隠遁生活時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 04:38 UTC 版)
「ボビー・フィッシャー」の記事における「隠遁生活時代」の解説
それ以来フィッシャーは試合を拒否し、引退状態となった。表舞台から姿を消し隠遁生活を送った彼は、「天才」であるのと同時に「変わり者」として語られるようになっていった。1970年代のフィッシャーは、信仰し支援していたアメリカの福音系新宗教団体「ワールドワイド・チャーチ・オブ・ゴッド」の施設で暮らしていた(同教団の創設者ハーバート・アームストロングのラジオ伝道を聞いて傾倒し、献金していたが、アームストロングが唱えていた終末予言が外れたことから次第に距離を置いていった)。 ただし途中で一度、表舞台に出てきたことがある。ハンガリーの17歳の女性チェスプレーヤーから「なぜプレイしないのか」という手紙を受け取ったことをきっかけに、その少女と交流が生まれ、彼女の根回しによって1992年にユーゴスラビアでスパスキーと再現試合を行なった。フィッシャーは試合前に、アメリカの当局から「試合に参加するな」という警告の手紙を受け取ったと公表し(アメリカ政府はボスニア問題に絡んでユーゴスラビアに対して経済措置をとっており、アメリカ国民が同国において経済活動をすることを禁止していた)、記者会見でその手紙に唾を吐いて挑発的な態度を見せた。フィッシャーはこの試合に見事勝利し、300万ドル以上の賞金を得た。アメリカ政府は「ユーゴスラビアに対する経済制裁措置に対する違反だ」として起訴し、フィッシャーのアメリカ国籍を剥奪した。彼は後に「この起訴は反ユダヤ的発言と反米発言に対する政治的迫害である」と語った。これ以降彼は再び表舞台から姿を消した。 公にはならなかったが、フィッシャーは10年以上にわたりハンガリー、スイス、香港、マカオ、韓国など世界の様々な場所を転々としており、2000年ごろまでにはフィリピンと日本が主たる拠点になっていたという。2000年から日本では元日本女子チェスチャンピオンで日本チェス協会事務局長の渡井美代子と、フィリピンでは元フィリピンチェス協会会長らの支援でマリリン・ヤングという若い女性と暮らしていた。
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