レコード会社移籍後
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「ピチカート・ファイヴ」の記事における「レコード会社移籍後」の解説
1990年、日本コロムビア/SEVEN GODS RECORDS(当時の所属事務所 グレイテスト・ヒッツの代表・麻田浩主宰)に移籍(後にTRIADへ転籍)。移籍の背景は、前所属レコード会社、CBS・ソニーの販売戦略に対する疑問があった(アルバム『月面軟着陸』のノベルティが、アームストロング船長を由来にした運動器具だったり、シングル盤のリリースもなかった)。 移籍と同時に、田島がORIGINAL LOVEの活動に専念するため脱退。レコーディングやライブでサポート・ボーカルをしていた元ポータブル・ロックの野宮真貴を3代目ボーカルに迎える。野宮は、正式加入以前からコーラス等で参加。CBS・ソニー最後のリリースとなったシングル「ラヴァーズ・ロック」(後にTokyo's Coolest Soundに発展)にボーカルとして参加している。高浪慶太郎が高浪“敬太郎”に改名。 1991年、高浪敬太郎コンボ&オーケストラ(野宮参加・小西も2曲参加、「大人になりましょう」のプロトタイプとなる曲も収録)として5月21日にフジテレビ系テレビドラマ「学校へ行こう!」のサウンドトラックCD『学校へ行こう! オリジナル・サウンドトラック 〜Hi,guys! Let me teach you』発売を皮切りに、6月から8月まで3枚のミニ・アルバム『最新型のピチカート・ファイヴ』『超音速のピチカート・ファイヴ』『レディメイドのピチカート・ファイヴ』そして9月発売のフル・アルバム『女性上位時代』に至るまで5ヶ月間にわたり「5-4-3-2-1 count down to extacy」と銘打った連続リリース攻勢を仕掛けた。 1993年、4月発売の「SWEET SOUL REVUE」は、カネボウ化粧品「REVUE」シリーズ春のキャンペーンソングという大型タイアップを掴み、スマッシュ・ヒット。バンド名が広く知れ渡るきっかけの楽曲となった。同年6月発売アルバム『ボサ・ノヴァ2001』(小山田圭吾と共同プロデュース)はオリコンチャートで最高7位を獲得。12月リリースシングル「東京は夜の七時」(タイトルは矢野顕子の曲から引用)が、別ヴァージョンながらフジテレビ系『ウゴウゴルーガ2号』のオープニング曲に採用され更に知名度を高め、一気に一流アーティストの仲間入りを果たした。 1994年、ミニ・アルバム『5×5』をアメリカのマタドールレコード(Matador Records) からリリースして北米デビュー。次作アルバム『MADE in USA』も全世界での売上が20万枚に達した。 同年9月、アルバム『Overdose』リリース発表直前に高浪が脱退。その後、2001年の解散まで小西・野宮の二人で活動していくことになった。 1995年2月からはアメリカおよびヨーロッパの14都市でツアーを行い、成功を収める。3月に初のベスト・アルバム『ピチカート・ファイヴTYO〜Big Hits and Jet Lags 1991-1995』をリリース。 1996年発表シングル「ベイビィ・ポータブル・ロック(ポータブル・ロックは、かつて野宮の所属したユニット名)」(日産・ミストラルCMソング)がヒットを記録。 1997年、小西によって新レーベル*********(readymade) records,tokyoを設立。、アルバム『ハッピー・エンド・オブ・ザ・ワールド』、ベスト・アルバム『ピチカート・ファイヴJPN〜Big Hits and Jet Lags 1994-1997』のほか、アナログ盤作品やリミックスアルバムのリリース、ライブなど順調に活動を重ねた。11月発表シングル「大都会交響楽」が、セガサターン用ソフト(後にプレイステーションへも移植)「クロス探偵物語」(1998年6月25日発売)のテーマソングとして起用された。 1998年1月、筒美京平作曲「恋のルール・新しいルール」、7月にミディアムバラード調の「きみみたいにきれいな女の子」、9月にザ・コレクターズの加藤ひさしをフィーチャリングした(実態的には野宮とのデュエット)「ウィークエンド」と立て続けにシングルがリリース。10月からの新番組『サタスマ』の音楽を小西が手がける事になり、エンディングテーマに、同月発売の同名アルバム『プレイボーイ プレイガール』(CD、限定LP盤)のタイトル曲が採用され11月18日にリカット。コーナードラマ『少年頭脳カトリ』オープニング・テーマ(未発売)も「野宮真貴と野宮真貴(ピチカート・ファイヴ)」名義で担当。 アルバム『プレイボーイ プレイガール』発売以降、日本コロムビアが立ち上げたJ-POP部門のレコード会社HEAT WAVE(ヒートウェーブ)が発売元となり、2001年の同社清算までの作品は【********* records,tokyoレーベル、発売元:株式会社ヒートウェーブ、販売元:日本コロムビア株式会社】という形態となった。 1999年に発売のミニ・アルバムに形態の近いシングルCDは、"JBL maxisonic series"と銘打ち、4月に「darlin' of discotheque e.p.」、7月「nonstop to tokyo e.p.」10月「パーフェクト・ワールド」を相次いでリリース。11月には20世紀最後となるアルバム『PIZZICATO FIVE』リリース。 2000年2月、readymade recordsのアーティストによるコンピレーション盤を発売、7月に野宮がソロCD、8月に小西プロデュースによる「慎吾ママのおはロック」発売、ミリオンセラーを記録。9月、シゲル・マツザキとYOU THE ROCK★をフィーチャリングしたシングル「東京の合唱」を発売、東京を一種のブランドテーマとしたプロデュースに傾斜。9月30日、『女性上位時代』〜『ロマンティーク96』までのSEVEN GODS・TRIADレーベル時代のオリジナル・アルバム5作がジャケット新調で再発売。11月、クリスマス・ソング・シングル「12月24日」を発売、同年のクリスマスまでfeel H"とタイアップしたCM(梅宮アンナ出演)がゴールデンタイムを中心に放映された。「12月24日」と同時にMV集「readymade TV Volume.3」がPIZZICATO FIVE初のDVDとして発売。 2001年1月1日、21世紀最初で最後のスタジオ・アルバムとなる13th『さ・え・ら ジャポン』をリリース。東京から視野を広げ日本をテーマとしたありとあらゆる楽曲が詰め込まれた本作は、「東京の合唱」でフィーチャーしたシゲル・マツザキ・YOU THE ROCK★、雪村いづみ・デューク・エイセス、南佳孝、ロケットマン(ふかわりょう)、横山剣(クレイジーケンバンド)、クレモンティーヌ、イマクニ?、ハナレグミ、ピエール・バルーなどの豪華なゲストをフィーチャリングした事でも高い評価を受けた。
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