ロバート・オウエン ロバート・オウエンの概要

ロバート・オウエン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/04 08:14 UTC 版)

ロバート・オウエン
イギリス、マンチェスターの生協銀行の前に立つオウエンの立像
ニュー・ラナークのオウエンの自宅

人物

1771年、北ウェールズモントゴメリーシャー英語版のニュータウンで、馬具や金物を扱っていた家庭に7人兄弟の6番目の子供として生まれた。父は駅逓長も努めていた。ロバートは、5歳の時、ある日朝食の熱いオートミールをあわてて飲み込んで、お腹の中に火傷をしてしまった・そのことがもとで、後年自叙伝の中で、細かく観察したり、深く考える習慣がついたと回想している。この事件は、彼の「性格を形成するものに大きな影響を与えた。」1799年、グラスゴーの工場ニュー・ラナークを経営していたデイヴィッド・デイル英語版の娘カロラインと結婚、のちニュー・ラナークの共同経営者となった。オウエンは、低所得の労働者階層の実情を目の当たりにし、10歳未満の子どもの工場労働を止めさせ、性格改良のための幼児の学校を工場に併設。性格形成学院と名づけた。幼児教育の最初の試みで、幼稚園の生みの親といわれるフリードリヒ・フレーベルよりも先んじて、就学前の子どものための学校を実践。教室での掛け軸の利用など、教育方法にも工夫を凝らした。また、大人のための夜間学校をニュー・ラナークに開校し、これが世界初の夜間学校となった[2]

幼児労働の制限と、その分の時間における教育の充実を立法化しようとした。その結果、1819年の工場法が成立するが、教育面における法整備は果たされないなど、彼の望む内容からは遠いものとなった。

また協同組合などの事業も手がける。後にアメリカに渡って私財を投じてインディアナ州において共産主義的な生活と労働の共同体(ニューハーモニー英語版村)の実現を目指すが失敗した。エンゲルスらから、サン=シモンフーリエなどと共に空想的社会主義者と評されつつも、挙げた実績に関しては高い評価を受けた。

日本国内に、ロバート・オウエン協会がある[3]

著書

主な著書

関連項目

外部リンク





  1. ^ 大門実紀史『ルールある経済って、なに?』、新日本出版社、2010年、101頁、ISBN 4406053476
  2. ^ ロバート・オーエン 人事管理のパイオニア DIAMOND online
  3. ^ ロバアト・オウエン協会 | CCIJ-公益財団法人 生協総合研究所


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