レコード会社の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 03:50 UTC 版)
「サム・フィリップス」の記事における「レコード会社の設立」の解説
1940年代、フィリップスはアラバマ州マッスル・ショールズのラジオ局WLAYでディスクジョッキーおよびエンジニアとして勤務した。フィリップスによると、このラジオ局の白人黒人関係なく曲を流す「オープン・フォーマット」が後のメンフィスでの彼の業務に多大な影響を与えた。1945年から4年間、ラジオ局WRECでアナウンサーおよび音響技師として勤務した。 1950年1月3日、フィリップスはテネシー州メンフィスのユニオン通り706番地にメンフィス・レコード・サービスを開業した。メンフィス・レコード・サービスではアマチュア音楽家に演奏をさせ、B.B.キング、ジュニア・パーカー、ハウリン・ウルフなどを輩出し、フィリップスは彼らを大きなレコード会社に売り込んだ。音楽だけでなく、フィリップスは結婚式や葬式などのイベントを録音して売っていた。1952年からメンフィス・レコード・サービスで自身のレコード・レーベルのスタジオとしても機能するようになった。 フィリップスはジャンルを問わなかった。彼はブルースにも興味があり、「ブルースとは、白人黒人問わず人生はいかに難しいかそしていかに素晴らしいかを考えさせる。ブルースは音楽でありながら、祈り、諭す。毎日毎日やって来る困難を取り除く」と語った。 音楽評論家のピーター・グラルニックなどによると、フィリップスがレコーディングした19歳のアイク・ターナーが作曲しリードしていたジャッキー・ブレンストン&デルタ・キャッツの『Rocket 88 』が最初のロックンロールのレコードとされている。このレコードは1951年、イリノイ州シカゴのレコード会社チェス/チェッカーから出版された。1950年から1954年、フィリップスはジェイムズ・コットン、ルーファス・トーマス、ロスコ・ゴードン、リトル・ミルトン、ボビー・ブランドなどの音楽をレコーディングした。B.B.キング、ハウリン・ウルフなどは初めてのレコーディングをフィリップスのスタジオで行なった。フィリップスはハウリン・ウルフが最初の最大の発掘であり、エルヴィス・プレスリーはその次とみなしていた。 16年間で226枚のシングルをレコーディングし、当時のロックンロールのレコード会社で最多であった。
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