売し、この日本ビクター・ブランドのダイナマイツ、サニー・ファイブ、オックスの場合、レーベルが契約する橋本淳ら作詞・作曲家の楽曲、洋楽カバー曲、グループの自作曲を混在させる協定妥協策に従う一方、モップスは加えて営業戦略や企画案をプロダクション主導で作詞家はプロダクション側後押し外部から新人でオフィス・トゥー・ワンに所属する阿久悠を起用など日本ビクター側の意向が通り難い存在だった。事務所の合併でホリプロ所属になったオックスは営業上の成果をあげ双方良好な折り合いをつけた。 結果ビクターから解雇され、東芝音楽工業に移籍した。1969年には、プロ活動の先行き不安を理由にベース担当の村上が脱退。メンバーの補充はせずに三幸の担当をそれまでのリズム・ギターからベース・ギターへ変えて四人のまま活動を続け、東芝傘下のエクスプレスから「眠り給えイエス」(1971)をリリース。1970年に入り日本のロック草創期、いわゆる「ニュー・ロック」のバンドの1つとして活躍し、「御意見無用」(1971)、ヒット曲「月光仮面」(同)などを発表。 1972年には吉田拓郎が手がけた「たどりついたらいつも雨ふり」がラジオでさかんにオンエアされ、若者に支持された。また、星勝はグループ在籍中から編曲家・作曲家としても大活躍し、ザ・ピーナッツなどの良質な和製ポップスや、井上陽水らフォーク勢に楽曲を提供し、ヒットさせた。しかし歌謡曲とフォークブームに追いやられたロック音楽でのバンド活動の限界により、それぞれの活路を求めて1974年5月に解散。アルバム『EXIT』が同年7月に発売された。
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