隠遁後からレコード会社移籍まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 08:32 UTC 版)
「ボブ・ディラン」の記事における「隠遁後からレコード会社移籍まで」の解説
1970年6月、『セルフ・ポートレイト』を発表。カントリー、MOR、インストを含む様々なジャンルの曲を無作為に並べた実験精神溢れるアルバムで、評価をとまどう声もあったがセールスは好調であった。その直後、レコーディング拠点をナッシュビルからニューヨークに戻し、10月『新しい夜明け』を発表する。 その後、ボブはオリジナルアルバムの制作を中断。それ以降は「バングラデシュ・コンサート」への出演、ジョージ・ハリスン、レオン・ラッセル、ハッピー・トラウム、アール・スクラッグス、デヴィッド・ブロンバーグ、ロジャー・マッギン、ダグ・サムらとセッションしたこと以外は沈黙を守る。 1971年発表の『グレーテスト・ヒッツ第2集』にはボブ自身のリリース条件としてレオン・ラッセル、デラニー&ボニー&フレンズとのセッションから2曲、ハッピー・トラウムとのセッションから3曲、そして未発表初期音源としてタウンホールでのライブから「明日は遠く ("Tomorrow Is A Long Time") 」を一切の手を加えない状態で収録。ベスト盤にボーナス・トラックを加える先例となる。また、同年末には久々のプロテストソングである「ジョージ・ジャクソン」を発表。A面にはレオン・ラッセルとのセッションからのビッグ・バンド・バージョン、B面にはアコースティック・バージョンを収録。当時のアメリカの放送局では歌詞に問題がある曲の場合は、そのシングルのB面をかけてお茶を濁すのが慣例であったが、このシングルはB面の方が歌詞がより鮮明に聴こえて逆に効果大であった。 1973年、ビリー・ザ・キッドを題材にした映画『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』への出演をきっかけに活動を再開。挿入歌「天国への扉」はボブの曲の中でもカバーするアーティストが多い一曲となった。 この頃CBSソニーから日本独自企画盤として『Mr. D's Collections #1』が特典として配布された。ソニーは以降も#2、#3、『傑作』(1978年)、『武道館』(1978年)、『Dylan Alive!』、『Bob Dylan Live 1961-2000』(2001年)、『ディランがROCK!』(2010年 / 当初は1993年に制作されたが、この時はボブの許可が下りず未発売だった)といった企画盤を企画している。なお、『The Never Ending Tour』という企画盤については、ボブの許可が下りていない。 またこの年、ボブはアサイラム・レコードへの移籍を決断。CBSコロムビアは報復手段として所有する膨大な過去の音源をリリースすることにし、まずは『セルフ・ポートレイト』のアウトテイク集である『ディラン』を発売する。ボブはアサイラムで2枚のアルバムを発表した後、コロムビアへ戻るが、その要因には過去の音源の権利関係があったためともいわれる。『ディラン』は一度CD化されたが、長らく廃盤であった。しかし現在では入手可能。アサイラムの二枚のアルバム『プラネット・ウェイヴス』(1974年)、『偉大なる復活』(1974年)も1977年にコロムビアから再発売となった。
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