独立・レコード会社移籍
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1996年、桂自身が納得のいくコンサート活動をするためとアジア進出を目論み、デビュー以来所属していた第一プロダクションを退社し独立(後にタイガーエンタープライズに移籍)。レコード会社も東芝EMIからトーラスレコードに移籍し、同年9月にシングル「愛ひとつ 夢ひとつ」を発売すると同時に、同レコード会社所属だったテレサ・テン(鄧麗君)に倣い、アーティスト名表記を“ケイ・ウンスク(桂銀淑)”に改め(翌年7月発売の「『Yes』と答えて」で、従来の“桂銀淑”に戻す)、バラード・シンガーとして再出発。 10月にオリジナル・アルバム『愛ひとつ 夢ひとつ』を発売。ヴォーカリスト・桂銀淑の声を引き立たせたバラード・アルバムとして国吉良一プロデュースの元に制作され、小椋佳、来生たかお、伊勢正三、松本隆などニューミュージック系のアーティストが楽曲を提供。翌11月には同タイトルを掲げてコンサートツアーを敢行(11月11日及び12日に行われた東京厚生年金会館での公演は1997年1月にNHK-BS2で放送され、CD及びビデオソフトも発売された)。 1993年の「アモーレ 〜はげしく愛して〜」を最後に浜圭介作品を歌っていなかったが、1998年に発表の「人魚伝説」よりゴールデン・コンビが復活、再び浜作品を歌うようになる。浜は「私にしてみれば、もう二度と彼女の作品との交流は縁遠いことと、自分自身そう決めつけていたことなので、内心驚いている次第です」と、その喜びを桂銀淑ファンクラブ会報に掲載した。同年発売された「プリーズ…」が昼ドラマ(『家族曲線』)の主題歌に起用され好セールスを記録。オリコンのランキングが好位置をキープした他にも、有線やリクエストでも人気を集めた(有線リクエストベスト演歌2位、総合9位)。
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