レコード制作者の道へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 00:24 UTC 版)
半ば音楽を捨てて米国の地にやって来た李はロボット工学を専攻して学問に勤しんでいたが、ちょうど渡米と同じ年に放送が開始されたMTVに新しい音楽の時代を感じて、次第に米国のエンターテインメントを韓国で再現することを夢見るようになり、1985年に修士号を取得するとすぐに帰国して、芸能活動を再開した。復帰後は歌手よりもラジオ番組のパーソナリティーやテレビ番組の司会者として活躍し、馬のように面長だという共通点から歌手の李文世(イ・ムンセ)やユ・ヨルとともに「馬三(マサム)トリオ」の愛称で韓国の大衆から人気を得たが、その一方で当時まだ珍しかったコンピュータミュージックに挑戦してソウル・梨泰院のディスコでDJをしたり、仁川の観光地・月尾島で「ヘミングウェイ」というカフェを経営したりして2億ウォンを貯め、それを元手に1989年、SMエンターテインメントの前身となる「SM企画」を設立し、レコード制作業を始めた。 この「SM企画」で李はダンスシンガーのヒョン・ジニョン、フォークシンガーのハン・ドンジュン、R&Bシンガーのユ・ヨンジンらをプロデュースするが、なかでも約2年の育成期間を経て1990年にデビューさせたヒョン・ジニョンは、韓国でいち早くラップ・ミュージックを披露して一躍アイドル・スターへと成長し、これによって李は音楽プロデューサーとして初めての成功を得た。 この頃の李は破格のギャランティーを提示されるほどテレビ司会者として引っ張りだこで、温和で機知に富んだ語り口で青少年を中心に高い人気を集めていたが、1995年に「SM企画」を「SMエンターテインメント」として法人化させ、翌1996年にデビューしたアイドルグループ「H.O.T.」を成功させてからは音楽プロデュースや会社運営に専念し、これ以後、同じくアイドルグループのS.E.S.、神話、フライ・トゥ・ザ・スカイ、BoA、東方神起、SUPER JUNIOR 、少女時代、SHINee、f(x)、EXO、Red Velvet、NCT、aespaらをスターに育て上げた。この功績から、2005年には韓国の時事週刊誌「時事ジャーナル」の「韓国芸能界で最も影響力のある人物」に選出されるとともに、韓国芸能芸術協会主催の大韓民国芸能芸術賞において「芸能芸術発展の姿」賞を受賞している。 2020年には、 ブロックベリー・クリエイティブ に所属する今月の少女のミニアルバム「#」「12:00」のプロデュースを手がけた。他の事務所の歌手のアルバムに参加したことは異例のことだった。今月の少女が、SM所属グループであるNCT 127の曲『Cherry Bomb』のダンスカバーを2019年5月に発表し、この動画を見て可能性があると判断したのがきっかけだった。 2021年5月にはアメリカの大手制作会社MGM Worldwide Televisionマークバーネット(Mark Burnett)プロデューサーと共にNCT-Hollywoodのローンチのため、アメリカオーディションプログラムを発表した。 2022年2月には、世界最大の仮想資産取引所であるバイナンスとメインネット、NFT、ファンド造成などブロックチェーン分野の包括的パートナーシップに関する業務協約(MOU)を締結、李プロデューサーが創案した概念であるPlay2Createでブロックチェーン基盤参加型創作文化先導及び収益モデルを提示した。
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